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最低限の仏事作法を知らない恐怖

先日久しぶりに人に対し怒ってしまった出来事がありました。

大人げないとも思いましたが、私自身のことではなく、故人・ご遺族が関わる以上、言わないわけにはいきませんでした。

ディレクターを目指す中途採用の方に対してです。

私は「その行動が故人やご遺族に対し失礼になると思わないのか?」と問いました。

葬儀後の最後のお別れの場の最中であったため、怒鳴ることはしませんでしたが、自分より年長者の方が「葬儀知識など一切必要としない一般基準の公道・考えがなかったこと」が、驚きと同時に怒りが出てしまいました。

ろうそくの火に「息を吹きかけて消してはならない」

これは葬儀業界の人間でなくても「当然の作法であると思っていました」

お別れの場は遺族・参列者が葬儀担当者・サポートスタッフのことを「見ている」場でもあります。

人である以上、葬儀担当者やサポートスタッフも「大きな事から些細なことまで失敗」をすることもあります。

しかし、それ以上に「故人・ご遺族に対し、一生懸命向き合う」ことさえ、怠らなければ大きなクレームになることはありません。

ご遺族は、
「手を抜かれている」
「適当に対応されている」
「一般の方から見て、葬儀担当者・サポートスタッフが明らかにマナー・知識勉強不足」

担当者の態度からこれらが伝わった時、クレームとなります。

これは葬儀に限らず、どのサービス業でも同じではないでしょうか。

ろうそくの火は息を吹きかけて消してはならないことを知らない「大人」

言われた本人にとっては、何も感じることがない些細なことであり、それが「悪い作法であることを知りませんでした」

しかし、私は幼少期の頃から「その作法はダメだよ」と祖父母・父母に教えられ大人になりました。

これは、自分の父親が葬儀社の社長であることは関係なく、父からは直接的に葬儀作法や葬儀の仕事について学んだことは「一度もありません」

父ではなく、周囲の大人が教えてくれることが多く、自然と身についておりました。

お仏壇・神棚など「お参りをする」習慣の大切さ

お参りをする習慣が、年々減っているように感じます。

ご自宅にお仏壇や神棚がない家も近年増えております。

ご先祖や亡くなった自身の父母・祖父母などに対し、お参りを行うという作法・考えが「受け継がれていない」

お参りをすること、そのものの機会が減っていくと「必要最低限の仏事マナー」までわからなくなります。

単純にどのような子ども、学生、社会人と「死や葬儀・法事などの場」にどのように向き合い、周囲の大人を見てきたのかで考え方や人生が大きく変わります。

私の尊敬する人は、「ご先祖・お仏壇・神棚・寺社仏閣などへのお参りを大切」にし「例外なく仏事マナーを一定以上ご存知の方」ばかりです。

大人になると、おせっかいでは「教えてもらえない」

仏事に限らず、世間一般的とされている「作法・考え方」は大人になると教えてはもらえません。

それは幼少期に周囲の人が教えてくれなかったから悪いのではなく、
「自身が求めなかった」
「吸収しなかった」
「興味がなかった」

これらが原因です。

歳を重ねれば重ねるほど、人はだんだんと「おせっかい」で物事を教えてくれなくなります。

しかし、学び続ける「意欲がある人」には積極的に周囲の人は教え続けてくれます。

だからこそ、人は「生きている以上、自分自身で学び続ける必要がある」と私は思います。


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