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「悪魔」に会ったことでもあるの?

 聖霊派系の教会にいるとよく「悪魔」の話を聞く。
 「悪魔」は狡猾にクリスチャンを堕落させようとしてくるらしい。そして信者でない人がクリスチャンになるのを全力で阻止してくるらしい。他にもこんな言説を聞いた。

 「悪魔は自分の存在を隠す」
 「悪魔など存在しないと人間に思わせようとする」
 「稀代の嘘つき」
 「聖書の言葉を巧妙に使って罠を仕掛ける」
 「悪魔の攻撃は霊的であって物理的ではない」

 界隈で有名な書籍『思考という名の戦場』は、「人間の思考は常に悪魔との交戦状態にある」という主張を展開している。同書の出版以来、著者を持ち上げる教派では、それが一般的な「キリスト教悪魔論」となっている。

 一方で、海外で宣教してきた(聖霊派系の)宣教師や牧師が高確率で話すのが、「人間に憑依した悪魔を追い出した」という類の「悪魔祓い」譚。特に多いのが「か細い少女が悪魔に憑かれて、野太い低音ヴォイスで叫び、筋骨隆々の男のような腕力で暴れ回る」というようなもの。「悪魔」も若い女性が好みなのだろうか。映画『エクソシスト』以来、この手のステレオタイプが蔓延しすぎている。

 それに「人間に憑依して暴れる悪魔」というのは、前述の「悪魔の攻撃は霊的であって物理的ではない」に反する。一貫性がない。このあたりは「悪魔」好きな人たちで話し合った方がいい。

 私も教会でその手の話を沢山聞いたので、「そういうものか」と無批判に考えていた。もちろん「悪魔」を見たことも、何らかの形でその「攻撃」を経験したもない。けれどあまりに日常的に聞き続けたせいか、いつの間にか「悪魔とはそういうもの」と考えるようになっていた。

 実際に遭遇したことはないけれど、話にはよく聞く。遭遇した人もいるらしい。私にとって「悪魔」とはそんな存在だった。子どもの頃に流行った「口裂け女」に似ている。ほとんど都市伝説。

 かくいう私も教会で色々経験して、「悪魔」など気にしている場合でないと気付いた。私に言わせれば、教会で聞かされる「悪魔」話は大抵嘘だ。あるいは伝言ゲームみたいに、右から左へそのまま語り継いでいるだけだ。真偽の確認などしていない。無責任にも程がある。

 それより警戒すべきは、「悪魔」のような人間のことだ。人間は時に最悪の悪魔になる。人間の悪を積算したらおそらく「悪魔」など必要ないくらい悪が積み上がる。むしろ人間こそ「悪魔」なのだ。

 この世界では今日もあちこちで沢山の悪いことが起きている。実在しない「悪魔」のことで盛り上がれる、その立場自体がおめでたい。そういうクリスチャンはもっと現実を見た方がいい。

 そもそも「悪魔とは……」などとご高説を垂れるあなた、「悪魔」に会ったことでもあるの? なんでそんな自信満々に語れるの? そこから考え直した方がいい。

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