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舞台『ケダモノ』鑑賞と、下北沢の変化とか

下北沢の駅周辺がまた変貌を遂げていた。

1年前とも半年前とも違う。
再開発の波及は凄まじい。

仮に10年前の印象で止まってる人が今の下北にいきなりポツンと置かれたら、そこが下北沢であることを瞬時に判断できないだろう。

世田谷代田の駅から下北沢駅方面に歩く途中には『ボーナストラック』という開放感のある商店街が続く。

下北の駅自体は『シモキタエキウエ』の名が付けられたジャンルレスな飲食店が集う。

駅の南西口すぐの開発エリアは『ナンセイ プラス』といってカフェやミニシアターが入ってるようだ。

東北沢駅との間となるエリアには白を基調とした線路街『reload(リロード)』があり、趣向を凝らしたカレー屋やブックストアが顔を揃える。

さらにさらに旧南口あたりの高架下には『ミカン下北』という名前の商業施設が爆誕していて、オリエンタルな雰囲気の飲食店や洒落たショップが並んで多くの人で賑わっていた。

どこだここ。中目黒か?

カタカタと横文字ばかりを冠にして、以前の下北じゃ見かけたこともない新木優子みたいな女性が平然と歩く光景。

僕もかつて下北で働いていた身なので、当時の街の景色は脳裏にこびりついている。愛着もある。なのですぐにはピントが合わない。
愛嬌のある人懐っこい顔立ちだった同級生と数年ぶりに再会して整形美人になっていたらそりゃ動揺もする。

ぜんぶのお店がこじんまりとし、どれも狭くて汚くて古めかしく、雑多にひしめき合ったあの混沌とした街の面影はもうほとんどない。

アップロードが間に合っていない頭の中のGPSがバグっているのを感じながら目眩がするようにふらっと路地を曲がると、本多劇場の正面にたどり着いた。


ここだけは10年前のまんまだ。
下北沢のランドマーク。演劇の聖地。

劇場入り口へと続くもはや重要文化財といっても過言ではないこの階段を見つめたら、僕の中のGPSは正常に戻ったようだった。
本多劇場があるうちはまだなんとか下北沢は下北沢として成立するような気がした。


久々の観劇は赤堀雅秋の作・演出。
赤堀作品を観るのは2016年シアタートラムでの『同じ夢』以来だろうか。

スーツ着てザ・社会人みたいな仕事をするようになって心の調律がまともに取れなくなった。東京で生活するからこその切り離せないスピード感、体裁、自己実現のための借り物じみた言葉。

そんなものに押し潰されてうんざりして途方に暮れるとき、赤堀さんの作品を見ると野ざらしにされた人間の恥や葛藤に本質を取り戻せるような思いがするのだ。

救われるとか報われるだとかいえたら綺麗かもしれないが、別に報いも救いもない。狂気じみた人間の姿を突きつけられて、でも本来こうだよなって。狂気じみてるのは体裁のいい人間になりすますこちら側のほうだよなと。期待に応えよう嫌われないようにしよう本音よりその場にふさわしい言葉を選ぼうと、繕いまみれのこのステータスのほうがよほど狂気だ。

本音を吐くようにぶちまけ、倒錯する人間たちを生で見せつけられると、なんだか本質を思い出す。

みっともなくてどうしようもないのも人間じゃんって。安心。新鮮。会社員やってるとそんなものは誰もがみんな真っ先に隠そうとするものだから。

今回の『ケダモノ』も人間臭かった。

相変わらず報いも救いもなかったけど、赤堀さんは突き離してるようには思えない。諦めていないというか。ちゃんと人間に執着してる。だから揺さぶられる。

コロナ禍の田舎町が醸す閉塞感や苛立ち。
真夏の匂いとタバコがくゆる。
下品でみっともない人間のやるせなさが充満するのに最後まで他人事だと突き離せない生々しさよ。

座席が前寄りの正面で舞台から近くて贅沢だった。役者の表情がしっかり見えたし、臨場感たっぷり。

映画やドラマはカメラが捉えたものを編集に従って全員が同じカットを見るしかないけれど、舞台はノンストップでどこを観ていたって自由。台詞を放つ役者がいても、そのとき自分は照明でもセットでも喋っていない役者のほうを観ていたって構わない。
席によって見える表情も違う。同じシーンなのにほぼ正面で表情が見える席もあれば、後頭部寄りの横顔しか見えない席もある。熱気も緊張感も間合いもごまかせないほど伝わってくる。これだから生の舞台は最高だ。

目と鼻の先に存在した門脇麦ちゃんはカモシカみたいな脚をして華奢で、退廃的な色気を誇っていた。顔立ちは鼻筋が通って映像で観るよりずっと整っている。2013年の『ストリッパー物語』という舞台を観劇した際に放っていた誰にも奪われないような煌めきが、キャリアを重ねたことでまた複雑な色を帯びて鋭く光っていた。何より赤堀さんのテイストに合う。是非また出てほしい。

荒川良々さんはデカい。デカくてこわい。本物だって説得力がある。大森南朋さんは作品ごとにまるで偏差値の異なる姿を見せつける。今回みたいに隠しきれない不器用さが見える役がやっぱり魅力的。
田中哲司さんは一番難しそうな役だった。あのバランスの持たせ方は難儀だろう。とはいえさすがの存在感で要所を締めているからすごい。

あめくみちこさんはもはや主役だった。痺れた。新井さんと清水さんはちゃんと芝居を観たのは初めてだったかもしれない。強かったなあ。他の役者に負けてない。無軌道な危うさが緊張感を高めていた。

最後、屹立する門脇麦ちゃんが印象的だった。遠くを見つめる瞳はやけに澄んでいて、湿度の高い世界観の明け方のようだった。


変わりゆく街のなかで本多劇場を見て確かな位置情報を掴めたように、僕は消耗する東京での生活のなかで赤堀さんの舞台を観ることで心をチューニングしたかったのかもしれない。

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