ふみなるのnote

カルト化したキリスト教会に約20年。今は何食わぬ顔で暮らしてます。吃音症がなかなかしん…

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カルト化したキリスト教会に約20年。今は何食わぬ顔で暮らしてます。吃音症がなかなかしんどい。映画やドラマやアニメの話もします。

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  • 賛美を取り返したい

    教会で賛美を歌えなくなってから、また歌えるようになるまで

最近の記事

「ハイファに戻って」読書会のお知らせ

 「ハイファに戻って」(ガッサーン・カナファーニー 著)の読書会を下記の要領で開きます。参考図書は「ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義」(岡真理 著)。参加無料です。ふるってご参加ください。 ◾️ダンとふみなるの読書会 日 時:2024年2月27日(火)20:00-22:00(Zoom開催) 参加費:無料 課題本:「ハイファに戻って」(ガッサーン・カナファーニー 著) 参考書:「ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義」(岡真理 著) 申 込:下記の参加申込フ

    • お前にそんな資格はない

      恐怖のリハーサル  教会主催のゴスペル・コンサート当日。関係者らはリハーサルに余念がない。会衆席の後方に陣取った牧師が、ワイヤレスマイクを片手に指示を出す。  「ギターちょっと上げて」  「コーラスちょっと下げて」  「バスドラムのマイク、少し離してみて」  牧師の音響チェックはいつも入念だ。いわく「最高の神様は最高の音響で讃えられなければならない」。けれど私は正直、牧師が調整する前と後の違いが分からなかった。耳が肥えていないからだろうか。「霊的」に成長していないからだ

      • 昔はヤンチャだった牧師

         「昔はヤンチャだったんですよ」牧師は言う。「学校では喧嘩三昧。後輩たちにはタカリ三昧。付き合う女の子は二股三股あたりまえ。校舎の窓は何枚割ったか分かりません。そんなオレが、今じゃ教会の牧師ですからね。人生、何が起こるか分かりません」  会衆から拍手が起こる。司会の牧師はウンウン頷く。私はボールペンを走らせる。  「では、権藤先生が神様に出会って牧師になった経緯を、お聞かせいただきましょうか」司会者が言う。「皆さん、そこが一番気になるでしょう?」  会衆から大きなアーメンが起

        • もうひとつの声/『ウーマン・トーキング 私たちの選択』

           『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を見た。  キリスト教一派が自給自足で暮らす村で、睡眠薬を飲まされた女たちが夜な夜なレイプされる。被害を訴えても「悪魔の仕業」「作り話」などと男たちから言われ、ずっとうやむやにされてきた。しかしある晩、現行犯を見つけたことで、村ぐるみの犯罪だったと判明する。男たちが不在の2日間、女たちは許すか、戦うか、去るかを決めるため話し合う。  投票の結果、戦うか去るかの二択に絞られる。女たちは納屋の2階で話し合う。この2階に手すりのない開口部

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        • 賛美を取り返したい
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          クリスチャンとお焼香

           ミサキが死んだ。  ミサキの家族や友人はあいつが「天国」へ行ったと言う。この世界より良いところへ行ったのだと。だから喜ぶべきだ、と言う人さえいる。しかし私が知っているキリスト教の教えに従えば、ミサキは地獄へ行ったはずだ。そこで永遠の責苦にあうはずだ。  ミサキの葬儀は日曜の午前10時からだと聞いた。教会の礼拝と重なる。休むしかないと思って牧師に連絡した。答えはこうだった。  「死人を葬ることは死人に任せなさい、と書いてあります」  ノンクリスチャンの葬儀はノンクリスチャ

          クリスチャンとお焼香

          ロボットは歌う/『PLUTO』

           『PLUTO』全8話を見た。  1964年の原作(『鉄腕アトム』)を2003年にリメイクしたもののアニメ版だ。今となっては見慣れたプロットが散見される。人間とロボットは見分けが付かなくなり、記憶は他者によって操作され、中東の怪しげな国が黒幕で、憎悪からは何も生まれず、悪者は最後に改心して自ら犠牲となって世界を救う。  ゲジヒトを主役にした前半はミステリー仕立て。「完全なA.I.は(人間と同じように)ミスを犯すようになる」という発想が面白い。人間に完全に近づいたロボットは

          ロボットは歌う/『PLUTO』

          チャーチスクールか、公立学校か

           ブログに以下の質問をいただいた。  小学生になるお子さんを地元の公立学校に入れるか、あるいは遠方のチャーチスクール(教派は聖霊派)に入れるか、迷っていらっしゃるとのこと。メリットとデメリットを天秤に掛けるも計りかねているご様子。私は某チャーチスクール(同じく聖霊派)で10年ほど働いたので、その経験をもとに、できるだけ公平にこの問題を考えてみたいと思う。 前提条件  ただその前に書いておきたいのは、まず子育ての正解/不正解は誰にも分からない、という点だ。子どもにとって何

          チャーチスクールか、公立学校か

          クリスチャンとお金

           教会の解散時、私はまだ30代だった。看護師免許も業務経験もあったので、再就職は難しくなかった。その点は他の成人信徒よりマシだったかもしれない。  しかし当時は貧困を極めていて、銀行預金は数ヶ月間、プラスとマイナスの間を行ったり来たりしていた。教会が早々に解散してくれなかったら破綻していたと思う。最悪な状況とギリギリセーフな状況が混在する、変な期間だったと振り返って思う。いや、それ自体が生存バイアスか。  教会のあれこれが終わり、私は割とすんなり「普通の暮らし」に戻れた。

          クリスチャンとお金

          賛美を取り返したい 第1回

          「正しい賛美」はどこ?  ながらく賛美を歌えなかった。  大好きだったワーシップソングの数々は今も耳の奥に流れている。無意識にくちずさむことさえある。けれど礼拝の場では歌えない。「こんなの嘘だ」と思ってしまう。「自分は賛美を歌うことで神を冒涜しているのかもしれない」  賛美が何なのか、私は分からなくなっていた。  私は教会でながらくドラムを叩いていた。それが神に与えられたポジションだと信じていた。「測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた」(詩篇16篇/口語訳)とあ

          賛美を取り返したい 第1回

          クリスチャンの「幸せ」

          「幸せな自分」を見せる「幸せ」  化粧水を出し過ぎた。200mlで3000円する液体が手のひらからシンクに流れ落ちていく。もったいない。どうせなら「化粧水をバシャバシャかける」やつをやれば良かった。そう思いながら手のひらに残った化粧水を顔面に塗りつけた。  疲れた夜だった。読書もしなかったし、筋トレもサボった。友人から勧められた『キリング・イブ』の続きをぼんやり見ながら歯を磨いただけだ。その夜はヴィラネルとイブがバスの中で格闘したかと思ったらキスしていた。あの二人の関係は

          クリスチャンの「幸せ」

          ただノーと言おう(Just say no)

          南青山を歩く  表参道駅のA5出口から地上に出る。目の前は南青山。さっそく銀色のベンツが路駐していた。次いで犬を散歩している近隣住民らしき人が目に入った。あのシワシワの短パンは2万円、グチャグチャに落書きされたデザインのTシャツは5万円くらいかな。早々に南青山の洗礼を受けた気がした。  しばらく行くと、コムデギャルソンの無駄に広いガラス張りの店舗が見えた。バラバラのマネキンが転がっているのはそういうディスプレイなのだろう。「ねえ、なんでこれ片付けないの?」と初めは思った。

          ただノーと言おう(Just say no)

          「霊的」という言葉が嫌いだ

           「霊的」という言葉が嫌いだ。  曖昧模糊としているのに意味がありそうな、すごいことが起こりそうなニュアンスがある。教会でさんざん聞かされた。「霊的覚醒」とか「霊的勝利」とか。一生分聞いた気がする。もう人生から退場してもらって構わない。  私の牧師が今も現役だったら「この世を霊的にインフルエンスする」とか「クリスチャンは霊的インフルエンサーであれ」とか真顔で言いそうだ。  その牧師は「常識/霊的」の二項対立が好きだった。人間が守るべき「この世の常識」と、それを超越する「

          「霊的」という言葉が嫌いだ

          泣きながら教会を出た

           泣きながら教会を出た。玄関で「また来て下さい」と言われた。「もう来ません」とはっきり返してしまった。相手は驚いたような顔をしていたと思う。直視できなかったから定かでない。そのまま教会を出て駅に向かって歩きながら、涙がボロボロこぼれた。  辛い時は映画のワンシーンを思い出すようにしている。こんな気持ちで泣きながら歩くキャラはいなかったか。真っ先に思い出したのは『ワンダーウーマン1984』のダイアナだった。スティーブと別れなければならないダイアナは泣きじゃくりながら彼のもとを

          泣きながら教会を出た

          霞ヶ浦とタバコの煙

           卒業を控えた2月は講義もなく暇だった。友だちと2人でちょっと遠出することにした。いざ、茨城の霞ヶ浦へ。最後のモラトリアム小旅行だ。  ちなみになぜ霞ヶ浦をチョイスしたのか全然覚えていない。  霞ヶ浦をご存知か。現在の様子は知らないけれど、約30年前は文字通り何もなかった。やたらでかい湖があり、土手があり、木々がまばらに生えている。以上。  「ねえ、どうする?」  「うん、どうしようか」  ノープランな僕ら。何もない霞ヶ浦。食べ物どころか飲み物さえ持ってこなかった浅はかさ

          霞ヶ浦とタバコの煙

          YAには向かないYA小説、現代社会には向かない聖書

           ホリー・ジャクソンの『卒業生には向かない真実』を読んだ。いわゆる『向かない』三部作の完結編だ。 YAには向かないYA小説  『向かない』三部作は高校生のピップがリトル・キルトンで起きた犯罪を調査したり、配信したり、時に巻き込まれたりするYA(ヤングアダルト)小説だ。一作目の『自由研究には向かない殺人』は青春ミステリーで、辛い展開はあるものの基本的に明るかった。そのトーンが二作目『優等生は探偵に向かない』の終盤でガラリと変わり、三作目『卒業生には向かない真実』は序盤からし

          YAには向かないYA小説、現代社会には向かない聖書

          それでも生きていく

           カルト化教会での20年は間違いなく人生における損失だった。  「良い点もあった」のが事実だとしても、肯定できるものではないと思う。もし時間を戻してやり直せるとして、その「良い点」とやらのためにもう一度カルト化教会で20年過ごす人なんていないだろうから(少なくとも自分はごめんだ)。アメ玉一個のために鞭打ち100回受けたい人がいないのと同じように。だからこういう話で「良い点もあった」とは言わないでほしい。  しかし現実問題、時間は戻せない。だからカルト化教会での20年を含めて

          それでも生きていく