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医師と結婚して離婚した話〜目まぐるしい別居生活

前回の話はこちら
医師と結婚して離婚した話〜別居


弁護士事務所へ


娘の待つ実家に戻り、両親に経緯を説明し床についた。



まだまだこれからだが、心からホッとした。


そこから休む間もなく、怒涛の日々が始まった。


協議では話がぐちゃぐちゃになることは予測ができたので、最初から調停に持ち込む事にした。


知人から離婚に強いという弁護士の先生を紹介してもらい、わりと遠方だったが藁をもすがる思いで訪ねた。




余談だが。先生は
政治家の志位和夫氏にそっくりだった…
副業で弁護士してるのかと思うほど。






打ち合わせを何度か行い、
先方に調停を行う旨と、家庭裁判所への呼び出しの内容を記した書類を先方に送付するとのこと。




それを受け取った先方(特に義両親)の感情が、動揺から怒りに切り替わったのが分かった。




そりゃ、そうだろう…




たった一度の協議だけで、一方的に調停をふっかけられたのだから。



数日後、
義両親が飛んできた。




弁護士の先生からは、直接的な関わりを持たない事(離婚の件に関しては、すべて双方の弁護士同士でのやり取りを行う)を、徹底的に守るように言われた。



どうしようもないので、義両親が実家に来ても、私は意図的に外出し、会わないようにしていた。



矢面に立ってくれたのは両親である。




このことを思うと、今でも涙が出てくる。




とんでもない負担を掛けたものだ。





保育園手続き・就職活動


娘は1歳になっていた。


目も離せないし、とても手がかかる時期である。




母にも負担がかかっていたので、急いで保育園を探すと同時に、自分も就職活動を開始した。




アパレル、ドクターヘリに乗り込む仕事など、いろいろと受けていた時に、古巣から声がかかった。




病院での仕事で、正社員フルタイム。




もう何でもいい!とにかく働かないと。
古巣なので勝手は分かっている。




病院と同じ法人に保育園も併設されているので、難なく親子でお世話になる事になった。



しかし……
そこからは「難あり」の連続だった。




保育園は職場の病院とは離れた場所にあったため、7:20には家を出ないと間に合わなかった。




娘を6:30に起こしていたが、まだ1歳なので、機嫌が悪かったり、ご飯を食べない、着替えない、ギャン泣き、食べ物や飲み物をこぼす、また着替え、掃除………




こんなことを毎朝繰り返し、朝からぐったりしながら出勤していた。



娘も、まだ赤ちゃんのような時期に、新たな生活サイクルや環境に否応なしに放り込まれ、それはそれはストレスだったと思う。




それに加えて、職場ではある看護師から嫌がらせのターゲットにされてしまい(新人いびりをする人で有名だった。)




これまでぬくぬくと専業主婦として暮らしてきた自分にとっては、非常に過酷な日々となった。



と、いうか、
また異質の辛さを体験する事になったと言うべきか。




実家暮らしではあったが、当然上げ膳据え膳だったわけではない。



子どもの世話は「あんたが母親なんだから」と、手伝ってもらえることは基本なかった。
当たり前と言えば当たり前か。



お世話になっている以上、家族6人分の家事もこなさなくてはならない。




水光熱費や食費にあたる費用も毎月支払う。





その辺りに関しては、シビアな部分はあった。




ある日、ヘトヘトに疲れて、帰宅した後にうたた寝してしまっていた時には、
父親から突然背中を蹴飛ばされたこともある。
「怠惰だ」と。




娘はギャァギャァと騒ぐし、義実家からのプレッシャーもあったりして、父もイラついていたのだろう。




そんな生活を送りながら、調停への対応も同時進行していった。



娘の入院

そんな嵐のような生活が始まってしばらくした頃、娘が高熱を出した。




私は仕事で対応が出来なかったので、母と叔母で病院に連れて行ってくれた。




仕事中、母から携帯に着信があった。


嫌な予感………



「◯◯(娘)が入院になった。帰ってこれる?」


と。




入院だなんて…。



職場に事情を説明し、早退した。



急いで病院に駆けつけると、娘がベットの中で、小さな手に点滴をされてぐったりと眠っていた。


胸が詰まった。



環境の急激な変化に対応しようと、娘なりに頑張っていたのかも知れない。



ごめんね…


その日の夜から、毎晩、病院に泊まり込む事になった。




具合も悪く、眠いのに眠れない…というような感じだったのか、とにかくぎゃーぎゃーと泣いてどうしようもなかった。




4人部屋だったので、他の子やお母さん方の眠りを害してしまうため、泣く娘を抱っこし、点滴のスタンドを一緒に押しながら廊下を歩き回った。




腕も疲れて、暗い廊下のソファに腰を下ろした。



泣き止まない娘をあやしながら、何とも情けないような気持ちになり、一緒に泣いた。あの時の情景と気持ちは一生、忘れられないものになった。




朝から少し遅刻して職場に戻れば、例の看護師からの攻撃が待っていた。




朝遅く来たり、早退したり、普段も就業時間ぴったりに帰ることなどを理由に、「何様?子どもがいるからって調子乗んな」みたいな事だった。



別に調子に乗っているわけではない。
自身も子どもがいるのに、よく言えるものだ。



嫌がらせもエスカレートしていき、故意に操作的に立ち回り、結果的に私が仕事をミスして他人に迷惑をかける格好になったり、
ドクターや師長から怒られる事になるなど、
よくこんなこと思いつくな…
と思うほど嫌がらせのバリエーションが富んでいた。




病院に行くと、同室の子どもたちは、お父さん、お母さんが協力しながら看病をしていた。



普通、そうだよな…



うちもこんなパートナーが居てくれたら…(>_<)




こんな風に思う場面が、それから先も何度も何度も、何度もあった。




しかし、残念ながら、結局はそんなパートナーを選べなかった自分のミスなのである。




人を羨んでも仕方がない。




とにかく目の前の我が子の幸せと健康を守ることだけを考えよう。




数日の入院後、熱も下がり無事に退院した。




そして、ついに第一回目の調停が迫っていた。


次回は調停の様子を書いていきまーす。
今日も読んで下さり、ありがとうございました。



教訓
【子育てする時。もう一人おとなが居るだけで、精神的にも肉体的にもかなりの助けになるけど、元夫みたいに、ただ居るだけじゃ、居ない方がマシなんだよなぁ…】

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