#44 子育ては 世話・節介との はざまにて 心揺れつつ “見守り”鍛える

お立ち寄りいただきありがとうございます。
31文字で日々の気づきを綴る、福盛るんです。

「子育ては 世話・節介との はざまにて
 心揺れつつ “見守り” 鍛える」

子育ては親育てですね。
時に成長痛を感じながらも、
子どもを育てながら、
自分自身が、心が、
鍛えられ、育てられているなぁと
つねづね感じる日々です。

子育てにおいて、
私自身が特に意識しているのは
“自分で”、“自分から”。
子ども自身が“自分で”やる、やりたいと動く、
“自分から”考えて行動する。
親が指示する通りではなく、
子ども自らの“自分で”、
“自分から”を待てるまで
見守ることを意識しています。

子どもが幼ければ幼いほど、
これは手を貸した方が良いのか?
それとも見守って待つべきか?
お世話とお節介のはざまで
心揺れるものです。

自我が芽生え始める1歳ごろのこと。
“自分で”靴を履く。
“自分で”洋服を選ぶ。
“自分で”洋服を着る。
“自分で”食べる。
何でも“自分で”試したいお年頃、
いわゆる“イヤイヤ期”というものですよね。
寝転んでいたばかりの赤ちゃん期は
泣き声や表情で
「おしっこした?うんち出た?
 オムツ替えよっか?
 洋服汚れちゃったね!着替えようね!」
などなど、親が先回り先回りして
次の行動を導きながら、
親がお世話をするのが当たり前の日常だったのに。
自我が芽生え始めると、
それまで当たり前だったそのお世話が、
時にお節介になることも出てくるのですよね。

子どもの立場に立って翻訳してみると・・・
『ぼくが(わたしが)やりたいんだから!
 ママは手を出さないで!
 先にぼくに(わたしに)やらせて!
 だまって見てて!
 もうできるんだから、だまってて!』
こんな具合でしょうか。

全てに手を貸し、
お世話に全力を注いでいた赤ちゃん時代。
それが子どもの成長とともに、
時と場合によっては、
“子どもにとってのお節介”ともなってしまう。

一人で歩く、よちよち歩き。
でも転びそう!危ないよ。
今すぐ手を貸して転ぶのを防ぐ?
転ばないようにケガさせないように注意する?
転んでから受け止め抱きしめようか?
子どもは“自分で”歩きたい。
これはお世話か?お節介か?

そろそろ出発しないと時間がない。
だけど“自分で”靴を履くという。
手を貸し、親が履かせた方がスムーズだ。
でも手を出したら、子どもは怒る。
“自分で”やりたかったのに!って。
これはお世話か?お節介か?
時間がないなら余裕を持って5分行動を早めるか。

こんな風に、あらゆる場面で
お世話とお節介とのはざまで心揺れています。
親心とは複雑なものですね。
小学3年生、年中になった今でも、
お世話かお節介かで心揺れ、
意識するのは“自分で”“自分から”。
それを繰り返しているうちに、
随分と親の心は鍛えられ、
“見守る”こと、
“待つ”ことができるようになってきました。
成長してきました。

温かく、愛情注いで
“見守り待つ”親の姿勢が
子どもにとっての
安全基地となるのではないかと思います。
何か困った時、何かつらい時に
子どもが“自分から”駆けこんで来られる
安全基地でいられるよう
親として成長し続けている真っ最中です。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


福盛るん







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