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『もののけ姫』を見た(若干ネタバレあり)

 映画のいいところは、頭よりも先に心で感じることができることだ。鑑賞後、心の奥の方では、物語の本質を感じることができているような感覚がある。しかしそれをうまく言葉にすることができない。言葉にできないからこそ、それを映画にするのだろう。だから言葉にできない感覚は、ある意味正解とも言えるのかもしれない。

 映画を見たり、本を読んだりするとき、作品への入り込み方は2種類ある。一つは、登場人物に感情移入して物語を体験する作品。もう一つは、登場人物や物語を通して作り手の思想を感じたり、その世界観を味わう作品だ。もののけ姫は後者だった。
 宮崎駿監督の紡いだ世界に、ただ圧倒された。生きることをこんなにも肯定し、褒めてくれる作品に、私は初めて出会った。美しい映画だ。

 私の中に二つの矛盾する思いがあった。一人は、言葉にしなくてもいいのだと言っている。全てを言葉にしなくても、確かにここにあるのだから、と。
 しかしもう一人の私が「言葉にしたい」と、もがいている。拙い文でも、この衝動を忘れる前に、全て言葉にしておきたいと叫んでいる。
 自分の脳が理解できる容量を超えているところもあった。だから作品を理解するというよりも、心で感じたことを言葉にすることを重点において、この映画について語ろうと思う。

「誰にも定めは変えられない。ただ、待つか、自ら赴くかは変えられる。(中略)その道に赴き、曇りのない眼で物事を見定めるなら、あるいはその呪いを断つ道が見つかるかもしれん」

 森と人間、彼はどちらも助けようとし、憎しみに身を委ねた人は止めようとする。人間や森、種族など、人の肩書きという表面の部分だけで判断しない。作中でタタラ場の人に「あいつ、どっちの味方だよ」って言われていたが、それこそが彼の美しい部分だと思った。
 アシタカは「曇りのない眼で物事を見定める」という言葉通りの、まっすぐな瞳を持った人だと思った。アシタカの行動には、その言葉が核となっているように感じた。

 アシタカは自分の信じたものを信じ抜く勇気と、真実を見る眼を持っている。まっすぐに澄んだ心で物事を見ることができるからこそ、あんなふうに行動できるのだろう。
 自分の中にある真実を信じ切れる覚悟、その真っ直ぐな瞳が男前すぎて、胸を打たれてしまった。

 映画の中には、「生きろ」という強いメッセージが、たくさん散りばめられている。強い希望を与えてくれるにもかかわらず、物語の中には、残酷なほど「死」も同時に描かれている。死と生は繋がっていて、二つで一つなのだろう。

モロ「小僧 お前には聞こえまい、猪どもに食い荒らされる森の悲鳴が。私はここで朽ちていく体と森の悲鳴に耳を傾けながら、あの女を待っている。あいつの頭を噛み砕く瞬間を夢見ながら…」

 このセリフ、美輪明宏さんの声の演技には、鳥肌が立った。後から3回くらい見返した。なんていうんだろうか、この体温のある声。胸にズドンと入ってくる感じ。ぞくりとした。

 戦争、苦しみ、憎しみから生まれた人や森の悲鳴。そういう出来事を忘れてはいけないというように、しっかりと描く。その上で、アシタカというキャラクターによって、生きていく力を与えてくれる。映画鑑賞は体験だということを、ありありと実感した。


「生きることは、とても苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい」

 ただ生きる。それだけのことなのに、生きるってなんて難しいのだろう。

 目を背けたくなるような出来事。耳を塞ぎたくなるような言葉。死にたいと静かに泣く夜。できれば触れていくない感情とも出会う。それでもなんとか生きていれば、「生きていて良かった」と思えるような、この上ない幸せな瞬間が、たくさんやってくる。
 苦しいのは生きている証だ。悩むほど、苦しむほど、自分が懸命に生きることに向き合えているということだ。だから私は、胸を張って生きることにした。

「生きてりゃなんとかなる!」

「みんな見ろ!これが身の内に巣くう憎しみと恨みの姿だ!肉を腐らせ、死を呼び寄せる呪いだ。これ以上、憎しみに身を委ねるな!」

 呪いとは、どんな人の心の中にも存在する。憎しみや恨みといった感情が、自分の中の魔物に火をつけるのかもしれない。

 この映画には悪役らしい悪役も、「悪役を懲らしめる」という展開も出てこない。それが優しくて、心地良い。誰だって、良くも悪くも、何にでもなる。誰でも過ちは犯す。この物語を作った人は、なんて心の広い人なのだろうと思った。
 自分の過ちに気づき、罰を受け、やり直そうと軌道修正できるのは、まっすぐであるという証だ。

 これから、何度も苦しみを味わっていくだろうと思う。それでも、生きたい。何度間違えても、何度も修正しながら、まっすぐに生きたい。生きねばならない。
 この映画を見終わった時、私は少しだけ強くなれたような気がした。


 半年前、「ハウルの動く城」の映画を見て、衝撃を受けた。監督の表現力、思想、言葉、そういったものが全て詰まったその一つの作品に、圧倒された。その衝撃はうまく言葉にできない。だけど、ようやく宮崎駿監督の作品を理解できる年齢になってきた、という実感が湧いて、とても嬉しかった。
 宮崎駿監督の作品で見たことのない映画がまだいくつもある。見たことはあるけれど、理解しきれていない作品もある。いつかその作品を観ること、そしてその意味を味わえる自分になるのが、楽しみだ。

 今はまだ、その作品を少しずつ味わっていくという旅の途中だ。焦らず、ゆっくりと時間をかけて、作品を味わいたいと思う。「一生のうちにやりたいと心から思えること」というのは、こうして少しずつ、見つかっていくものなのかもしれない。

 映画鑑賞は、音と視覚を通じて、心に直接届くような、感覚的な体験だと思う。文学作品は自分で能動的に掴みに行ける感覚だが、映画はすっぽりとその思想に包まれて、ふわふわと心地よく溺れているような感覚がある。私は映画を観た時の、その感覚が好きだ。

 そして最上の映画体験を味わわせてくれる、映画館が好きだ。映画館でまた復活上映する機会があれば、ぜひ足を運びたい。いつか、一生のうちに、この映画を映画館で体感できたら、この上ない幸せだろう。

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