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この夏観た映画~イタリアの黒歴史


 日中はまだまだ夏のような陽気が続くローマだが、朝晩はすっかり涼しく、日がうんと短くなって気がつけば10月も下旬に入ってしまった。すっかり忘れかかった記憶をたどって、この夏の間に観たイタリア映画3本の復習を。(以下、完全ネタバレ注意。)

Il Signore delle formiche

 究極のラブストーリー。そう言ってしまうと、むしろ興味を失ってしまう方もいるかもしれない。誤解を招く表現は避けたいところだが、この夏、日本への帰国便の機内で観た、ある意味静かに衝撃的だった「Il Signore delle formiche(蟻紳士、仮訳)」は、悲しくも美しいラブストーリーだった。
 1950年代末のイタリア、北部エミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ郊外。新鋭のインテリらしきアルド・ブライバンティの元に若き男女の学生らが集っている。どうやら演劇の稽古をしているようだ。学生たちに時に声を荒げて熱心に指導する黒縁メガネの男は、パゾリーニを彷彿とさせる。裕福な家庭に育ち、快活で利発な青年エットレは、兄リッカルドの影響でこの「サロン」に通い始めるが、その兄を「差し置いて」ブライバンティに気に入られるようになる。
 初めは師弟愛に見えたその関係はやがて、真の恋愛へと発展する。同性同士の、許されぬ恋。エットレは家を出、ローマに移るブライバンティに従う。だがその愛の巣は、エットレの母と兄に見つけ出され、エットレは強制的に連れ去られ、精神病院に送られてしまう。美しく聡明であった青年は、電気ショックを伴う病院のあらゆる「治療」や制限、強制の中で、見るも見かねぬ姿に変わっていく。
 一方、教唆罪で起訴されたブライバンティは、反論を試みることなく、14年の求刑を受け入れる。この作品は、「ブライバンティ事件」として詳細を追ったジャーナリストの視点で描かれている。常に新たな役どころで新しい顔を見せるエリオ・ジェルマーノがジャーナリスト役で前後をピリリと締める。
 母親の葬儀に出席するため、一時帰郷を許されたブライバンティは、エットレの消息を耳にする。その帰路に、家族にも見放されたエットレ本人に、偶然出会い・・・。悲しくも美しいエンディングに引き込まれた。
 2022年、第79回ヴェネツィア映画祭コンペ出品。

Il Signore delle formiche
ジャンニ・アメリオ監督、伊、130分、2022年
出演 ルイージ・ロ・カッショ、エリオ・ジェルマーノ、レオナルド・マルテーゼ、他


Rapito

 前者が悲しくも美しきラブストーリーなら、こちらはその名も「Il Rapito(誘拐)」、完全にイタリア、いやバチカンの真っ黒な黒歴史、恐ろしくおぞましく、ちょっとしたホラーよりもずっと怖かった。1858年、(そういえばこちらも)エミリア・ロマーニャ州のボローニャ。敬虔なユダヤ人家族の元にある日、警察がやってきて、子供たちのうちの一人、7歳の少年エドガルドを無理矢理連れ去ってしまう。理由は、「洗礼を受けたクリスチャンは、ユダヤ人の元で育てられてはならないから」。そして、同少年は、生まれたばかりの頃に洗礼を受けている、と言う。当然のことながら、全く身に覚えのないユダヤ人夫婦、だが、エドガルドがまだ乳児の時に一度、大病をした際に、家に出入りしていたお手伝いの女性が、「洗礼を受けずに死ぬと天国に行けない」と言われ、命を失いつつある小さな赤子を「かわいそうに」思った彼女は、密かに寝所で洗礼を施してしまう。彼女に果たしてどこまでの気があったのか。イタリアが統一を果たす前の、教皇庁領のボローニャ。役所は、その洗礼を有効とし、従ってエドガルドはカトリック信者であるとした。
 世論を動かす両親の作戦も功を奏することなく、エドガルドはローマの、同じような子供たちが集められた寄宿舎へ入れられる。ベッドでこっそりとユダヤの祈りを唱え、涙にくれるエドガルド。面会を求めやってきた両親は無常にも「次にリッカルドに会えるのは一家全員がカトリックに改宗したとき」と告げられる。
 1870年。9年前に統一を果たしたイタリアに、最後、教皇庁の牙城であったローマが「陥落」する。ローマ「解放」にやってきたエドガルドの兄の一人、(これまた)リッカルドは、修道院にいたエドガルドを見つけ出す。「家に帰ろう」と声をかける兄に、「自分の家はここだ」と拒絶するエドガルド。10年を超える「教育」の末に、エドガルドは敬虔なカトリックの宣教師に育っていた。
 母親の最期に、「誘拐」後初めて帰宅したリッカルドは、母に洗礼を促して「私はユダヤ人として死にたい」と拒否されるのだった・・・。
 後から気がついたのだが、誘拐され、修道院で教育を受けて修道士となってからのエドガルド青年は、上述「Il signore delle formiche」で悲恋の青年を演じたのと同じ俳優レオナルド・マルテーゼだった。難しい役どころで強い印象を与えたマルテーゼ青年の今後の活躍が楽しみになった。
 2023年、第76回カンヌ映画祭コンペ出品。

Rapito
マルコ・ベッロッキオ監督、伊、仏、独、134分、2023年
出演 パオロ・ピエロボン、ファウスト・ルッシ・アレージ、バルバラ・ロンキ、エネア・サーラ、レオナルド・マルテーゼ、他


Io Capitano

 2023年、第80回ヴェネツィア映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)及び、最優秀新人賞を獲得した「 Io Capitano(俺、キャプテン、仮訳)」は、セネガルの青年2人が、ヨーロッパを目指し地中海を船で渡る物語。日々、そうした移民たちが船でイタリアの最南端の島やシチリアにたどり着き、あるいは不幸にも目前で難破し、救助され、収容され・・・そんなニュースがイタリアでは日々絶えない。内戦や迫害、あるいは飢饉や貧困から逃れ、ヨーロッパに新たな人生を求め、危険を犯しても海を渡る人々。だが、ここではまず、そうして渡ってくる人々が、少なくとも困難から脱出するためだけでもないことも知る。
 裕福ではないけれど、スマホを持ち学校に通う彼らは、ヨーロッパで有名なミュージシャンになることを夢見て、家族に内緒でアルバイトしたお金を貯めて、海を渡ることを目指す。ならばなぜ、例えば最初は語学学校に通うなど学生ビザで正々堂々と入国し、滞在しながらチャンスを狙うことをせずに、闇の大金をあちこちで費やし、いくつもの国境を越え、限りない危険を幾度も犯してなお、船による不法入国を目指すのか?アフリカの国々やイタリア、EUのそうした法律については全く疎いので、そう簡単なことではないのだろうと思いつつも、映画全編を通して疑問に感じたのはその部分だった。
 闇のバス、砂漠の案内人、ギャングもどきの国境警備隊、非人道極まれる収容所、強制労働・・・彼らを利用し、お金をむしりとり、叩きのめす、そんな関門に溢れていて、船に乗ることが既に奇跡でしかない。何のために・・・?だが、悲惨なドキュメンタリーがやがて、次々と前に立ち塞がる困難に立ち向かう、一種の冒険物語に見えてくる。そしてその映像の美に圧倒される。灼熱の陽射しの下、一切の命あるものの存在を否定するかの如き大砂漠。全ての困難を乗り越えて乗り込んだ船は、ゴールでは決してない。前も後ろも何も見えない大海原に浮かぶ船の上では、その運命は皆一体だ。
 結局何日かかったのだろう、イタリアの領海に入り、イタリアにたどり着く。だが、ここからの彼らの人生もまた、平坦ではないことを私たちは知っている。
 こちらもまた、実話に着想を得た作品。

Io Capitano
マッテオ・ガッローニ監督、伊、ベルギー、121分、2023年
出演 Saydou Sarr,、Moustapha Fallほか

22 ottobre 2023

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