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多忙と充実

新しい職場は、ある意味刺激的だった。
営業負荷軽減により、新しい仕事も獲って来れるようになり、
仕事量は増えていった。
新しい製品を納入する時の会社としての統一仕様書作成や、
その初期製品のデータ添付などやる事がたくさんあった。

挿絵

製造工場に出向き、工場と品質目合わせなどもおこなったりした。
今日はA工場、明日はB工場、そしてまたA工場、明後日はC工場など・・・
都内の顧客と新潟の協力工場と車で3日間で3往復した事もあった。
ある製品に関しては、うまく成形が出来ずにかなりの時間を費やした事も。
そのため、自宅から工場へ直行直帰が多くなっていた。
そのような合間に会社のホームページ立ち上げなどもしていた。
そんな時に、
『おぉ~い、ぷく君。たまにはこっちに顔だしてよ~』
と社長から電話が来たりしていた。
直属上司には進捗報告をしていたが、社長は直接聞きたいという時に、
電話が来るのであった。
2週間ぶりに事務所に顔出したりすることも何度もあった。
直接話を聞いた社長は、問題が無いと思えば
『あとは任せるよ』
と言ってくれていたのが嬉しかった。
社長との話が終わると経費精算。建て替え交通費等の清算である。
それが終わると営業と打合せなどなど・・・
とにかくやる事がたくさんあったのだ。
だけど、とても充実していた気がしていたのである。
そんな時間が約1年程続いた。

体重計

入社して1年3か月くらいたった時、少し身体が細くなっていた。
食が細くなっていたせいもあるだろうが、自分では夏バテと思っていた。
久しぶりに体重計に乗ると、入社前から7kgほど減っていた。
何kgだったかは秘密!!(ちなみに今より28kgほど軽かった)
仕事ダイエットとか笑って言っていた記憶がある。
が、さらに1ヵ月が経過してさらに体重が減った。
集中力も持続しなくなってきて、明らかに変?という自覚が出てきた。
そして、その数日後に”ふらぁ~っと倒れた”
寝れば大丈夫と思ってたが、妻が病院に行ってと執拗に言うので行った。
腹部の痛みもあったため、いろいろ検査をした。
頭部に異常は無かったが、腸にポリープが多数出来ていた。
悪性では無かったが、
”医者から短期入院治療するか、休養をしっかりとるかしてください”
と言われる。
妻から、しっかり休養とって欲しいと言われる。
半導体業界時に、倒れた事を知っているので心配してくれていたのだ。
倒れて3日後、社長に状況説明の為出社した。
この時に身体の状態を説明し、退職の意向を伝えた。
前の晩に妻と話をして、また倒れたら大変だから退職して欲しいと。
その妻の要望を聴き入れてのものだった。
社長からは、半年くらい休んでから戻ってくるのはどうだ?
とありがたい言葉を頂いたが、今回は妻の意向を優先し退職する事にした。

わずか1年半という短い期間であったが、とても濃厚な時間であった。
退職後は入院はぜず、睡眠・休息をしっかりとり、規則正しい生活をした。
定期的に通院・検査などはしていたけど。
この期間に、睡眠の重要さと健康のありがたさを改めて痛感した。

半年ほど経って、ポリープもなくなり健康な状態に戻った。
そして食欲も戻り、時間があるのでスキーも再び始めた。

千葉にあった室内スキー場
今はもう無い

実は1998年頃に、趣味でスキーのホームページを立ち上げていて、
ホームページビルダーというソフトを使って自前で作成していた。

実際に使用していたものとはヴァージョンがちがうけど

当時BBSと呼ばれる電子掲示板で、コメントを書き込むのが流行っており、そこで知り合ったスキーヤーと一緒に滑るようになった。
屋外、室内スキー場で複数の方々と交流を持つことが出来た。オフ会ね。
スキー倶楽部に入ったのも、ホームページがきっかけだった。
このスキー仲間との出逢いが、その後の仕事に大きな影響を及ぼした。

そして、再就職活動を始めるのであるが、その条件は身体に気を使って
・都内通勤で無い事(遠距離通勤はNO)
・通勤時間は1時間未満
・会社規模には拘らない
・勤務時間がある程度決まっている(定時間勤務の工場など想定)
にすることにした。

その話は次話以降に
今回も麻雀の話は無し・笑

ぷくぷく

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