外伝:有望な怪物達 その13:鑑賞を終えて

生前の博士が、半身不随の健康状態で幼生転移仮説に全身全霊で取り組み、科学者としての生を貫く様を、余すところなく見ることができた。ノーベル科学者の成功物語のような見栄えも出来映えも明快さも優等、と言いたくなる形式ではなく、探求の過程そして成功は容易ではないという地道な道程を追体験することができたという点でも、日本であればNHKでも永遠に制作することはないだろうな、といえるような生々しい映像作品だった。要するに、唯一無二の科学番組である。


濃縮した精子の溶液中に卵を入れる手法、および、メッシュに残った卵を霧吹きで落として単離する手法は、実験的な工夫のレベルであり、博士の著書や論文には出てこないが、前述したような生々しさが、そして、スターンバーグ氏が助手をしながら制作した構成主義の科学番組制作への執念が、伝わってくる。海洋生物学の研究者であるストラスマン氏からの手紙やPNAS誌審査員からの却下のコメントを博士が朗読する場面も、科学番組として秀逸である。個人的には、生きている雑種幼生の発生を拝見したのは人生初であり、何度も秒単位で巻き戻したものだった。


ただ、博士の真骨頂ともいえる動物門の異なる動物同士ではなく、同じ棘皮動物に属するウニとヒトデの雑種形成を試みたのがなぜなのか、については、私自身はわかりかねた。映像中にも解説は一切ないし、博士自身は、この動物間の雑種形成については、自身で論文発表も学会発表もしていない。私が知り得ていたのは、非公式の卒業論文で紹介したことのみである。あえて動物門を同じくすることで、極めて低い確率で同一の結果の再現はないが驚くべき新種の創造が成される事実を、より多くの実例をあげて証明したかったのだろうか。博士は2010年当時、既に80代という高齢であり、少し焦っていたのだろうか。うかがい知る資料がないため、何とも言えない。


本映像では、3種類の博士の記事・文献が紹介される。記事については掲載はされたようだが、限られた地域でのタブロイドなのか、英文の題名をいくら検索しても、探し出すことはできなかった。Self会議の講演については、1991年の総説集が出ており、博士はここでヒトデを題材に自らが語る個体発生キメラの意味や独自の理論を解説し、当時実行していた雑種形成実験や節約の原理への反論についても披露していた。博士が初めて幼生転移仮説を紹介したのは1988年であり、ここでは、甲殻類の幼生、棘皮動物の幼生、トロコフォア幼生を持つ動物での幼生転移を主張し、本映像で何度登場したLuidia sarsiや登場はしていないが証拠とされたKirkのクモヒトデを掲載し、遺伝子移動についても述べていた。


博士は本映像の終盤で、哺乳類の臓器などの器官も別の動物の遺伝子に由来するのではないか、と、ユニークな思いつきをおしゃれな風貌をして語っている。本映像はイタリアの渡航先の湖がどでかく出てきて終わりとなるが、この時の会議を基にした総説集が2011年に出版されており、博士自身の稿Interspecies Hybridsの一章Hypothetical Terrestrial Examplesにて、思いつきを披露している。もし子猫が犬や猫で同じように発現したら?もしアラブ馬が子豚から成長して出来たらどうか?モーガン馬がポニーのような小型で生まれたら?未成熟な発生段階が成体と区別できる、と私達は仮説を立てられないだろうか?最初の例では、犬と猫は別々に子猫の発生段階を獲得しており、第二の例ではアラビア馬の中で子豚の発生段階を獲得したものが出現し、一方で仔牛の発生段階を獲得した馬も出現したが、モーガン馬はどの未成熟な発生段階も獲得しなかった、ということだ。


実は、この「思いつき」については、American Science誌に掲載する原稿として書かれているが実際には掲載のない文献として、検索により見つかった資料にも、掲載されていた。論題は”LARVAL TRANSFER : A RECENT EVOLUTIONARY THEORY”とあるもので、この資料で、上記内容の他、以下のように披露している。

・カギムシが芋虫の幼生の起源となった交雑については、陸上は海洋のように開かれていないので機会は僅かだったかもしれないが、昆虫類の交尾が体内であっても、雑種形成を排除する必要はない。昆虫類の卵は未受精卵のまま産み落とされることもあり、昆虫類の雄の個体が精子をこれに放出して受精となることはあるかもしれない。また、カギムシは体外受精の生殖様式を取る。(p.13)

・線虫はストレスのある条件下のみ、普段と異なる発生様式をとるが、ストレスがなくなると元の発生様式に戻ることができる。連続的な環境の変化で、もともと直接発生である線虫の個体発生の途中で、新たに幼生が形成されるようになったのではないか。(p.14)

(※線虫の発生様式については、http://molecular-ethology.bs.s.u-tokyo.ac.jp/labHP/J/JNematode/JNematode01_worm.html 参照のこと。耐性幼虫という幼生に切り替わる)


博士が思いつきのように一カ所の文献・著書のみで述べ、以降語らなかったが、取り上げたい情報があと一点あるので、ここで述べる。

まずは、1988年の総説の中にそれはある。トルナリア様の幼生がどのように広まったのか、について、棘皮動物の大多数が絶滅した時期にはウイルス感染が起こっていたが、半索動物腸鰓類が独自に持っていたトルナリア様の幼生は当時の棘皮動物よりも感染への免疫力に優れていたのだが、この幼生を雑種形成にて獲得した棘皮動物は同時に免疫力も獲得し、従って、三畳紀以降の棘皮動物のほとんどは幼生を持っていたのではないか、と述べている。


最後に、この作品に一つだけ物足りない点があるとすれば、博士の本業である甲殻類の幼生形質に重点を置いた分類学を起点とした、博士の甲殻類の幼生転移に関する考えが少しでも入れば、もっと嬉しかった。後半で博士自作のキメラの描画が出てくる前に、数多くの紙媒体が棚に収まっている場面があるが、あの紙媒体こそが博士の分類学者としての実績であり、その研究過程も幼生転移仮説への布石になっているはずである。決して、父親の影響だけではないはずなのだ。


博士の道を継ぐ生物学者あるいはナチュラリストは世に現れるのだろうか。是非現れて欲しい。そう願わずには、いられない。

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