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コロナ禍で感じる生きること。死ぬということ。

私の母親は心臓が悪く、去年大きな手術をしたばかり。

それも、延命のための手術であり、治るための手術ではありませんでした。

長年、生きるか死かという闘病があった中での、手術。

手術後も状況はよくなく・・・。


そしてこのコロナ禍。

会いたくても会いにいけないのです。


『もし、自分がコロナウィルスを持っていたら・・・?』


コロナに対してあまり危機感はなくなっている、という街頭インタビューをみました。


たくさんのコロナに関しての情報があふれています。

情報に振り回されないように、とは思いながら日々生活しています。


ただ、わかっているのは、私の母親にとって、新型コロナウィルスは最悪のウィルスであるということ。


そして、なぜか・・・

たまたまなのでしょうが、

今年はマタニティ、ニューボーンフォト撮影がとても多い。

命の誕生の写真を撮っています。

色々と考えてしまいますね。


命ってなんだろう、

生きるってなんだろう、と。


かわいいー!素敵ー!っていう、上っ面な撮影をしたくない、と心から思います。


今、生きているのも、先祖の人たちがつなげてくれた大事な命。


そして、その命が次の世代、また次の世代へとつながっていく。


私たちは生きているのだから、

後悔をしないように。


生き余すことなく、生きたいですね。


私は、そう、思います。

そして、母がどうかどうか、この今の期間を乗り越えてほしい、と思います。

家族みんなで母に会いにいきたい、と、切に願います。


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