きりふきの話

「バケツでぞうきんをぬらすと密になっちゃうから、今日からこれを使ってねー」

朝の会で僕はクラスに3本のきりふきを置いた。
子どもたちの目が輝く。
「おおー!」

きりふきは子どもたちにとって憧れの道具だ。
あの水の吹き出すなんとも言えない感覚。
なかなかいじらせてもらえないあの道具を堂々と使えるのだ。
盛り上がるのも無理はない。

ちなみに僕のクラスにはそうじの役割分担がない。
2人がペアになって、自分たちで仕事を選択する。
そんな「隊長制度」を導入している。
だから、誰もがこれを手にするチャンスがある。

異様な盛り上がりに、僕は嫌な予感を感じていた。
そして、その予感は掃除開始に見事的中した。

掃除が始まったと同時に、霧吹きに子どもたちが殺到した。
3本しかない霧吹き。
もちろん全員ができるわけはない。

僕はこの状況をある程度予感していた。
でも、「べつにいいや」と思っていた。

そのかわりこう言った。

「今日できなかった人は今度必ずできるから譲ってあげてね」
「今日やった人は、今日譲ってくれた人のために明日は譲ってあげてね」

次の日・・・
またもやきりふき争奪戦が起こる。

そしてまた僕は同じことを言う。
そんな状況が数日続く。

きりふきによって一喜一憂。
きりふきによって弱肉強食。
昔の僕なら、この状況を見てすぐにやり方を変えただろう。

今日は○○くん。
明日は△△くん。
明後日は…

というように細かい役割分担をする。
そして、みんなが平等にできるようにする。
これでトラブルは回避できる。

でも、今の僕はそうはしなかった。
それには2つわけがある。
1つは今のクラスの子がかしこいから、譲り合うことがきっとできるようになるだろうと思っていたから。
そして、もう1つ。
それは「人はあきる」ということ。

今は争奪戦が起こっている。
でも、やったことがある人が増えていくとこの熱狂は必ず薄れるものだ。
熱狂が薄れた時、必ず人は譲り合う。
それをしっかりとみとって子どもたちに伝えてあげる。
その方がとっても重要だと思ったから。

僕の考えた通り「きりふき熱狂」は数日でうすれた。
今ではだれも奪い合いをしない。
もし、誰かとかぶったら

「明日やるから今日はやっていいよ!」

なんて言う声も聞こえるようになった。

僕がやったのは
きりふきをした子には
「明日は譲ってあげてね」
できなかった子には
「今日は譲ってくれてありがとう」
と言い続けただけだ。

掃除の時間になかなかできない子は休み時間に

「古T!ちょっときりふきと激落ちくんでそうじしていい?」

なんていって窓の桟を掃除したりしている。
休み時間にそうじをする。
変なことに思えるかもしれないが、彼らにとってはそれも遊びだ。

この経験から僕は

「自分は一歩踏みとどまれるようになったなぁ」

と感じる。
僕は知らず知らずのうちにトラブルの芽を摘み取っていた。
でも、それはトラブルの種に見えて実は成長の機会だったりするものだ。

無意識な「トラブル回避脳」がルールを増やしていく。
そして、子どもたちはそのルールでがんじがらめになっていく。
その結果、子どもたちはルールの中でしか生きられなくなる。
ルールのない世界に直面したとたん、誰かにルールを求めるようになる。

トラブルを起こさないことに囚われていた自分から、
トラブルの先に見える成長に目を向けられる自分へ。
少し成長できたのかなぁとうれしくなった。

そんなきりふきの話。




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