「誰か」を行為の中心に置かないこと
誰からも愛される女の子がいた。
相手のことを一番に考えて、振る舞いは誰が見ても好きになってしまう。
その子が、なんでこんなに他者に気を遣えるのかが気になった。
「私は人と話す時にすごく考える。相手からどう思われるのかとか。だって、私は、他人軸で生きているから。
だから、逆に自分の時間とかはあまりいらない。
友達とのご飯の時に、時間とお金を使いたい。だから1人で何かするときはコスパしか考えていない。」と語った。
「あなたのためを思って言っているのよ」なんて物言いを親や教師はよくします。
だが、大抵人間は自分のことしか考えていない。考えられない。
人間は他人の人生に責任をとれるものではない。
ところでこの「あなたのためを思って」は意外に根が深い。
「あの人に認められたい」「この人に振り向いて欲しい」ということはよくある。
一見強い動機に見える。
もし「あの人」が消えたら、「この人が」心変わりしたら、そのせっかくの行為はどうなってしまうのでしょうか。
人の心は変わりゆるものだし、何よりも安定していない。「誰か」を生け贄にする行為はそもそも強いのでしょうか。
いいえ。弱い。なによりその大切な「誰か」を退屈させてしまうことになる。
だからこそ、行為は「誰かのため」ではなく、より「自分のため」であった方がいい。
私の親友は
「気を遣えるって素晴らしい能力だと思う。
ほんとうにほんとうにすごい。
でも、本当に気を遣える人なら、自分にも気を遣ってあげてほしい。
それから、本気で相手のために気を遣える時って幸せですよね。」
と打って寝落ちした。
自分を大切にできる人にしか分からない
相手を大切にする方法があるのかもしれない。
よりエゴイスティックな、より本能に根ざした、より下心に根差した動機を設定した方がよい。
その内面的な行為の方が、揺らぎにくく、尚且つ、不滅だからです。
だから、ベロンベロンに酔わせてみたいのです
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