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学校がつらい その1勉強編

前回「一緒の弊害」について投稿しました。みやっちこと宮田慎太郎です。
今回から学校に行けなかった経験からつらさとその影響について複数回に渡って記します。評論文口調でしたが今回はですます調でお送りします。よろしくお願いします。

前回の記事はコチラから



学校がつらい・行きたくないー誰もが思うでしょう。その中で自ら解決し学校に行く。または、大人に相談し助言をもらうなど上手く対応できる人もいるでしょう。しかし、言うまでもなくみんな器用ではないです。ある日、急に学校に行けなくなることもある事象です。では、学校に行けなくなるのは何がきっかけとなるのでしょうか。











勉強

前回のブログで落ちこぼれや浮きこぼれの原因どして一緒に学習をすることについて記しました。

同時学習は指導者にとって効率が良く少人数で回せるメリットがあります。しかし、生徒はついていけなくてつらくなります。逆もありつまらなく感じます。それが積もりに積もってある日こう思うのです。

「もう学校なんていいや」

この気持ちなる人は良く言いますと素直です。悪く言いますと不器用です。先生はこれらの気持ちや行動をくみ取らなくてはなりません。しかし、学習面で同時並行つまり、一緒をカリキュラムを行うと把握をすることは困難になります。

だからこそ私は、習熟度別学習を主張します。一人一人の学習を把握しやすく適切な指導かつ、一人一人の辛い気持ちの軽減できるからです。

もちろん彼、彼女が異なる人との交流や意見を交わすことは人生の基礎になります。学年を越えた交流やその象徴である学童保育が一例です。現場経験者としてしっかりと残ってます。自信もって言えます。しかし、教科を勉強するという場合は別であるということです。できた!自分で考えたことが合っていた!!この繰り返しが自己肯定につながるからです。そして、この繰り返しが出来る場こそが教科を勉強するときの空間なのです。

自己肯定は己の人間性や関係性を築くための大切なエネルギーです。それが勉強によって辛くなり学校に行けなくなるのはもったいないことです。やがて人生の核となる関係性を築くという機会が少なくなるのだから。






教育予算の増加と事務や雑務といった守備範囲の超える業務をなくしてほしいと思う今日です。ひとりひとり向き合える教育環境が必要です。学校に限らず学童保育なども。

今回は以上になります。次回は学校がつらい その2 もし子どもが不登校になったら

を掲載予定です



ゆっくりではありますが投稿して行きますのでフォローお願いします。



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