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シロキのおはなし。

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ぼくのこと。時系列はめちゃくちゃ。思い出した順に書きます。
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#家族

火傷とお灸と我慢の話。

うちのじいちゃんは、ものづくりが得意だった。何か壊れても自分で直すし、大工仕事のようなことも自分でしていた。具合に影響はなかったけれど、腰が昔から曲がっていたんだが、それをもろともせずに。パワフルだった。特に脳みそがパワフルだった。

ある日、何がこわれたかもう覚えていないけれど、電気系統のものが壊れて、電気回路を修理してくれていた。

僕はハンダゴテというものを初めてみて、ハンダ付けするのを横か

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僕とおばあちゃん。

僕はずっと長崎の山の上で育った。引っ越しも高校卒業までしたことがなくて、うちはずっとあそこだったのだろうと思って育ったのだが、そうではなかった。両親も祖父母も色んなところに住んだことがあって、僕が産まれる年、同居を始めたのがあの家だった。

諸事情で今はもうなくなってしまったが、生まれた時からあの家で、生まれた時から家族みんながいた。特におばあちゃんは、小さい頃から何をする時も一緒で、親族一同認め

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ファンキーなじいちゃん。

うちは三世帯家族でした。でしたというのは祖父母がもうなくなってしまったから。なかなかに個性のぶつかり合いというか、似たところがあまりない、人間が6人も一緒に暮らしていたもんですから、やはりなかなか大変でした。表立って喧嘩はないけれど、雰囲気が悪いなんてことは日常茶飯事で。そんな一家のトップに君臨していたのがじいちゃんだったかなぁと思います。今日はそんなじいちゃんのおはなし。

じいちゃんはとにかく

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