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浅い好きがたくさんあってもいいじゃない
たまたま入ったお店のBGMで、クレイジーケンバンドが流れていた。
過去の恋人の影響で、知っている曲もお気に入りの曲もある。けれどメンバーのことは、剣さんのことしか知らない。メンバーがたくさんいて覚えきれない。
要するに「浅い好き」なのであった。
「あーわたし好きなんですよね、なんかいいですよね」
すると同席していた友人に「このギターって誰が弾いてるの?」と聞かれた。
おっと、わからない……。
「あ、そこまで詳しくないんです」と答えるときの恥ずかしさと言ったら。
でも、振り返って思うこと。恥ずかしがる必要はなかったんじゃないか?
◆◆◆
オタクだからか、「好き」の深度に敏感である。
「好き」は、むずかしい。
人や場面によって「好ましい」「お気に入り」「気になってる」「これがないと生きていけない」、さまざまな意味が含まれてくる。
わたしの場合は、「好ましい」「マニアになるほどではないけど、そこそこ調べるくらいには好きなもの」が圧倒的に多い。
逆にいうと、「浅い好き」が多いから、たくさんの「好き」に自分のキャパを割ける、とも言える。
たとえば、ファンを公言しているハロプロだと「毎回ライブに行くことはできないけどメンバーの動向や過去を追うくらいには好き」。
普段、愛用している万年筆なら「高い物に手を出そうとは思わないし、メーカーに詳しくないけど、ペン先の材質や太さ、インクの種類に多少こだわる程度には好き」。
食べることですら「食べ歩きしたいわけじゃないし、手間をかけるのもめんどくさいけど、家でひっそり好きなものをたくさん食べるのが好き」程度なのだ。
(こうやって書くと、ちょっと「好き」の一言に頼りすぎているかもしれない。軽率に「これ、好きです」と言ってしまっているなあ。)
「もう命をかけてでも応援し尽くすんです!」という人と比べると、やはり「浅い」と認識している。
だから、冒頭のようにツッコまれて、答えられないことはたまーにある。
たくさんの浅い好きばかりのわたしは、「この程度でしか推せなくてさーせん……」といつも恥ずかしくなってしまうのである。
◆◆◆
オタクの世界では、深い好きがえらい!みたいな風潮があると思う。その中で、浅い好きをたくさん持っていることが少し恥ずかしかった。
深みに入っていけない自分が変なのかな、なんて思っていたこともある。
でも、よくよく考えてみたら、浅い好きがたくさんあるって、全然悪いことじゃない。浅い好きがたくさんあったっていいじゃないか。
生きていて、「嫌い」「興味ない」がたくさんあるより、ちょっとでも「好き」って思えるものがたくさんあるほうが、毎日幸せハッピーなのでは?
それに、たくさんの「好き」を抱えてる、って、器の広い女、みたいな感じでかっこよくない……(?)
さすがに、まったく知らないのに大ファンです!と公言したり、好きでもないのに流行りにただ便乗したら、にわかになってしまうけど、誠実に好きだと思うなら、浅くても、好きってガンガン言っていいと思う。
自分にとっての心地よい距離感を保って、これからもたくさんの「好き」を抱えていこう。
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