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人の「死」に向き合う覚悟⑴死と葬儀が「日常」になる

人の「死」を初めて感じた時

僕は葬儀業界に18歳で飛び込んだ。この歳になるまで、身内に不幸があったことはなかった。
ある意味、僕は恵まれていたのだろうと思う。
一方中学生の頃、立て続けに学校の生徒が亡くなるという悲しい出来事も経験している。
当時は生徒会役員だったこともあり、生徒代表として立ち会うことも多かった。
中には父の経営する葬儀会館で葬儀を行ったこともあった。

その中には仲良くさせてもらっていた友人もいた。不幸を聞いた時、本当に悲しかったが、僕なんかの悲しみよりはるかに亡くなった子のご両親の悲しみは計り知れない。

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子どもながら「死というものは本当に辛い」ということをこの時に知った。さらに親よりも先に亡くなる「逆縁」は本当に耐えがたい。

この時は葬儀の「仕事」には注目などはもちろんしておらず「なんて悲しい場なのだろうか」という感覚しかなかった。

18歳で葬儀業界に…毎日が死の連続。

僕は大阪の公益社(燦ホールディングス)という業界最大手の葬儀社からキャリアをスタートさせた。
そこで最初に経験をしたことは「毎日人が亡くなり、葬儀が行われていること」
身内の葬儀すら経験していない人間が他人様の葬儀を毎日携わるとは思っていなかった。

これが僕が選んだ世界である。言い訳はできない。

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