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口紅ひとつ

うちは自営業なので、おそうじのおばちゃんがいた。
高校生のころだったか、あたらしくきたおばちゃんは、ほぼ初対面で、「離婚したの。熟年離婚。いま流行りの」という。
それまで専業主婦で、子はなく、自分の葬式費用くらいはためたくて、きたらしい。
 
自分の葬式費用!
十六やそこらの高校生には、なかなかパンチのあるひとことだった。
 
はじめての給料日らしかった。
おばちゃんは、給料袋からさっと千円札を二枚とりだして、「はい、ねえちゃん、おこづかい」といった。
ひらっと、目の前でゆれる千円札。あわてて断った。
わりと押し問答をした。おばちゃんはどうしても、目の前の高校生にこづかいを渡したい。律儀な高校生は、そんなものはもらえない。
おばちゃんは代々何人もいたが、今も昔も、そんなことがあったのはその人だけだった。
  
パソコンをさわっていると、「ねえちゃんはいつも勉強してえらいね」という。
こころの底から、パソコンがイコール勉強になっている世代の、清廉な眼。
さぼり中のわたしは気まずい。
パソコンなんて、遊んでいるからさわっているのである。
毎回てきとうに返したけど、毎回ほめられた。
おばちゃんも、すこし使えるようになりたいらしい。
パソコンのことを、特別な鍛錬をもとめられる、なにかすてきな夢をかなえてくれるマシンのようにいう。
あやつれるようになったら、なにか大きく道がひらけてくる万能のツールのように、だいじそうにいう。
ヘルパー3級をとるのと、パソコン初級のために、市の講座に通いだしたらしい。
「おばちゃん、パソコンなんて簡単やからちょっと教えたるで」といったら、突然、眼に大粒のなみだをこぼした。小柄な体で立ったまま、真っ赤に眼をはらせて、ぼろぼろ泣いた。照れもせず、なみだも隠さず、立ちほうけた。どうしていいかわからない高校生。
 
どうしていいかわからない高校生つながりでいえば、「ここのおうちのワンちゃんになりたい」とも、たまにいった。うちのゴールデンレトリバーのように、おおきなおうちで、ごはんをもらって、かわいがられて、なに不自由なく暮らしたい。
それを母にいったら、「さびしい人やからなあ」と返された。おばちゃんは、うちの犬にはあきらかになめられまくっていたが、ものすごくかわいがっていた。
 
「ここのうちの子になりたかった」とまで言った。
眼を泳がせながらしぱしぱさせるのがくせだったが、そういうときは、よりいっそうしぱしぱさせて、手ぬぐいを目元にあてて、さっと別室に走っていった。
 
よく話す人だった。もっというと、ひとりごとがものすごく多い人だった。いまどこにいるのかわかるくらい、甲高い声でなにかをつぶやいている。
  
かえりぎわには、ホワイトボードに毎回書いてあった。
「無事故の一日、ありがとうございます」
ふるえているような堅い字だった。毎回毎回、無事故、無事故と書いてあった。
きいてみたら、あたまのてっぺんから出しているような声で、夢見るように手をあわせて、「いつもね、事故だけはないようにと思っているのよ。もうね、ほんとにね、それだけ」。
 
たまに母がもらいものを横流ししたものを、持ちかえってもらうように置いておくことがあった。到来ものは、よく包みなおして、お嫁にいった。母にとっては、流れるような作業のひとつだった。おばちゃんはくどくどと、ホワイトボードに感謝の辞を仰々しく書いた。
 
さとは鹿児島だという。あまり話したがらない。貧乏人の子沢山の農家で、7人中5人はもう鬼籍に入っていた。さとに帰らないのかと聞いたら、もう出てから50年近いからと返ってきた。
 
わたしがひとり暮らしをはじめるとき、ブランドものの洋食器やカトラリーをたくさんもってきた。引き出物やなにかでもらったものを、だいじにためこんでいたらしい。中身をあけてもいない。
「おばちゃん、これいいやつやから、自分でつかったほうがいいで」
首を縦にふらない。
「日常のなかにいいものがあるっていうのは、生活を豊かにしてくれるで」
がんとしてきかない。
「スプーンとかフォークとか、ふだんつかってるやつと取り替えればいいだけやで」
けっしてゆずらない。
ねえちゃんがもっていったほうがいいという。
 
そのころわたしは大学生になっていた。引っ越しが近づいたときに、おばちゃんが餞別だと、封筒をさしだしてきた。
「口紅一本、買ってね。いいご縁がありますように」
少女のように手のひらをあわせて、やわらかいほほえみをたたえ、高い声をまろやかにまるく、ゆっくりいった。
ちょっとだけどね、ほんのちょっとしか入ってないよと、そのあと何度も念押しされた。五千円がはいっていた。
 
そのおばちゃんが、やめるという。やまいを得たらしい。母がいう。
「ちゃんとわかってはるのかなぁ。癌らしいけど、話をきいてると、けっこう進んでるみたいなのに、なんともなさそうにいうから」
鹿児島から弟さんがむかえにきて、わざわざうちにもあいさつに寄った。墨痕も力強く、薩摩の地酒とかいてある一升瓶と、筆で薩摩の方言をつらつらと書いてある、巨大な湯飲みを一個、おいていった。
「うちにきてから貯金ができたって、えらい喜んではった。それまで勤めていたところが、よほどあれやったんかなあ」
と母がいう。
おばちゃんは、かなしくなるから、ワンちゃんには会わないで帰ります、といって帰ったらしい。
 
故郷に去ってから何年も、おばちゃんからの年賀状はとどいた。母がわざわざ見せてくれる。よれよれした堅い字で、ワンちゃんは元気ですかと書いてある。
母は「ショックを受けたらあかんから、犬が死んだことは書かんとこ」という。
 
いまはもう、亡いんだろうと思う。年賀状はとどかなくなった。さすがにもう月日がたっている。でも訃報は知らない。
たまに母と話す。
「あのおばちゃんげんきかなぁ。まえのまえのおばちゃん、薩摩の湯呑みの」
「ああ、どうかなぁ。連絡はないなあ」
哀感はうすく、訃報はなく、わかれの口紅は響き、だれのピリオドをも知らなくてもいいんじゃないかとも思う。それまではつづく。

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