差別との向き合い方

LGBTQや人種差別、障がい者差別に性差別、、、、、と数えきれないほどの差別がある。

「差別はしてはいけない」そういう考えは誰しも心に持っていると思う。小学校から、やれ人権週間だ、道徳だと差別に対する向き合い方を叩き込まれてきたから。

小中学校の時には、「ガイシャ」(障がい者の略だと思われる)という言葉がちょっと変わった子に対して使われていた。その子に対しての悪意と、元の意味である障がい者に対する悪意が感じられて、私は不快だったし激しく嫌悪感を抱いた。

だけど、私は心の隅にある差別心があることを気づいていた。ガイシャと言う子たちに嫌悪感を持つのに、同時に障がい者に対する嫌悪感を持ってしまう自分を嫌悪していた。

そしてそれから大人になり、今度はLGBTQの問題を目にし始めた。ドラマで描かれるステレオタイプのゲイ、バラエティで活躍するおかまの方たち、、、。異性愛の自分とは異なり同性を愛したり、性自認と性的嗜好の異なる人々、、、。正直なところ、ちょっとした嫌悪感を抱いてしまうことがあった。異性愛がマジョリティ(今となっては本当にそうなのかという疑問もあるが)の世界で、同性愛?本当に?思い込んでいるだけなんではないの?

よくそういった人たちの体験談などにある、理解を示さない周囲の人々のテンプレみたいな考え方が、あった。そして同時に、嫌悪感を抱くべきではない、のに抱いてしまっている自分に対する嫌悪感があった。

でもこれじゃあいけないと思った。

ていうか、例えば同性愛の人から見た異性愛の私ってどうなんだろうと思った。私が、疑ってしまうように、彼ら(彼女ら)にとって「威勢がスキってどういうこと?本当に?」って思うんじゃないだろうか。偶然にも異性愛がマジョリティだから、同性愛の人たちは自分たちが異なると感じるだけで、逆の世界とかいろいろ考えるとお互いに疑問を持ちうるんじゃないだろうか。

と思い始めた。

というわけで、私はこの差別とかいろんな問題に対して、こう考えることにした。

自分と異なるものに嫌悪感や疑問を持つのは当たり前。ということは、逆にそう思われる可能性ももちろんある。そういう人もいるんだ~~~~~ぐらいのスタンスで生きることにした。深く理解するために勉強するべきなのかとも思ったけれど、この世には私の想像がつかない人たちがいるし、どういう人とこれから関わりあっていくのかわからないし、とりあえずその人をそのまま、カテゴライズせずに、自分とは違うけどそういう人もいるよな~~~~ぐらいの感じで生きていきたいと思っている。

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