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文章を書くということ

 私は文章を書く時、パソコンに打ち込むのが好きだ。取り止めもなく溢れ出してくる言葉を、何一つこぼさずに、受け止めてくれるような気がするから。

 キーボードのタイピングする時の、スピード感ある感触がとても好きで、最近、キーボードで文章を書くことに慣れてきてしまった。

 文章を書くことは、私にとって、もはやなくてはならない存在になっていた。
 書かないと気持ちが悪くて、感じたことや思い浮かんだことを書かないと気が済まない。たとえそれが本や音楽でも、ドラマやアニメを見ていても、とにかくどんな形であれ、好きな言葉も、体験した出来事も、自分の中で感じたことも、記録しておかないと気が済まない。

 そんな文章を書いているとき、私の頭の中がどうなっているのか。何を思いながら文章を書いているのか。私はふと、それを文章にしてみたいという気持ちが湧いてきて、私は「文章を書くこと」について、書いてみることにした。


書き出す

 始まりは、空白のメモ帳。そこに思い浮かんだことをぽつりぽつりと書いていく。
「独り言を、ほんの少しだけ」
 そう思って書き始めたはずなのに、話題がコロコロ変わったりもしながら、気づけばとんでもない長文になっていたりする。一つ一つの感情とか、言葉と向き合っているうちに、枝分かれしていくみたいに、どんどん溢れ出してくる。

 何も考えずに歩いていたら、気づけば目的地の近所のスーパーを通り越して全く知らない街にいて、「あれ、こんなところまで来てたんだ」みたいな。例えるならば、そんな感じだろうか。

 ただ闇雲に、今考えていることに素直に形を作っていくだけ。自分の目に見えない感情を、ひたすら模写していくだけ。だから、書き出すこと自体は何の苦しさもない。むしろ、一番楽しいのは書き出す時かもしれない。


 いつも書き始めると止まらない。まるで私がその言葉を書くのだと、あらかじめ決まっていたみたいに、自然と文章が湧き出してくるのだ。
 言葉の世界に没頭し始めると、いつまでも書き続けられそうな錯覚にさえ陥る。しかし、ある時、ぷつんと糸が切れたかのように、腕が止まる。
 気づけば数時間が経過していて、はっと現実に戻る。

 そして呆然と、自分の書いた文章を眺めてみる。
 「ああ、私ってこんなことを考えているんだ」
 その時、私は初めて自分と目があったような気がしてくる。自分そのものだったはずのその文章が、自分の手から離れた途端、まるで他人のように思えてくる。そういう瞬間が、時々ある。まるで私の中からもう一人、自分を生み出したみたいだ。
 変わっていくこと、成長することって、そういうことなのかもしれない。私の中で、「変化」という言葉の意味を、少しだけ理解できたような気がした。


見直して、編集する

 そこまではいい。いいのだ。いくらでも書き続けられる。私が面倒なのは、その後、文章を編集する作業。それが何とも億劫なのだ。
 少しずつ引き伸ばしているうちに、どんどん下書きばかりが溜まっていく。更新頻度が低くなるのはそのせいだ。これは全く困った問題である。

 私は本当に思ったままに心に浮かんだことをつらつらと書く。そのため、よく話が逸れる。そのため、テーマを絞ったり、結局何が言いたいのか、文章の軸を見つけなくてはならない。

 文章を書き出す時は自分でも、「こんなに夢中になって書いているけど、私は一体何について語っているんだ?」と、何を言いたいのか、わからなくなることがよくある。
 それを読みやすい文章に修正したり、切り取ったり、移動したりして、文章を読みやすく編集していく作業が大変だ。


 もちろん、編集作業には、良い側面もある。
 編集作業は全く嫌いというわけではなくて、できる時にはできる。ただ文章を感情のままに書き出す自分と、冷静に編集する自分は、正反対な場所にある。だから心を切り替えるのが、なかなか難しい。

 そういう時は、とりあえず始めてみると、少しずつ切り替えられたりする。(切り替わらないときは諦めて、散歩へ行ったり、おいしいものを食べたり、眠ったり、他のことに没頭したりする。)

 書き出した時にはぼんやりとしか見えなかった。しかし、文章をまとめたり修正したり、編集していくうちに、それが少しずつだんだん明確になってくる。自分の言いたいことが少しずつわかってくる。それはそれで気持ちがいい。

 文章を完成させて、自分の感情を形にして、投稿することで、自分の人生に一つ、小さなピリオドを打てたような気がして、嬉しくなる。


タイトルを考える

 私はタイトルをつけるのが苦手だ。今の自分を自由に書き連ねた感情に、タイトルをつけるようなものだから。いつもタイトルを考えるのが一番悩むし、これでいいのか不安になりながら、いつも苦し紛れに投稿している。

 そもそも私は、何かテーマに合わせて文章を書くことが得意ではない。このテーマについて書きなさいって言われると、何だか窮屈で、一気に「授業」感が増すから嫌だ、というわがままなこだわりがある。

 テーマが先にあって書いた文章は、どうしても学校で書く作文のような義務感が付属してきて、書くことで楽しさを得ることができない。どうせ書くなら楽しく書きたい。
 私は授業中に書く「作文」じゃなくて、休み時間に描く「自由帳」の落描きみたいな文章が好きだ。真っ白な空間に、自分の思い浮かんだことで自由に埋めていくのが楽しくて、没頭してしまう。

 だからテーマやタイトルは、いつも後から考える。そういうと何だか変な話かもしれない。しかし、私の場合、言いたいことがまとまらないまま書き始めた方が、文章が書きやすいので仕方がない。

 タグもタイトルも、後から、パズルのピースを合わせるみたいに決めていく。
 どんな完成形になるかわからないまま、「これは何だろうね」って考えながら、パズルを組み立てるような感じかもしれない。そうして完成したパズルを見ると、「私がずっと言いたかったことって、これだったのか」と初めてわかるのだ。


これから

 更新は、せめて月に一回、とは思っている。それは更新しなきゃという義務感から決めていることではなく、自分がエッセイを書く時間を、せめて月に一回でも作って、投稿して、人目に触れさせたいからだった。

 だから、もういっそのこと、月に一回を固定して、それを毎月のルーティンにしてみるのはどうだろう。

 毎日も毎週もキツい。それなら、毎月、一ヶ月を振り返りながら、思ったことを書く。それ以外に、気が向いたら、本や映画などの趣味について、自由に気が向いた時に書けばいい。よし、そうしよう。それなら無理なく続けられそう。