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くだらない誕生日の追憶

誕生日なんて誰にだってくる。ただたんに、年齢が1つ増えるだけの日。

お誕生日おめでとう、ありがとう、そんなのただの社交辞令であり定型文である。毎年、毎年、毎年、毎年。年に一度必ず来るこの日に、ありがたみなんてない。ただちょっと欲しいものがもらえたりするくらいの、その程度の日。

プレゼントが無ければ、ただのくだらない日。そう思っていた。

生クリームきらいだしオレ

俺は生クリームが嫌いだ。いや、正確に言うとおいしいとは思う。だが、食べ過ぎると、胃が気持ち悪くなってしまうのだ。もし俺が女に生まれていたら恨んでいたね、この体を。良かったな、俺が男で。

そんな悪態をつくくらいに余裕のある俺は、誕生日のチーズケーキを頬張りながらある種の憂鬱を感じていた。家族と家で食べる、うまいけど合わないケーキ。

みんな大好き夏休み

俺の誕生日は夏休み真っ只中。友達は誕生日会で盛り上がるなか、家電最盛期の時代に俺は家族と一緒に孤独の中、その日を過ごしていた。夏休みね、あれでしょ。みんな大好きでしょ。俺も大好きだよ、誕生日も宿題もあるし。口の端を少し持ち上げ、心の中でつぶやいた。

心の成熟と

毎月末日に大金を手にするようになった頃、俺は彼女とのおおよそ3:2の為替レートにて執り行われる年に一度のその日のことを考えていた。ただひとつ、喜んでもらいたいという違いを感じながら。

日常はテニスボールとともに

深夜2時、その時は訪れた。大の大人ふたりが、急遽深夜の病院へと向かう。その病院はとても不思議なつくりで、病気や病人では無い患者を主に扱う、保険適用外の施設であった。

そんな馴染みのない産婦人科で、握力50を超す中年親父はテニスボールを片手に産気づいた妻を文字通りバックアップする。10時間以上にも及ぶ、残業手当も深夜手当も出ない力仕事だ。

そうしてあらわれたのが、きみだ。

誕生日は誰のもの?

中年親父となった俺は、それでもまだ何が起きたのかよくわかっていなかった。

当たり前にあった誕生日。当たり前にあった実家。

いま俺の目の前にいるこいつは、ついさっき誕生して、俺たちが普通に住んでいたあの家がこいつの実家になった。

ああ、誕生日って、子供が子供じゃなくなる日でもあったのか。ただの自宅が誰かの実家になる日だったのか。親が祖父母になる日だったのか。兄弟が叔父・叔母になる日だったのか。

明日はチーズケーキを食べる日。胸よりも出た腹を擦りながら。


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