プレイブックの世界#005
岩澤は廊下を歩いている。場所はどこか分からない。夢か現実かどうかも分からない。自分がどこにいるのか、いつの間にか気に留めなくなっていた。俺はタモリさんが指差した扉の先に進む以外に選択肢はあったのだろうか、あるいはその道しかなかったのか?そんな絵空事を考えていると途切れなく男たちが吸い込まれていく扉の前に到着した。また扉の前だ、何度目だろうか?二人組の男が中に入っていく。タモリさんの顔を見ると何も言わず中に入れと書いてある。
二人組に続けて中に入った。暗闇の廊下を歩く。何分間歩き続けたか分からない、ある時から人間の体温のような暖かさが感じられた。通路の先は見えないが、岩澤は久しぶりに人間の営みに触れたような気がした。さらに奥に向かって歩き続けると通路の先にぼんやりと光が浮き上がっている、だんだん人間の体温のように感じられていたものが、はっきりとしてきた。扉の入り口近くで感じていた空気と明らかに違う。タモリさんが一度振り返り岩澤の顔を見た。サングラス越しの表情は何も分からない。再び歩き始めた、通路の先から音も聞こえるようになった、人影も見える、何があるんだ? 曖昧だった光がはっきりしてきた。もうすぐ到着するのだろう、そのとき、タモリさんが止まった、中に入っても俺に付いてきてと言って再び歩き始めた。長い通路の先にあったのは賭博場だった。ギャンブラー達でごった返している。ここは隠れ家のような賭博場なのだろうか?ここが小部屋なのか大広間なのかあるいはサッカー場ぐらいある巨大な空間なのか分からない、ギャンブラーが多くて空間の端まで見通すことが出来ない。タモリさんはどんどん中へと歩いていく。多くのギャンブラー達はスーツを着て、身だしなみも整っている、この場所はいわゆる会員制なのだろうか、このような危ない匂いのする胡散臭いところに来たのは初めてなので岩澤は緊張している。ギャンブルをしている連中はどのような類の人間なのか見当がつかなかった。それにしても皆やけに肌艶がいい、体に悪い美味しいものをきっと飽きもせず食べているのだろう。そうだ、こういう連中は北京ダックや和牛をたらふく食べているに違いない。肉だけじゃない。美食家好みの食べ物だ。
フランス南西部の時代から取り残されたかのような中世の景色が残る美食の街、ペリゴール育ちのFoieGras(フォアグラ)、あるいは中国とロシアの国境の黑龍江に生息する父、シュレンキ、母、カルーガをかけわせたハイブリットチョウザメのCavior(キャビア)、そして極東、日本列島のほぼ中央で関東地方の北東に位置する水運の集積地である茨城常総市で生産されるdelicious stick with corn potage flavor(うまい棒コーンポタージュ味)は世界中の美食家に称賛されている。賭博場のギャンブラーは庶民が手を伸ばしても手に入れることが出来ないこのような希少なものを味わうことに人生の喜びを噛みしているのだろう。一晩にギャンブルで10億円を失っても、それを毎日一年間溶かし続けても痛くも痒くもないとんでもない資産家の間で話題なのがうまい棒だ。始まりはあるニュースレターの記事だった。1970年代に香港で不動産で財を成した大富豪が一度食べ始めたら止めることが出来ず一度にうまい棒を1,000本食べてしまったいという逸話がアジアの億万長者に向けに配信されているニュースレターの『epicurean case』に載った。この逸話が引き金となり、うまい棒が世界の食通達に知れ渡った。象徴的なのが紐約の隠れ家的バー「S,M,L,XL」のコーンポタージュ味のうまい棒に山盛りのキャビアを載せた前菜でTIME誌のレストラン批評家、Alex Rossに「二十一世紀における最高の組み合わせ」と評されている。
実際のところ、うまい棒は世界中の鼻が利く富豪から注目を集めていた。昔の話だが、ある財閥がうまい棒に接近していた。通信、飲食チェーン、インフラ事業など多角的に事業を展開している東南アジアの財閥がうまい棒の工場を視察した際に「一緒にうまい棒の映画をつくらないか?」という話が突如でてきた。当時、日本サイドはお菓子と映画がどう繋がるのか意味不明だったようだが、財閥サイドには映画ビジネスの参入に加え、ユニークな戦略があった。財閥の目論見はこうだ。『西遊記』を現代に甦らせ、如意棒をうまい棒に替える、孫悟空とその仲間たちが世界各地を訪れ、うまい棒とご当地グルメの大胆なフージョン料理を生み出すグルメロードムービー、タイトルは『西遊記 : うまい棒びんびん物語 』。当時、監督にはRoger Cormanの名前が挙がったが「私はうまい棒が大好きなんだ。だから好きなことは仕事にしたくない」という理由で監督に断られた。
残念ながら映画は実現しなかったが、映画化された後には様々なプロジェクトも計画されていた。「うまい棒IZAKAYA列伝」などの飲食事業への投資、また通信事業では映画、西遊記の動画素材を活用したプロジェクト、「although, Umai-bou」、これは、友人にレストランでの食事を誘う際に送る送信メッセージに短い動画が付与され、超有名俳優がメッセージの受取人の名前を声に出して、「食事に誘う」というものだ。このプロジェクトの検討にあたり、ある大学機関に実験を依頼した。中洲産業大学の軽罪学部尿道経済学科の田森教授の実験結果によると、セレブリティによるレストランに誘う甘ったるい映像を見て実際にレストランに行くと決断した人の増減率は、文字のみのメッセージと比べて、なんと0%で人間は有名人の視覚と音声によって行動の判断は左右されない、という結果が出て、このプロジェクトは中止となった。ただ予定されていたプロジェクトはこれだけでは無かった。プロジェクトの中心に据えていたのが、うまい棒のリアルイベントだった。高さ1,000メートル、幅200メートルの食べることができる世界最大のうまい棒のお披露目で、マレーシアの8万人以上収容できるブキット・ジャリル国立競技場にて来場者に無料で食べてもらうという前代未聞のイベントを考えていた。オープンニングアクトにゴダイゴの『西遊記』を、そしてスタジアムの外壁には川端龍子の作品『孫悟空』にインスピレーションを得た4,000メートルの大壁画、それは映画の出発点である香港から終着地点のニューヨークまでの現代における経典グルメロードムービーを象徴するwonderwallになるはずだった。それは古典と現代を貫く川端龍子の心構え、東洋と西洋の世界観を吸収した川端龍子のハイブリッドなセンスがあってこそのプロジェクトだった。また映画『西遊記 : うまい棒びんびん物語 』の古典と現代、東洋と西洋の融合というアイデアの土壌は川端龍子からきていた。財閥の御曹司が日本滞在中に川端龍子の『孫悟空』の作品を見てからずっと頭の片隅にあったのだが、それが「うまい棒」に出会った瞬間、頭の中で『孫悟空』と結びついて、経典グルメロードムービーの着想が生まれたのだ。しかし、残念ながら映画は監督のRoger Cormanに断られ、また高さ1,000メートルのサイズのうまい棒を製造できる見込みも立たず、さらに『孫悟空』の壁画4,000メートルの制作を担ってくれる責任者を探すことが困難で、すべてのプロジェクトは頓挫した。
タモリさんはどのテーブルにも見向きもせずどんどん奥に進んでいる。岩澤は賭博場でギャンブルのプレイを見たことがなかったので一度じっくり観察してみたかった。きっと俺がギャンブルしても一瞬で負けるんだろうな。通り過ぎるルーレットやトランプのテーブルを横目にディーラーがチップを手元に回収するのを見てつくづくそう思う。岩澤の頭に出現する現実は目の前の風景と岩澤のその現実の捉え方から生まれていた。岩澤の世界は岩澤の考え方、そのものだ。
岩澤「あれっ?あのテーブルでプレイしているのは、もしかして50 cent?本物か?」
タモリさんが振り返って岩澤に言った。
タモリ「時々くるよ50 Cent、ほら昔、同じ釜の飯を食べた仲間だから」
岩澤「ええっ?本物ですか?」
タモリ「50 Centの態度は面白いよ、アイツのアルバムタイトル『Get Rich or Die Tryin'』 金持ちになるか、それ以外は死だっていうんだから」
タモリ「その精神が50 Centの現実を生み出してるよ」
岩澤「ちょっと何言ってるか分からない」
とタモリさんに言おうとしたがぐっと我慢した。どういうことだ?岩澤は50 Centのテーブルをもっと見続けたかったがタモリさんはどんどん先に進みながら話した。
タモリ「ほら、あのテーブル、現実が見えてないね〜」
ある男性が呆然としていた。持参したお金、全てを失ったのだろうか?
タモリ「こっちきて、ここは、オープンに向けて準備中で、John Lawの間という名前の大広間。近い将来、世界中のいかさま大富豪がここにやってくるよ、すごい風景になるよ、きっと」
天井が他の部屋と比べて異様に高かった。天井には黄金色で炎が描かれている、いやよく見ると雲の間から龍が現れているようにも見える。具象にも見えるし、抽象画のようにも見える。
タモリ「天井が気になっているね〜、これは川端龍子の作。こんなにガツンとくる作品を作る人、いないよ〜、早く世界中の人に見てもらいたいね〜」
岩澤は川端龍子という名前にピンと来なかった。さらに気になったのは壁だった。描かれているのはスーツを着た男性。体が不自然に捻れたり、顔が潰れたりして、不気味だった。
タモリ「この壁はね、Francis Baconという画家の作品のイメージを中国の深圳にある絵画工房に伝えて制作してもらったんだけど、ちょっと出来上がりは想定と違ったね〜」
岩澤(心の中で)「(ちょっと何言ってるか分からない)」
タモリ「想定と違うということは、別に悪いことじゃないから良いんだけど、Francis Baconの要素にちょっと曾梵志の要素が入ってるかな〜、無意識だろうけど、どうしても制作していると中華風情というかローカルさが滲んじゃうんだろうね〜」
タモリさんが「John Lawの間」のVIPルームを案内してくれた。
タモリ「さあ、ここ入って」
岩澤は部屋に飾られているポスターをじっと眺めている。全て猿だ。
タモリ「実は我々は映画ビジネスをやっているんだ」
タモリ「数年前、どこからか『西遊記』の映画化の話が降ってきたんだ。実現化に向けて話が進んでいたらしいが、没になったらしい。今、あるエージェントが製作に興味ある投資家を探しているらしい」
タモリ「そこでもし我々が作るとしたらどんな映画を作るか?その世界観を一度、視覚化したくて映画のポスターをちょっと色々作成してみたんだよ〜、イワッチが一番気になるポスターはどれ?」
岩澤は全てに目を通して、ある映画を選んだ。
岩澤「これが良いと思います」
岩澤は部屋の一番右端に飾ってあるポスターを指差した。
タモリ「これを選んだか(笑)イワッチはこれが見たいか?」
岩澤「フェラーリより早く青ネギをみじん切りする姿、見たくないですか?」
タモリ「それは分かるけど(笑)でも、猿が職人になって、西遊記感がないぞ、それでもいいのか?」
岩澤は西遊記をよく知らなかった。