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氷雨はつらいよ

雨の日にグレーのズボンを履いてはいけないことを忘れる日がある。それが今日です。小降りでも大降りでもない雨の中、図書館まで歩いているうちに右ふくらはぎに冷えを感じ、確認すると見たことがないくらい濡れている。最近買った防水スニーカーの靴底の形状のせいなのか、全ての水はねを右ふくらはぎ(やや内側)が吸い取っているとしか思えない濡れ様だった。見たことがないくらいというのは、比較対象としてこれまで自分自身に起こったことだけでなく、他人がそういうふうになっていることも含んでいて、きっとわたしの後ろを歩いた人はギョッとしただろう。

なぜ雨の日にグレーのズボンを選んでしまったのか考えてみると、上に着るアウターも防水スニーカーも黒だったからである。黒・黒・黒になる(ちなみに髪も黒いので黒・黒・黒・黒になる)のを避けて、黒・グレー・黒にしたいと思ったのが間違いだった。黒・黒・黒でよかったじゃないか。濡れてもそれとわからない色を選択すればよかったじゃないか。でもアウターと雨用のスニーカーをどっちも黒しか持っていないのがそもそも良くない気もしてきた。

いや待て、水濡れによる周囲からの視線だけを考えていていいのだろうか。わたしの右ふくらはぎは室内に入って1時間経ったいまもぐしょぐしょだ。ひんやりして寒い。今日は最高気温が10℃に満たない。右ふくらはぎが濡れたまま、帰宅のために再度外に出て歩いたら、さらに冷たくなってとても辛いんじゃないだろうか。痛い視線よりも、自分の身体の苦痛を取り除こうよ。

というか、目立った水溜りも踏んでいないのに、こんなに濡れるのはどういうことなんだ?靴底についた水分が、歩行動作とともに全て後ろ側に流れる設計なんだろうか。……ランニングシューズメーカーだからありえるかもしれない。ランニングをしているときに前方に水が流れると、飛び散らばっていく水滴の行方が視界をちらついて走りに集中できなくなるので、全部後ろに追いやっているのかもしれない。こうしている間にもふくらはぎが寒い…。

思えば雨の日の服装については、社会人になったときからやたら悩むようになった。会社員にとって通勤が会社勤めをするなかでトップレベルにストレスフルな行為なので(それゆえに、通勤訓練なんてものが存在する)、雨の日の通勤をより快適にしたいと思って色々試してきたのだ。

最初は足が濡れないように、防水の靴が欲しいと思って、防水のローファーを買った。防水のローファーなのに、その靴底はぺろんとしていて、駅構内のツルツルしたタイルのうえなどで何度か滑って転びそうになった。あと、ローファーぐらいの浅履きだと、足の甲から靴下までどんどん濡れていく。豪雨でも通勤しなければならない日のために、ポンチョを買った。アウトドアブランドの結構上等なやつで、ふとももまで隠れる丈なので風が強く吹いても脚が濡れづらかった。でも梅雨時期になると透湿性能が追いつかず、カビ臭い満員電車の中でじっとり汗をかいた。その後、脚が濡れるのは仕方ないと割り切り、乾きやすい黒いズボンを雨用にした。でも渇きやすい分薄いサッカー生地でできていたので、梅雨から夏の雨の日にしか履けなかった。

雨の日になれば、他人はどんな風にその日の天気を凌いでいるのだろうと思い、電車に座る人の足元をよく見た。するとガチガチの防水スニーカーを履いている人なんてほとんどいない。ましてたまにビーサンの人を見る(夏限定だが)。雨で足が濡れることは避けられないから、いっそ濡らしてしまえという流儀の人も一定数いて、己の世界との違いを感じる。わたしは絶対足を濡らしたくない派で、濡れたときには有事のアンパンマンぐらい使い物にならない。今日も図書館で人々の足元を観察したが、一番防水しているひとでショートブーツ型の長靴だろうか。まだ冬だからそれはいいんだけど、ブーツの季節じゃなくなったらその人は何を履くんだろうか。

だがしかし、そもそも雨の日は図書館に来る人が少ないことにわたしは気づいている。雨を避けて外に出ない人がかなりの数いる。わたしだってリモートワークが導入されてからは、雨の日の通勤を避けていた。でも今は、会社に行けるようになるために雨の日も風の日も外出しなければならなくて、また会社に復帰してもしばらくは(1年ぐらい)リモートワークは制限されるようだし、また四季折々の雨の日ファッションに苦悩しなければならないんだ……と現実を突きつけられる。こんなことで、やはり貧弱な精神。

防水スニーカーは、雨の日も晴れの日も、何にも考えず同じ靴を履いて出かけられるように買ったものだった。どんなコーディネートにも合いそうなデザインを選んだ。軽くて、防水感がなくて、昔はあれほど探しても気に入ったものがなかったのに、数年経てば防水スニーカーも進化するもんだな、と納得の一品だった。これまでは晴れの日が続いていて、昨日は小雨、今日がはじめての普通のボリュームの雨だった。普通の雨なんだけどなあ……。豪雨でもなんでもないんだけどなあ……。スニーカーのデザインとわたしの歩き癖の相性が悪かったかなあ……(それはそう)。晴れの日は調子が良かっただけに、雨の日の実力を見るのを楽しみにしていたし、実際スニーカー表面の防水性能はなんら問題なく機能していて、前だけを見てるんるん図書館まで歩いてきたんだ。だが後悔冷めやらず。なお、脚のほうは冷え切ってます。

スニーカーの底の形状を観察した。前述の想定はあながち間違いではなさそうだった。なんなら悪い方にその上をいっていた。靴の軽量化を図るために靴底にはいくつもの空洞が空いていた。というかちくわを横に並べて靴底にしているかんじ。ただしちくわは真ん中で切られていて、その間に通路がある。おそらく、ちくわの穴はスニーカー周辺の水分を外から取り入れ、内側の通路に排出し、通路の水はつま先からかかとの方向に流れていっている。この靴底は靴底が触れた周囲の水をすべて吸い取ってかかとから排出している気がする。

この靴と共に雨の日も風の日も添い遂げるために、わたしにできることは、まじで全力で水溜りを避けることなんじゃないだろうか。靴の底からちくわの穴までの距離は1センチに満たず、5ミリ程度だろう。高さ5ミリを超えて水が溜まっている箇所は絶対に歩かないようにする。もしかしたら往路のわたしは、防水スニーカーの性能にかまけて、無意識にるんるんと、ちょっとした水たまりをバシャバシャ歩いていたのかもしれない。まだ雨は降り続いている。復路は慎重を期して歩こう。結果はおうちで確かめよう。

雨の図書館は静かだ。本の保護のために完全に調湿されているのか、室内の快適度は高い。雨でも図書館に来る人には明確な目的があろう。わたしもその一人である。濡れたズボンが乾く頃にはお昼時になり、昼食をとりに一旦帰宅する。そろりそろりと歩いて、少しでも水が溜まっているところを避けた。いつもの雨の日より神経を使って歩いた。でもやっぱり右脚が寒いんである。いつの間にか結局往路と同じぐらい濡れていた。わたしの物理科学的な想定は、ひとつも真実を捉えていなくて、結局はスニーカーの形状と歩き癖の問題なんだと諦めた。昼食後、撥水ズボンに着替えて、またあのスニーカーを履いて家を出た。雨は上がっていた。

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