その想像力が、誰かを救う/『君は永遠にそいつらより若い』感想
想像力が欠如し、他人の痛みに鈍感になり、そのくせ見映えを加工したり取り繕ったりするのだけは上手に便利になった。見せたいものだけ見せて、気付きたくないことは気付かないふりして。
そんなふうに雑に生きがちな今だからこそ、本作のような存在が必要だと思った。これを見たらきっと自分の心をチューニングできるよ。
イントロダクション(公式より)
大学卒業を間近に控え、児童福祉職への就職も決まり、手持ちぶさたな日々を送るホリガイは、身長170cmを超える22歳、処女。
変わり者とされているが、さほど自覚はない。
バイトと学校と下宿を行き来するぐだぐだした日常をすごしている。
同じ大学に通う一つ年下のイノギと知り合うが、過去に痛ましい経験を持つイノギとは、独特な関係を紡いでいく。
そんな中、友人、ホミネの死以降、ホリガイを取り巻く日常の裏に潜む「暴力」と「哀しみ」が顔を見せる...。
時に距離感を見誤りながらも、懸命に生きる登場人物たちがとにかく愛しい。
大学生の群像劇として奥行きもちゃんとある。彼女たちはたしかに存在するのだと信じられるし、スクリーンに映ってない時間も想像できる。
日常に埋もれたり意図的に隠されたり。
映画の中の出来事は劇的でも特別でも何でもなくて、気付かれているかどうか、明るみにされているかどうか。それだけの差に過ぎない。自分が知らないだけで、フィクションみたいな喜劇や悲劇が日々そこらじゅうを駆けめぐっているのだと再認識させられる。
身近に転がる、微かに光る脆さや繊細さを見落とさないでいたい。大切な人のために想いを尽くしたい。たとえそれがまとまりのない、とっちらかった言葉でも。口を噤みかけるのを何とか踏ん張って、言葉にしなくてはならないことがある。その言葉が必要かどうかは勝手にこちらが判断できることじゃない。受け取る側に委ねられる。
でも想像力を精一杯めぐらせた末に絞り出した言葉なら、必ず投げかける価値があるはずだ。
劇中で堀貝(佐久間由依)が猪乃木(奈緒)に投げかけた言葉はその象徴だった。同時に、想像力や言葉を尽くせなかった結果、後悔を覚える堀貝や吉崎(小日向星一)の場面もあり、それはそれでリアルだった。
想像力で補完できることはたくさんありながらも、ひとの全容を他人が知るのは不可能なのだ。ただ不可能だからと最初から諦めて目を背けるのと、行けるところまで近付いて、目を背けずに想いを向けるのは当然ちがう。
堀貝が猪乃木に向けた「ずっと気にかけてる」という言葉の純粋さには胸を打たれた。
奈緒はもともと好きな女優だけれど、ますます好きになった。底に秘めた陰の部分を、あの赤ちゃんのような笑顔で隠せる強さ。佐久間由依とのバランスもよかった。
その佐久間由依は彼女以外に堀貝をイメージできないほど堀貝を生きていた。ちょっと抜けてて不器用な人柄が生っぽい。だからこそ迫真の場面でのセリフが刺さってきて、表情の豊かさ含めていつまでも見ていたくなる魅力に満ちていた。
小日向星一はあの小日向さんの御子息なんだね。知らなかった。先入観なくいい役者さんだな、声がいいなと思った。どんな役でもやれそう。笠松将の存在感も印象的。
作品世界に没入しながらも、自分のことを自然と顧みる。そんな映画が好きで、そんな映画だった。
舞台挨拶の映像を観たら奈緒がこの作品について「明日まで頑張ってみようかなと思える。人を明日に連れていってくれる」と語っていたけれど、ほんとうにそうだと思った。
頭の中が複雑でこころも疲弊してる状態で見たからか、すごく救われた。明日までいこうと思わせてくれた。
たいせつな人への想像力を見失わず、言葉や想いを尽くそう。この映画を見ることを選ぶ人はきっと優しくて、そんな人が本作を観た後に紡げる言葉はおそらく美しい強度がある。その言葉でじゅうぶんだと思う。
とっちらかった感想だけど、言葉にしてみたよ。
サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います