巡る 瀬戸内 < 倉敷 → 尾道 >
1月の観光オフシーズン、蔓延防止措置中ということも相まって観光客の少ない瀬戸内海を倉敷から尾道までフェリーと電車と自転車とを乗り継ぎ、ぐるりと1周ひとり旅をした。各地のアート作品に触れる6泊7日のぶらり旅の記録である。
旅の全体像
倉敷までは新幹線で行き、まずは倉敷で1泊。
2日目は宇野港からフェリーで直島へ行き、そこで一泊。
3日目は豊島へ行き、1日観光してまた直島に戻り、そこでもう1泊。
4日目はフェリーで高松に渡り、そこで1泊。
5日目は電車で金比羅山と善通寺に寄って今治まで行き、そこで1泊。
6日目は自転車を借りてしまなみ海道を走り生口島まで、そこで1泊。
7日目はゴールの尾道まで行き、新幹線で帰路福岡。
倉敷 初日
「女神イシスまたはネフティス像」と目があってしまった。目があった瞬間、ぞくっとなにか冷たいものを背中に感じた。
何千年もの歴史の重み、気が遠くなるほどの時間と時空を超えた目の前にあるこの小さな像の眼差しに息を飲んだ。
直島 2日目
モネの睡蓮も家プロジェクトのジェームスタレルも瀬戸内海に落ちるサンセットも全部貸切で独り占めだった。
静かな直島、観光客があまりいない直島、寒かったけど贅沢な時間だった。
豊島 3日目
情報は何も得ない方が、旅はスリリングで楽しくなる。直島も豊島も何も調べず、計画せず、行き当たりばったり、その場しのぎ。
気がついたら森の中にいた。無数の風鈴の音色が風に揺れて鳴っていた。静寂と風と風鈴の音、ひとりでいるとなんとも不気味な感じがする。
何枚も風鈴の写真を撮ったが、風鈴を撮っているのか、森を撮っているのかわからなくなった。
直島 3日目
豊島を一日観光した後、宿泊のため直島に戻った。チェックインの前にひと風呂あびようと銭湯に。
地元の老人と観光客の若者が風呂の中で談笑していた。奇抜なアート作品によってリノベーションされた銭湯。観光客の若者はアートと風呂にどっぷりつかり、文字通り銭湯を体感していた。地元の老人にとっては、そのアートも風呂もただの日常だった。
アートと日常が共存する島「直島」恐るべし
高松 4日目
直島を朝一のフェリーで出港し高松へ。高松は一日中冷たい雨が降っていた。その高松市内(主にアーケード街)を寒さを堪えてトボトボと歩いた。タクシーを使おうか迷ったけど旅費が勿体無いので我慢して歩いた。
直島と豊島も寒かったけど良い天気だったので、両島ともレンタル自転車を移動手段として使えて、効率的に観光することができた。その部分はとても大きかった。
高松といえばやっぱり本場の讃岐うどん。冷え切った身体と空っぽの胃に熱々のうどんが染み渡る。
善通寺 5日目
金比羅山にお参りした後、善通寺へ。
駅からトボトボと善通寺まで歩いていると、遠くの方に五重塔が見えた。遠くに見えていた五重塔が目の前に現れた時「善通寺に着いたんだな」と知った。
この感覚はきっと大昔と同じだと思った。
今治 5日目
夕暮れ時に今治に着いた。今治といえばタオル。
夜、食事どころを探して歩いていると、ライトアップされた今治城が現れた。今治に城があることを知らなかった。夜にはライトアップされて美しく雄大な景観として演出されていることももちろん知らなかった。
何も調べないで旅をしているので、突然現れる全てに驚く。
しまなみ海道 6日目
しまなみ海道を自転車で渡るという試みも今回の旅の目的のひとつであった。全長約70キロ。生口島のホステルを予約しているので、そこまでの約50キロが今日のノルマ。
雲行きは怪しかったけれど、なんとか雨には会わずにすんだ。今回の旅はギリギリ天気に恵まれている。
しまなみ海道を自転車で渡っていると、空を飛んでいる錯覚に落ちいる瞬間がある。多分「鳥人間コンテスト」のパイロットも同じ感覚で飛んでいるはずだ。
爽快だし、気持ちいいけどちょっと怖い感覚。
生口島 6日目
生口島には、平山郁夫美術館を目当てに訪れた。しまなみ海道を渡る目的の一つだ。
広島県は蔓延防止措置が発令された最中であったため、平山郁夫美術館には誰一人として鑑賞客はおらず、またしても貸切状態であった。
蔓延防止の影響で生口島のほとんどの飲食店は閉まっていた。しょうがないので、肉屋さんでコロッケを買い、昔ながらの食料品店で助六寿司を買い、酒屋でビールを買ってホステルで食べた。
瀬戸内海に沈む夕日を見ながら、こういうひとり晩餐も悪くない。
尾道 7日目 最終日
尾道もどのスポットも自粛中だった。
そんな中、尾道ラーメン各所は頑張って営業されていた。
暖簾をくぐったお店は「中華そば つたふじ本店」絶品だった。 また行きたい。
おしまい
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