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都会で浪費するのを辞める

都心で暮らす1こ上の先輩が、ステイホームで退屈だと言ってくる事が増えた。

コ○ナのせいで、友達や同僚とも会えず、自宅で過ごす事が苦痛らしい。
そういう話を周囲からSNSからもよく聞く。

はて、、、自分はそんな事が無いのだが、どうしたもんだか。

不便を辞めると人は不憫になる

世の中はとても便利になりつつある、お金さへあれば何でも手に入る。

不便な事を改善して、便利な世の中にしていった結果だ。

スピーカーに一声掛ければ、電気がついたり消えたり。

スマホでポチポチ、翌日には必要な品が届く、お財布からお金を出す必要も無い。またまたスマホでポチポチ、お昼にイタリアンが届く。

お金とある程度の通信さへあれば、生活にこまる事は無い。

年収600万でも満たされぬ生活

その先輩は、そこそこの職業でド安定した上で年収600万程度。
特に趣味もなく、仕事が終わればパチンコをしたり同僚と食事をして帰ったり。そんな毎日だった。

そして3月からのコ○ナショック以降、自宅に引きこもりの生活。

Amazonプライムで映画を見たり、アニメを観たり。
パケットも買い足しながら、Youtubeを観たり、適当に流行り物のガジェットを買ってみたり、、、。夏物の洋服と靴を買ったが、着ていく場所が無いらしい。

僕にかかってくる電話の頻度は増えて、「暇い」と連呼する。

不便な生活を選び充実したステイホーム

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2年前に副都心である自宅から40分程度の、プチ郊外みたいなトコに、倉庫付き家付きの土地を買った。

ボロい家と、農家用の倉庫が2棟。

3ヶ月に1回は草抜き草刈りに追われる、、、

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やらないといけない事しか無い、、、終わらない。

朝の8時から野良作業。お昼にサイレンが聞こえて、片付けしたらテイクアウトでモスバーガーを買って帰りながら食す。

帰れば、実家の掃除と片付け、晩飯の準備をして、笑点を軽く観てお風呂。

今週も色々やったなぁ〜と思いながら、Noteを書く。

そして先輩からの電話である。正直、忙しいから電話はほどほどにして欲しい(笑)。

都会から離れると見えてくる贅沢

これまでの私は、そこそこの副都心の実家で暮らし、スーパーやコンビニまで徒歩5分、家の隣はクリニックビルで、なんでもが10分圏内に揃っている。JRや私鉄の駅ですらそれぞれ徒歩で10分圏内なのだ。

ところがどうして、この家に越してきて5年、スーパーに行く事は月に1回?コンビニこそ、週に1回程度だが電車なんて去年は1回も乗らなかった。

郊外のボロ家のメンテナンスや、草刈りや木の抜根。野菜を育てたりご近所さんの庭木のお手入れをしてあげたり。

する事が多すぎて、”暇”なんて思った事が無い。

「うわぁ〜人生充実してるなぁ〜」とお金では買えない贅沢をしていると、人が言う。SNSに上げる私の田舎暮らし風な写真に、「いいね」の嵐なのです。

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私は友達は多くありません、ですが明らかに「いいね」の数が多いのです。

こんな不便で、田舎での暮らしのどこが「いいの?」なわけです。

都会のキラキラで疲れる大人たち

先輩は、スカイツリーやベイブリッジ、お台場のイルミなんかの写真を送ってくれます。たまには、歌舞伎町のネオンや、銀座の羽振りの良さそうなクラブの写真なんかも。

高い家賃、高い飲食、明るい街に、綺麗な女性。

都会の魅力はあるけれど、本当にそれが花の都なんでしょうか。
地元を離れ、都会へ行き、あくせく働いて高給を手にする。

TVや雑誌で観た、夢のようなドラマのような生活がそこにはあったらしい。

ときが流れて、電話口から聞こえてくる都会の愚痴。

「帰っておいで」と何度も言う僕。

都会の暮らしは輝いている。ように思っていた。
でもその輝きは、多くの人が地元を思い、手にしたお金を回しながら。

まるで、燃えろ燃えろと火に焚べる薪のように、人々は都会での生活を続ける。

コ○ナショックで仕事や遊びという火が消えてしまうと、薪たちは行き場を失い、自分たちが燃料になる場所を求めるのでしょうか。

地方で都会の疲れを癒やす

都会や都心は魅力的である。
それは否定できない。

元々、繁華街へ改造した車で出向き、お姉ちゃんたちをナンパした若い頃や、大人になりキャバクラやラウンジで高い金を払って、蝶々を捕まえに行ってた頃を思い出すと、私は都会のキラキラが好きだ。

むしろ、都会に暮らしデザイナーズマンションで、オシャレな事務所を作り、イケイケの秘書でも雇って、高層階からの景色を眺めながら、自分で作ったパスタをお昼に食べたりしたい。

だけどもこの数年。それらに蓋をして、田舎で暮らし自給率を高め、支出の無駄をなくし、ハイテクからローテク・アナログな生活をする事で、人間本来の「生き方」という要素を見出す事が、ライフワークになりつつある。

都会で浪費し、疲弊した先輩。
社会に馴染めず、心の病んだ仲間。
年頃を過ぎ、独身のあの子。
突然の離婚で、孤独なあいつ。

そんな友達が、疲れたときに帰ってこれる場所。

今の僕は、そんな場所を作る為に、不便を選び便利を捨てて、皆が疲れた時に笑顔で迎え入れれる準備を地方で着々と進めています。

都会で疲れたら、帰っておいで。 仕事が嫌になったら、ここへおいで。

都会で浪費している皆さん。
疲れた時、辛くなった時、帰れる場所はありますか?

そろそろ浪費を辞めて、地方に帰ってみましょうや。

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体力は浪費しますけど、都会じゃ得られぬ何かがありますよ。

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