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映画「偶然と想像」昔の終わらなかった恋愛を思い出す

映画「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督作品「偶然と想像」を鑑賞した。

パンフレットに「短編集」と書かれていた通り、3つの短い恋愛と性愛に関する物語だ。それぞれの話に特につながりはないが、どれもが現在の日本社会の縮図を表しているようでもあり、不思議だけれど、どこか身に覚えのある話ばかりだった。

対話形式で進行していく作風が、エリック・ロメールや、(少しタイプは違うが)ビフォアサンライズなどを思い出させてくれて、私の好みだった。

この作品を観た直後は、前作の「ドライブ・マイ・カー」があまりにも素晴らしくて自分の心や記憶の奥深くに刻まれていたので、「あれには及ばないけど、良い映画だったな」という程度の心持ちだった。

だが、不思議なことに、観賞後しばらくしてからじわじわと自分自身を侵食してくる感覚があるのだ。

昨夜、私は久しぶりに夢をみた。
夜中にうなされて目を覚ました。

何年か前に「自分の中では終わらずに消えてしまった」かつて私が心を奪われてしまっていた相手が目の前にいた。

夢の中のその人物は、あの頃の体温や気配や匂いまで纏い、私たちは昔のように何かについて語り合っていた。思い出せば思い出すほど、憎くて仕方のない相手であるはずなのに、記憶の深いところでのその人物はかつて私自身が心を動かされていた時のままだった。

おかげで、今日は映画「偶然と想像」のなかでの出来事を1日中考えてしまっていた。

本当に凄い作品だ。

濱口監督が、あるインタビューの中で述べていた言葉が私はとても好きだ。

“ひととひとが話しているときには、そこに何らかの感情的な関係性がある”

「ひととひとが話しているときにはそこに何らかの感情的な関係性がある。感情的な関係性がいちばん深まりやすいのが恋愛であったり性的な関係であったりするわけで、自然と自分がつくる映画には常にこうした要素が絡んでくるのだと思います。」

参照元 : 恋愛や性愛にゆだねるもの。 濱口竜介監督作『偶然と想像』公開記念インタビュー
https://www.houyhnhnm.jp/feature/540001/

自分は、結婚して愛している夫もいて毎日穏やかに暮らしているが、それとは全く別のベクトルにかつて大きく感情を動かされた人物との忘れ難い会話や記憶があるということに不意に気がつかされる。

たとえ現在はその時のような感情がなくなってしまったとしても、決してそれらが「なかったこと」にはこれから先もならないということかもしれない。

だからこそ私は、対話から生まれる奇跡的な瞬間をこれからも期待し続けていくのだろうと思っている。

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