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医師と結婚して離婚した話〜別居


娘の進路

娘が生後8ヶ月頃。


唐突に、義母が娘に語りかけた。
娘に語りかけていながら、実際は私に向けての言葉なのである。


そんな場面はこれまで幾度となくあったし、中には嫌味とも取れる内容もあった。



しかし、今回はいつもと趣が違う…



「◯◯ちゃんは、◯◯大付属小学校に行くのよねぇ〜?🎶




え、なんて?(°_°)



義母「うふふふふふふ」😊


…こっち見て笑ってる。


はは…ははは……(°▽°)……は、はぁ?





小学校受験なんて。
微塵も考えていなかった。



そして、


「◯◯くん(知人の医者の孫で、娘と同年)は、小学校受験のために、お教室に通ってるんですって」



は!?まだ赤ちゃんなのに!?!!!?
ていうか、知らんがな!



「◯◯ちゃんも見学に行ってみたら?」



と、言うが早いが、目の前にパンフレットを拡げられた。



◯◯式チャイルドアカデミー



はぁ〜…



そしてすでに、その時には見学の日時まで組んであった。



ほぉ〜…





まぁまぁ。
それはそれとして、どういうところか気になるし、興味本位という意味で面白そうなので、見学に行ってみることにした。



当日。



もちろん、部屋の中は赤ちゃんばかりで、お母さんに抱っこされた状態で取り組みを受ける。




みんな、ほわ~ん、としていたり、きょろきょろしていたり、泣いていたり…
どこからどうみても乳児である。




その赤ちゃん集団に向かって

「イギリス🇬🇧!アメリカ🇺🇸!ブラジル🇧🇷!インド🇮🇳!日本🇯🇵!イタリア🇮🇹フランス🇫🇷!………」



とか言いながら、講師が国旗や名詞のフラッシュカードを見せている…




😅😅😅





誰も見ていない気がするけど…

それでも、長年研究された上での根拠のある学習法式なのだろう。


何かの作用でこの瞬間、瞬間に赤ちゃんの脳のしわが増えているのかも知れない🧠




ものの名前や数、図形などの取り組みが一通り終わった。その後、個人面談をしたが、その場では入会せず「検討します」と言って持ち帰ったのだった。



とりあえず、義母から何か言われるまでは放置しておこうと思った。





新居


同時期に、夫が勤務医を辞め、実家の病院を継ぐという展開になった。



ほどなくして、またもや義母が突然、今度は大きな模造紙の巻物を目の前に拡げた。



住まいの「間取り図」だった。




義父が院長を務める現病院(3階建て)を改造して、3階部分を私達の住まいにするという構想のようだった。



その間取り図は、まさに住まい部分のもの。




新築マンション並みの洗練された申し分ない間取り。



普通だったら、新生活に夢が広がりわくわくするところなのだろう。




しかし、私の心はさらに重くなるばかりだった。




このタイミングで「離婚します」なんて



…言えない。



でも、、
新しい病院と、新居が完成しました!


なんてタイミングでは、
もっと言えないよなぁ…





このままの流れに呑み込まれたら、本当に私の人生終わってしまう




今しかない。



間取り図を見ながら心が決まった。






ほんとうの願い


この間にも、先に書いたような理解に苦しむ夫の言動、子どもに対する無関心な態度に加え、離婚へのプレッシャーも重なり、私は廃人のようになっていた。




死んだように生きていた。
夫の多額の給料など、何の意味もなかった。



笑いたい時に笑い、
美しいものを見て美しいと、
美味しいものを食べ、美味しいね、と。
つらい時にはつらいね、と。

もうすぐ新緑の季節になったら。
キスやアサリを食べるんだ。
魚釣りにも行ったりして。
畑で採れた野菜も一緒に美味しく料理して
今日あった出来事なんかを話したりして。
美味しいお酒なんかもあったら最高だ。


ささやかでも、慎ましくても、
そんな暮らしがしたいんだ…



季節を感じて
ありのままを感じて、表現して、共感して、
たくさん笑って


願わくば。
そんな風に、誰かと生きることができたらな。



それはまだ叶わぬとも、とにかく実家の家族や仲間の元に戻りたい。
そんな環境で大事な娘を育てたい。


………
こんなことを思い描いていた。

願いとかいうレベルを超えて、
祈りのような心持ちであった。





告白


正直、夫に離婚したい旨を打ち明けるのは、そんなに重荷ではなかった。
それほどショックも受けないだろうと予想していたからだ。



変なところで、爆発を起こすものの、一般的に大きく感情が揺さぶられるであろう場面においては、不気味なほどに平坦なのであった。



喜怒哀楽がない、と言ってもいい。結婚生活の中で見た彼の感情の揺れは「」に起因するものが9割を占めていたと思う。



そんな元夫が曲がりなりにも「恋愛」的な現象に乗っかったのは、奇跡としか言いようがない。相当な努力を伴ったと思われる。





別居と離婚のことについて話し合うために、娘だけをひとまず私の実家へ預けていた。



ついに

「離婚を視野に入れて別居したい」


と、夫に申し出た。


やはり、夫は取り乱すことはなかった。



さて。
問題は義両親だ。


離婚はともかく。


溺愛している、二人の生き甲斐そのものである孫娘と引き離されるのが一番の問題だろう。



簡単には会えなくなること、
片親になってしまうこと、
不安定な生活環境で育つこと。





何も知らない義両親に、このことを突きつけるのは、さすがに胸が潰れそうだった。



しかし、ここを切り抜けなければ。




そのまま義実家に二人で向かった。


突撃訪問した息子夫婦、しかも孫娘がいない。
ただならぬ状況に、義両親も何事かと驚いていた。




夫、席につくなり、
「離婚したいんだって」

(吐き捨てるような、バカにしたような物言いだった)



えぇぇぇっ⁉️



……これぞ青天の霹靂⚡️⚡️⚡️




すみません…


と、何日も何日もかけてシュミレーションした言葉で事情を説明した。



滅多に口を挟まない義父も

「そんな、簡単に離婚なんてするものではない」
と、言っていた。



けっして簡単に出した答えではないのだが…。




とにかく今夜は、娘が私の実家にいるのであれば一旦戻りなさい、という流れになり、夫は帰宅、私は実家に戻ったのだった。




そのまま私と娘は自宅に戻ることなく、長い別居生活に突入した。

つづく…


次回は、その後の生活や調停離婚についてリアルな体験談を書いてみたいと思います。何かの参考に……なるかなぁ??😅







教訓
【なんだかんだ言って実家はありがたい】

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