補遺:個体発生と遺伝子発現の「逆砂時計モデル」に関して

無脊椎動物の個体発生と遺伝子の発現時期について網羅的に比較検討した論文が、イスラエルの研究チームを中心として、2016年のNature誌に掲載された。それによると、個体発生を遺伝子の発現時期に基づいて前期・中期・後期に分けることができ、前期では細胞周期やクロマチンに関連する遺伝子、中期では細胞間の相互作用やシグナル伝達・転写因子の遺伝子、後期では各細胞に特異的な遺伝子(トランスポーターなど)が主に発現するが、とりわけ中期では、動物間で発現する遺伝子の相同性は極めて低く(論文中では約3%としていた)、遺伝子の種類も動物間で多様ということだった。対して、前期および後期では、同時期に発現する遺伝子の相同性は、中期に比べていずれも高かった。

著者らは、比較解析で得られた結果より、個体発生と遺伝子発現に関して、従来は中期には形態形成を担うHox遺伝子のみが発現し、発現する遺伝子は最も限られているとする砂時計モデルとは逆に、この中期こそ様々な遺伝子が最も多く発現するとする「逆砂時計モデル」を主張した。ただし、多様であるのは、中期そのものだけではない。発現する遺伝子の一つをとってみても、動物ごとに発現時期が異なることが少なくなかった。例えば、crh-1は、カブトクラゲ目の一種(有櫛動物)・スターレットイソギンチャク(刺胞動物)・線虫(線形動物)・イソツルヒゲゴカイ(環形動物)・アメリカムラサキウニ(棘皮動物)では前期、カイメンの一種(海綿動物)・ゼブラフィッシュ(脊椎動物)・ショウジョウバエ(節足動物)では中期、ウズムシの一種(扁形動物)・ドゥジャルダンヤマクマムシ(緩歩動物)では後期に発現していた。また、この「中期」については、個体発生の時間軸において中間の段階ということを意味していない。前述した9点の動物において、「中期」がふ化後の発生段階に位置していたのは、環形動物ゴカイのみであった。他の8点については、ふ化前の胚発生において中期を終えていた。また、従来の砂時計モデルでHox遺伝子のことを記載したが、Hox遺伝子を持たないクシクラゲにおいても、この「中期」は胚発生で見られた。

このような、個体発生と遺伝子発現の相関性に関して動物門を超えて比較検討する研究は、ITの進歩した2010年以降から増えており、国際的な研究チームにより数々の報告があがっている。ただし、得られたデータの解析方法によって得られる結果や解釈も異なってくるように思う(本論でも2020年に発表された中国の研究チームの文献をあげている)。ただ、せっかくなので、今回取り上げた題材から、幼生転移の可能性について少しだけ書いてみたい。トロコフォア幼生を持つゴカイの個体発生において、前期から後期へ遺伝子発現の種類が移り変わる狭間の「中期」は、トロコフォアの後半からメタトロコフォアの時期が始まるまでの間、とされた。一方、ウニにおいては、プルテウス幼生の時期は既に後期に該当した。ショウジョウバエの芋虫型の幼生においても、既に後期に該当した。間接発生と直接発生については、中期が個体発生のどの時期に来るか、について関係はなさそうである。おそらく、幼生形態の出現に関しては、生命維持に必須な遺伝子発現が必要な時期に発現していくという、前期→中期→後期の三段階のまとまりが前提で、この前提が保たれるのであれば、動物門を超えても胚発生は進行し、どの遺伝子がどの時期に働くか、によるのだろう。Hox遺伝子や変態の基幹に関わる内分泌系の遺伝子の発現は生命維持に必須であり、これらの発現が致死の水準で乱れることなく個体発生が進行すれば、私達が知り得ない幼生形態が生まれる日も来ないとは言い切れないのではなかろうか。ただし、その後、生き抜いて変態以降の発生段階まで到達できるかどうかは、気候や天敵を含む自然環境に恵まれるか否か、ということになるのだろうが。


補遺は、これにて終了とする。また題材が発生したら書きたくなるかもしれないが、語意通り、書き足しであり、生命科学に関われなくなった脱落者の自己満足も甚だしい自慰に過ぎないことには、再開したとしても、変わりは無いだろう。


使用文献

The mid-developmental transition and the evolution of animal body plans Michal Levinら著 Nature 531, p637–641 (2016)

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