見出し画像

さよなら20世紀

1999年12月20日付けで退職した。
退職の意思は10月に入って上司に話をしていた。

退職願いは出してません。口頭で伝えた。
了承後に、会社の退職届に記述提出した。

『ちょっと待って、少し考えて!!』
と言われ、1か月後の11月に入り改めて退職の意思を伝えた。
すぐに了承されず、数日保留されてしまう。
その間に常駐先の方々に、なぜかその情報が洩れていた。
『ぷくさん、〇〇〇辞めるの?』などと、毎日のように言われた。
”麻雀出来る”という情報が流れていたのと同様に、
某年度の同期ラインから情報駄々洩れだったらしい・汗

一週間後に直属上司、事業部長、人事課担当者の3人と面談をした。

イメージです

その面談で、一番先に話が出たのは
『別の部署に異動しませんか?』
という事だった。
後で聴いた話だが、人事はワシの直属上司の勤務状況について、
情報を集めていて、ワシに最大の配慮をしてくれた発言だったらしい。
が、異動を希望せず、改めて退職の意思を示した。
次の仕事の事も聞かれたが、
『忙しくて、探す時間などありません』
と少々、とげとげしい返事をしてみた。人事と事業部長は苦笑いだった。
退職理由等も聞かれた。
答えたのは3つ
①会社の事業方向性に疑念を抱いた
②今の仕事に満足できない(新しい事をしたい)
③給与面では不満は無い

①は、ワシ自身ではどうにも出来ない事。経営陣が決める事なので。
②は、①に伴ってワシ視点で先(会社の将来性)が無いと判断したため。
③は、ひとつくらい人事を安心させるためのネタとして・笑

実は④もあったのだが、これは言わずに心にとめて置いたのだが、
人事は既に気付いていたようであった。
それは
『上司は残業量で評価をする人だった』
ワシは、いかに残業せずに正確に効率良く仕事をするのか?
を考えていた。利益を上げても、人件費が多くかかれば利益は減る。
ところが、残業をしない事をヨシとしない感じが上司にはあったのである。
仕事が終わっていないのなら仕方ないが、そうでない時も・・・
そういう世代の方と、言ってしまえばそれまでだが納得が行かなかった。
異動になる前の部署の責任者とは真逆の思考の方であった。

面談翌日の夕方に人事から連絡が来た。
退職関係書類を送付するので記入して欲しいと。
11月末迄送ってくれれば良いので、それまで退職についても再考願います。
との事だった。
人事の顔を立て、記入書類を2週間送らず、日付を11月25日で返送した。

12月になり、一緒に仕事をしていた他事業所の方にも退職情報が流れた。
倉庫管理を行っている事業部長が電話をかけてきてくれた。
『ケツまくって、うちの事業部に来い!!あと始末してやるから』
と、とてもありがたい言葉をかけてくれた。
とても嬉しかったが、丁重にお断りさせていただいた。

イメージです

12月は賞与があったのだが、退職するため期待せずにいたが、
在職中で一番の高評価査定だった。
退職を理由に超減額する会社もある中、感謝しかなかった。

有給が41日未消化であったが、これを消化する事を認められず、無理無理に
3日だけ消化した。(12月16・17・20日の3日間だけ。18・19日は土日)
後日知ったが、認めなかったのは直属上司だけだったらしい。

大人のセットメンバーが、最後にセット&呑み会を開催してくれた。
物凄く気を使った打牌だったのがわかったくらい。
半分ほど、ありがたく和了させていただきました。

12月15日出社最終日
常駐先の方々や社内の方々から、記念品や手紙などをもらった。
社内メールも来たけど、帰る時には削除して帰った。
印刷はさせてもらったけど。
昼食は、派遣の女の子2人がご馳走してくれた。
若い女の子(20代)2人との昼食は、仕事と違ってなんか緊張した。
決して、給与が高い訳では無いのにオシャレな店でのランチだった。
ありがたく、想い出深い1日になりました。

その翌日
ワシは北海道に居た。
事前に退職を伝えていた前職場の後輩と専門学校時代の友人との3人で、
北海道スキーに行ったのである。

実際に宿泊した場所

男3人で3泊4日の退職祝い旅行だった。(退職決めた時点で早期予約)
スキーと札幌でも遊んだ。麻雀は無し(他2人は麻雀しない)

夜のすすきの
大人な街

北海道から戻って、やっと退職を実感した。
無職で迎えた年末年始
新年になって、沢山スキーにも行きました!!
平日に1人で滑りに行ったりもした。平日は最高だ!!
この後、しばらくのんびりして、再就職をするのだが・・・・・
ちょいと時間が経過して、数年後に退職面談時に懸念していた事が起こる。

”ワシが在籍していた会社が外資に売却”されたのである

1999年、バブルが弾けてから数年経ち、親会社も景気は良くなかった。
親会社が生き残るためには、多数の子会社を整理して出向者人件費等を、
圧縮する必要も多々あったと思われる。
そんな中で、親会社の仕事を多々請け負っていたにも関わらず、
親会社以外に新たな仕事を求めるのは良いが、親会社に対して、
ちょっと雑な感じの対応になっていたのを感じていたのであった。
”出向者で同じ会社の人間だから大丈夫”などと戯けた事を言っていた経営陣
そんな姿勢もイヤだったのである。
案の定、ワシの予想した展開となった。
1999年時点で、ワシの見立てが結果だけ見れば当たっていたのである。

そんな事があった2社目の会社
大きいから良いとは限らないといふ事を実感した。
転職するのは大変な時期だったのに・・・・とは当時のワシは全く自覚無し
3社目は、意識して小さい会社を探して就職するのであるが、
それはそれでいろいろあって・・・・
次回へ

ぷくぷく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?