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韓国ドラマ「空から降る一億の星」 〈私的考察〉

韓国で2018年に放映されたドラマ「空から降る一億の星」は、同名タイトルの日本ドラマのリメイクである。
オリジナルドラマの主演は木村拓哉、明石家さんま、深津絵里というビッグネーム3人。
2003年放映と20年近くも前のドラマだ。
私もそれを視聴はしたものの、細かい記憶はあやふやだ。
今もなお第一線で輝き続ける者たちの選ばれし煌めきが、劇の道筋を作り出す強い説得力として機能しているようなドラマだった記憶はある。

リメイクということで土台や骨組みは同じだとしても、日本版と韓国版の2作品は、最終的に異なるドラマとなったと言える。
それは、「主人公の人物像が違う」というところからの分岐なのではと考える。
元々オリジナルの脚本は俳優木村拓哉に向けてのあて書きだったと読んだ。いわば彼のための脚本だ。
そのような成り立ちを持つ作品のリメイクでありながら、圧倒的オーラを画面越しに放ってくる木村拓哉氏演じるキャラクターを踏襲しすぎず、分解し、構築し直し、独自の人物像を目指した俳優ソイングク氏は、主人公に新たな魅力を発光させた。
それはリメイク成功の扉を開く、とても重要な鍵となった。

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ソイングク氏演じるキムムヨンという男と2人の女性が出会うところから物語は始まる。
ジンガンとスンア、2人の女性は友人同士だ。
そしてその後、女子大生の飛び降り死体の発見という殺人事件にからみ、ジンガンの兄である刑事ジングクが物語に登場する。
既に決められた婚約者がいたにもかかわらず、スンアはムヨンに強く惹かれ、2人は恋人として付き合い始める。
一方、殺人事件は女子大生の彼氏があっけなく逮捕され、解決したかに見えた。
が、ムヨンが本気でスンアを愛してるようにも、殺人事件にムヨンが無関係なようにも思えないまま、謎を大きくふくらませつつ、物語は不穏に進んでいく。
口数の多くないムヨンは、心のうちが全く見えない人物だ。でもだからこそ、彼にハマった人間は抜け出せないという。

ジンガンの兄である刑事ジングクは、ムヨンが犯人ではないかと疑い始める。そして婚約破棄をしてまでムヨンと共に生きる選択をするスンアをよそに、ムヨンとジングクの妹ジンガンは急速に近づいていく。
2人には、親はいないが身体には大きな火傷の跡があるという共通点があった。
ムヨンの妹分のような存在ユリは、そんな2人の親密さに激しく嫉妬をする。

結局、殺人事件の犯人は、女子大生に脅されていたユリで、ムヨンは彼女の犯行の後始末をしただけだった。
さらにムヨンは、全てを自分のために捨てたスンアに「愛かはわからないが一緒にいこう」と応える。その言葉通り、2人はスンアの車に一緒に乗り込み走り出す。
しかしそれを追いかけてきた元婚約者との間に激しいカーチェイスが起きる。果てに、大規模な衝突事故が起きてしまう。
それにより車を運転していたスンアと婚約者は命を落としてしまった。ムヨンも大怪我を負った。

刑事ジングクだけは、殺人事件にも、死亡事故にも、ムヨンの黒い影と意図を感じてしまう。人の心理を巧みに操っていると。
罪には問えないものの、彼が自分の思惑通りに人間を動かし弄んでいるように思えるのだった。ムヨンはその頭脳と魅力で、人間の心を難なく動かした。
ジングクは妹のジンガンに彼には関わるなとキツく言い渡し、ムヨン本人にも彼の異常性を指摘し、2人を引き離そうとする。
ジンガンは自分の命をかけてまで危険なゲームにつき進んでしまうムヨンに心惑わされるが嫌いになれない。ムヨンにとっても、ジンガンへの気持ちだけは純粋さを含んでいた。
強力な磁石が引き合うように引き寄せあってしまう2人。

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途中までの簡単なあらすじを書きましたが、以降から感想を書きます。

キムムヨンは何故あのようなことをしたのかと私はずっと考えていた。
「わからないから」なのだと思い付いた。
人間の世界に迷い込んでしまったような異質な存在。この世界との関係が希薄。この世界との接着力もない。自分でも自分がどういう人間かわからない。何も持っていない。この世界の外側にいる人間。
人の心を弄んだとしても、現実社会との距離があまりに遠すぎて、誰もが自分の思い通りになるのをただ不思議に思うだけで、罪の意識からも遠かった。
人間を思い通りに操れるのに、人間のことを実はまるでわかっていなかった。

生まれて初めて「この人によく思われたい」という気持ちをもったムヨンは、「いい人になって」とジンガンに言われた時、静かに「どうすれば?」と答えた。
そこには、どうすればよいのか本気でわからない不安が瞳の中で揺れていた。
表情も感情も乏しいムヨンの中での、最初の胎動のような変化だった。
ジンガンの存在は厚い雲の隙間から射す光だ。それで初めて、この世界にムヨンの影が映った。
迷い猫もムヨンのメタファーなのだろうか。

ただ彼も自分以外の人間と自分が違うということに、傷ついてこなかったわけではない。何故自分だけがこうなのだという疑問も捨て切れない。
父親が警察官なのではという思いこみや、持ち続けた子供の頃の拙い絵は、ほんのわずかな、この世界との接点だったように思う。

無防備さと頑なさ、無関心と好奇心、天使と悪魔、善と悪、優しさと冷酷さ、邪悪なようでいて純粋なムヨンは、両極端な魅力を併せ持ち、人を惹き付けた。
迷いこんだ猫が人間世界を覗き見るように、奇妙な存在である人間を眺め、遊んでいた。
そしてその純粋な目で、ジンガンだけを欲した。

「空から降る一億の星」は究極まで削ぎおとしていけば、2つの純粋な魂の物語だといえる。もしくは2つに分かれてしまったかつて1つだった魂の物語だ。
屋上にある縁台の上でムヨンとジンガンは向かい合い丸くなって寝転んでいる。上から見ると、ひとつの円のような2人が映る。
世界には2人きりしかいない幸福を絵に描いたような、とても印象的なシーンである。
あれが2人の正なる形であり、この物語の核なのだと思う。
ラストにも繋がる演出意図も感じた。
文字通り一人ぼっちで送り出されてから、ジンガンにとっての兄ジングクのようなガイドもつかず、幼い日々を一緒に過ごしたジンガンに再会する日まで、厚い雲の中で彼だけがさ迷っていた。

ところで、タイトルの「空から降る一億の星」とはいったい何を意味するのだろう。
それに対するはっきりとした台詞もでてこない。
日本オリジナルにおいてのタイトルの意味も忘れてしまったけれど、最終地点において、2作品は全く別の作品になったと思っている。
なので、「空から降る一億の星」とは何か。
私の独自解釈を書こうと思う。

物語の最終章で仰向けにひとり寝転んだムヨンが、一面の星が輝く夜空を見ながら、キレイで嬉しいと涙を流す。美しいものばかりなことを全く知らなかったと言う。キレイであるとわかることが嬉しいのだ。
ジンガンと出会い、ムヨンを囲んでいた雲にやっと光が射した。さらにその雲間が段々とひらけていき、空が見えた。
そしてそこには一面の星が美しく輝いていた。
その美しさとは、リアリティーをもって、世界の有り様がくっきりと自分の目と胸に迫ってくること。
「土のその上に確かに僕はいる」
この世界に初めて彼がしっかりと存在した。
生への執着が乏しかったムヨンが、彼女と一緒に生きたいと願ったことに繋がる。

「空から降る一億の星」とは、止まっていたムヨンの人生が、現実世界の中で再び動き始めたことを表しているのではないだろうか。
それは彼の目に映る光景なのだ。

咄嗟の殺人でさえも、ムヨンにとっては美しい景色だったのかもしれない。
何にも心を動かされないはずの彼が、ジンガンのためにと大きく感情を揺すぶられた結果の景色が、それだったのだから。
最期と決めた場所で、汚れた家を片付けて食事を作って食べるムヨンは、未来のない部屋の中でも人の生活を営もうとしていた。
彼はそれを、ジンガンから教わった。

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韓国版は「過ちのあった人生はやり直せるのか」というのが裏テーマであったような気がしている。日本版との大きな違いがここにもあるように思う。ラストシーンも、2作品は大きく異なる。

日本版では、犯罪者であった父親が明石家さんま演じる刑事に射殺された過去を木村拓哉演じる主人公が知ってしまったことで、愛し合う男女の間ですれ違いが生じ、2人が実は兄妹であるという衝撃の事実も背景となり、男が育ての兄である刑事への復讐のために自分に近付いたと思い込んだ女が、育ての兄を守るためと、ついには愛する男を撃ち自分をも撃って果てた。
湖上でボートに乗る2人のさらに上には、降り注ぐような星空が広がっていた。悲劇は純粋な美しい星となって、全ての罪が昇華される美しい光景を見せた。

韓国版は、兄妹であるというのが実は誤解だったというオリジナルにはなかった展開を迎える。出生の秘密を愛するジンガンに隠し通すために人殺しとなってしまったムヨンは、それが事実でないと知ってもなお、そのまま姿を消し、たどり着いた場所で遺書をしたため始める。
消えた彼をジンガンは探し出そうとする。そして自分達が幼い頃一緒に暮らした家にいるムヨンをみつけた。
その場所でジンガンは、冷淡に接してくるムヨンに惑わされることなくまっすぐに、あなたは本当に「死にたいのか?」と問うのだ。
そしてムヨンは、最終的に誤魔化すことができず、「生きたい」と答える。
そうして生きようとした2人に、殺された被害者の親が差し向けた追手が襲いかかり、彼らは撃たれてしまう。
まずはムヨンをかばってジンガンが。次にムヨンが。相次いで撃たれ倒れた2人はあの縁台の上と同じような形で床の上で向かい合う。そうして手を伸ばし瞳で相手を求めながらゆっくりと瞼は閉じられていった。
急ぎ駆けつけた兄ジングクは、2人をみつけ、一足遅かった悲しみの大声をあげた。
ムヨンの書いた遺書のナレーションと共に韓国版「空から降る一億の星」は終幕する。
一億の星のもつ"生"のリアルが、たった1人の愛する人へと結実していた。

日本版の2人は自らが死へと近付き、今いる世界でない所へと旅立つことを望んだ。
韓国版の彼らは、最後の最後で、今いるこの世界で一緒に生きていきたいと願った。
死に向かった2人。
生を選んだ2人。
ラストでの、空から降る一億の星という光景に対する客観と主観の違いも印象的だ。
出発点が同じだった2作品は、全く逆の終着点に辿りついた。

瞳を閉じてしまえば、星は見えない。
ドラマを観終えた私は、ムヨンとジンガンの生死に曖昧なもやをふりかけ、儚い望みもかけて、星降る景色がずっと消えないという夢を見続けていたい気がしているのです。
過ちはやり直すことができ、人間は再生できるという希望も一緒に見られるからなのかもしれない。
薬で朦朧とし殺人を犯してしまったユリに対し、かつて犯人(ムヨンの父)を射殺しながらも警察内部事情によりそれを秘密とされた刑事ジングクは、過去の後悔から、過ちを受け入れ罪を償えばやり直すことはできるのだと彼女に説いていた。
ムヨンの過ちにも、物語は同じ目線であると私は思いたい。

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リメイクでありながらも全く違うゴールへと向かう作品のその重要な鍵となる登場人物として、俳優ソイングク氏の演技は大変見事だったと思います。
ソイングク氏は、例えば冴えない人物の役を割り振られたとしても立派にやり遂げることを容易に想像できる演技力ある俳優ですが、ムヨンはとても難しい役だったと思います。
感情を露にもせず表情も乏しくぼそぼそと喋るムヨンの中に、ハマったら抜け出せない危険な男、人の気持ちを造作もなく操れる男、人間世界と異質な男、子供のように無垢な男、人間として生きたいと願った男、思い付くだけでもこれだけの人物がいました。
日本版がロミオとジュリエットのような悲劇であるなら、韓国版は人間の再生をも描いていたと思います。
ムヨンを演じきった彼に大拍手を贈りたいです。

願わくば私は、あの時のムヨンの目で、一面の星空を見てみたい。
それはきっと、とてもとても美しいと思うのです。

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