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パリでもないのに~ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ篇~|⑪台北風雲竜虎篇①

コロナ禍のパリ留学について独自の視点で綴った片岡一竹さんの好評連載。これから留学を考えている方々におすすめなのはもちろん、パンデミックが留学生にもたらした影響について記した貴重な記録です。
今回から「台湾編」が始まります! 台湾で過ごしながら、パリについてどのようなことが思い返されるのでしょうか。

 謹賀新年。明けましておめでとう。謹んで新年の挨拶を申し上げる。

 謹むあまり同じ内容の三文を連ねてしまったが、これを書いているのはまだ2023年の年末である。11月後半に設定されていた締切が、往年の筋トレ器具・ブルワーカー2もかくやと伸びまくり、ついに年の瀬の押し迫る頃になってしまった。これほど伸ばしたとあっては、女たちも私のことを貧弱な坊やとバカにすることはできないだろう。

 福村出版が大晦日も残業を強いるような悪の結社でない限り、この原稿の掲載は年明けになるはずである。
 そこでまだ見ぬ明日に向けて新年のあいさつをしてみたわけであるが、2024年の未来はどうだろうか。きっと車が空を飛び、テレビ電話が普及しているだろう。ファミコンなど、32ビットマシーンくらいになっているのではないか。

 未来の無限の可能性に心躍らせつつ、プリントゴッコでの年賀状制作に勤しむ日々である。

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 さて、編集者からの催促メールが途切れるほどに更新が遅くなったのも、故無きことではない。
 実は私用で2週間ほど台湾(台北)に行っていた。かの地に留学中のパートナーを尋ねに行ったのだ。

 せっかくなので「パリでもないのに:台北篇」という、「Paris吉祥寺 田無店」や「これぞ名古屋めし 台湾ラーメン アメリカン」のような矛盾魂を形成しようと思い立ったのであるが、ネタを集めようと台湾生活を享受していれば、文章を書く暇はない。
 本連載の副題が言うごとく、「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」のである。それゆえ文章執筆にとりかかれるのは帰国後の今日になってしまった。問題は、飛び立つのを躊躇しているうちに黄昏が過ぎ、深夜も通り越して朝日が昇りはじめたことにあろう。

 「もっとも暗きは夜明け前」という諺が表す通り、夜明けや朝日は希望の象徴として扱われる。しかして、万事を一夜の「冴え」に期待しながらも何もできずに見る朝焼けは、絶望と焦燥の象徴である。

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 台湾への旅は、パリから帰って以来初の海外渡航であった。だから何かと当時を思い出す。

 無事に空港の荷物検査で醜態を曝すノルマを達成、我が心中の安西先生に何も成長していないという名台詞を発させることに成功し、旅の空に赴いたが、韓国ほどではないものの、ヨーロッパに比べれば台湾は目と鼻の先、僅か3時間足らずのフライトで桃園国際空港に降り立つことができた。

 飛行機で知らない街に降り立つ、ということ自体がフランス留学以降初めてだ。重たいキャリーケースを引きずりながら空港の出口をくぐれば、当時の初々しく、心細い感情も思い出された。

 入国直後の右も左も分からない状態では、人の手助けを借り、厚意に甘えるほかない。フランス人は不親切だ、不愛想だという話をよく聞くが、それは文化的ステレオタイプと呼ぶべきものだ。
 現地に行けば分かる。進んで荷物の上げ下ろしを手伝ってくれる人や、「お前をパリ市内まで乗せていってやるぜ!」と微笑む友好的なタクシー運転手など、私を助けてくれた良い人も少なからずいたのである。

 頼んでもいない仕事で荷物運搬料を請求したり、メーター規定料金の1.5倍をぼってくる詐欺野郎である点を除けば、皆とても良い人たちである。

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 ヨーロッパの国々は留学中にさんざん周遊して回ったが、アジア圏の外国への渡航経験は少ない。今回赴いた台湾以外には、韓国に行ったことがある程度である。

 西欧と東欧の間にアトモスフィアの違いはあるものの、ヨーロッパの国々の風景が総じて「ヨーロッパらしさ」という粗雑な形容を容れる相同的特徴をもつごとく、アジアの国々の街並みにも顕著な親近性が際立っている。それゆえアジア圏への旅行においては「日本とは全く違う世界に来た」という印象が良かれ悪しかれ薄くなりがちである。
 実際に韓国に行った際はそのランドスケープや町行く人々の相貌などに日本との差をあまり感じられない、精々大阪に行ったようなくらいの気持ちになる半面、そうした感覚を引きずったまま町の看板に目を移せば、専門的な勉強を経ていない者には一文字たりとも読解できないハングル文字が躍っているので、至極自己中心的発想ではあるが、「世界がバグった」ような錯覚に襲われたのを記憶している。反対にかの国の人が日本に来た際もそう思うのだろうか。

 この点において台湾は、日本語でも用いられる漢字を用いている。ここで中国と台湾、つまり中華人民共和国と中華民国の言語の差異について二言三言述べれば、大陸で用いられているのが簡体字であるのに対し、台湾華語は繁体字と呼ばれる字を用いる。これは概ね日本における「旧字体」に相当すると考えればよい。例えば「台湾」は「臺灣」とむつかしく表記される。

 それゆえ看板や標識の文字は日本語話者にも概ね理解可能である。確かに日本語には中国語(台湾華語)とは異なり平仮名や片仮名の存在があるが、しかし長い文章ならいざ知らず、定食屋のメニュー程度の長さの文字列であれば日本であっても漢字だけで書かれていることも珍しくない。実際に我々は「男女共同参画社会基本法逐条解説釈」とか「一切衆生悉有仏性草木国土悉皆成仏」くらいのプチ漢文を日常的に目にしているので、このくらいの長さであれば日本人でも理解可能であると言えよう。

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 その点では言語に不自由を感じる機会も少ないであろうし、下手をすると自分が外国にいることを忘れそうになる。これは狭義の言語に限らず文化面においても同様であり、空港から台北市内に向かう列車に乗るにあたって「悠遊カード」という日本のSuicaのようなICカードを購入したのであるが、店員が提示してきたカードがちいかわ柄であった。

 ちいかわらしき小動物が描かれているのではなくちいかわそのものが盤面に鎮座ましましている。私はこの漫画を読んだことがないが、その図像を随所で目にするので存在は認知しており、特に好きではないがさりとて嫌悪感を催させる要素はなく、普通にかわいらしいキャラだとしか思っていない。

 けだしかくのごとく「皆が皆好きなわけではないものの、特に嫌う理由もない」ことを所以とするだろう驚異的な伝播力で、日本の日常生活のいたるところにちいかわの進出が果たされている。仮にこれが暗黒舞踏で知られる大駱駝艦・麿赤兒をマスコット化した「なんか白くてピクピク動くやつ」略して「しろぴく」というようなキャラである場合、コアな人気が期待される半面で寄せられる反感も甚大なることは必定であり、それゆえ今日のちいかわのごとき天下を望むべくもない旨を考量すれば、ちいかわのデザイナーの才覚に舌を巻くほかない。
 日本で長年愛食している「チャルメラ宮崎辛麺激辛しょうゆ味」のパッケージにいつしからかちいかわが登場するようになって久しいが、ついぞ海を渡っていたとは寡聞にして知らなかった。

 それにしても、であるが、確かに日本の漫画やアニメはヨーロッパ諸国においても一定の人気を博しているとはいうものの、例えばフランスにおいてカフェ・ド・フロールのコースターに鬼滅の刃のキャラクターが描かれていたり、エトワール凱旋門が推しの子でラッピングされていたり、カタコンブの骸骨を使ってスラムダンクを決めたりすることはあり得ない。
 その点を鑑みるに、日常生活におけるポップカルチャーの進出度合いという点において、日本と台湾の間には相当の類同性があると言わねばならぬ。もはや誰もが忘れているであろう当連載の第一回で述べたような「広告文化」の存在という点ともこれは通底する議論であるが、東京もさることながら台北もそれ同等の「広告都市」であり、しかも慣れ親しんだものに目が行く習性ゆえか、日本の漫画キャラの広告や日本企業の看板ばかりに目が行ってしまう。

 斯様に海外で「日本のもの」を目にする際には、折角の海外旅行気分が幾分削がれたような思いになる半面、そうはいっても心細い異国滞在の不安が癒されることもまた確かである。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という室生犀星の歌のごとく、得てして我々は海外にいる時ほど「日本」を意識してしまうものであり、つまるところわざわざ日系企業の広告や店舗を見つけ出し「わぁ台湾にもファミマが沢山ある」などといって興じ、勝手に親近感を覚えて安心しているのは手前(てめえ)なんだな、という三島イズムに尽きるのである。

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 そう、台湾にはファミマが沢山あるのだ。セブンイレブンもある。そのほか台湾独自のコンビニチェーンもあるが、このコンビニというもの、日本に住んでいれば当たり前のように利用しているが、その有難さに気付くのはそれを失ったとき――すなわち、およそコンビニという概念の存在しないヨーロッパ諸国などに滞在したときである。

 少なくともフランスには24時間営業のコンビニなるものはない。スーパーはあるが10時には閉店してしまう。だから夜半、急に空腹を覚えた時などはもう絶望的であり、昼夜を問わず美味しい弁当を提供してくれるコンビニというものの有難さを身に染みて実感し、「夜中にファミチキの在庫がなくなっているくらいで不満を覚えてすみませんでした」と己の貪欲を懺悔したい気持ちに駆られるであろう。

 パリの夜は華やかであるが、夜が行き過ぎると、本当に何もなくなる。

 しかし救済措置がないわけではなく、個人経営の小さな食料品店兼雑貨屋の中には深夜営業を行っているところが少なくない。もちろん日本のコンビニほど豊かではなく、酒と菓子以外には冷凍食品があるくらいだが、それでもそうした小さな店のおかげで私のような夜型の人間も力尽きずに済む。

 こうした個人経営の食料品店は大手のスーパーが閉まる深夜に営業を続けることによって独自の需要を確保し、生き延びを図っているわけである。「個人店に行きたいのならば夕方まで、深夜にはチェーン店にしか行けない」というのが日本の夜だが、パリでは逆に深夜になるともはやチェーン店はどこも開いていないので、個人店にしか頼れなくなる。綺麗に逆転しているのである。

 しかし台湾には日本と同様のコンビニが日本と同量存在するので「日が落ちるまでに何とか食料を確保しなくてはならない」という焦燥に駆られる必要もない。安心して夜更しが可能である。
 またコンビニに限らず、台湾は外食文化が盛んなので無策のまま街をそぞろ歩くだけで何かデリカテッセン的なものを見つけることができるだろう。さすがに深夜も丑三つ時を過ぎれば空いている店も僅少になるものの、そうなると反対に朝4時から営業している朝食屋に入ることができるようになるので、飢えを覚えるようなことはそうそうない。

 街では食べ物があなたを待っている、それが台北の常だ。

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 考えてみれば、パリにいる時にはいつも飢えていたような記憶がある。
飢えた狼のように成功を模索していたわけではなく、単純にお腹が空いていた。ハングリー精神ではなく、ハングリー肉体である。
 「満足な豚よりも不満足なソクラテス」というミルの金言のごとく、質の高い満足を目指す気持ちはむしろ向上心の養分たりうるが、当時の自分はいわば「不満足な豚」であり、「お腹が減って力が出ない」という計画性のないアンパンマンのごとき体たらくであった。

 これは必ずしもパリにその責を負わせるべき問題ではなく、人と生活リズムがずれているゆえに深夜にならないと空腹にならないのだが、反対に日中は食欲がないので出かけたついでにスーパーで食料を調達するような気が回らないという、小鳥でももう少し賢いであろう私の無思慮な生活ゆえのことであって、畢竟するに悪いのはすべて手前(てめえ)なのであるが、しかしそんなお間抜けさんにも温かい弁当を提供してくれる深夜のコンビニというぬるま湯に浸かる安穏な暮らしに日本で慣れきってしまえば、有無を言わさず深夜に店が閉まるパリの環境には厳しいものがあった。

 流石に渡仏して日が経てば多少は対策を立てられるようになるもので、冷凍のハンバーグと乾麺のパスタ、にんにくと玉葱だけは欠かさないようにしていたのだが、それでも深夜に仕事するという生活のリズムを変えられない以上、冷蔵庫に上記の食材しか入っていないことが常となってしまい、結果として、最も少ない材料で作れるペペロンチーノに冷食のハンバーグ(という名の挽肉の塊)を載せただけのものを4日連続で食べる羽目に陥ったときには、人生から喜びが失われていく様が目に見えて分かった。

 しかしそれすらまだ上等な食事の部類である。ついに玉葱すら尽きてしまった状況で食すことを余儀なくされる、麺ににんにくとオリーブオイルを絡めることによってすんでのところで「素パスタ」を免れているだけの「妥協ペペロン」は、文字通り絶望の味がする。

 ペペロンチーノは時に「絶望スパゲッティ」とも呼ばれる。ぎょっとする名称であるが、これは「絶望している時にも美味しく食べられる」というポジティヴな理由ゆえにつけられた異名なのだという。だが私は、そういう意味ではない、普通にネガティヴな意味での「絶望スパゲッティ」を食べ飽きた。満腹と引き換えに希望を収奪するこのスパゲティこそ、しかし本来その名に相応しくはないか。

 小麦粉の塊を流し込んで体の隙間を埋めていれば、心の隙間は開いていく。

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 フランスは美食の国だ。確かにそれはそうだが、「旨いものは高い」という単純に想定される理屈が訂正されぬまま通用しているのがフランスでもある。つまり「安くて旨い」ものをフランスで見つけることは至難の業であり、またこの命題を反転したところの「高いものは旨い」が成り立つわけではないので、結果として少数の「旨くて高い」ものを除けば、「安いのでまずい」ものと「まずいのに高い」ものが大半を占める。

 というのもフランスにおける外食はハレの日の文化であり、つまり「ご馳走」を提供する「レストラン」が外食の基本形態だからだ。ビストロというような大衆料理店も、しかしもう立派な「文化」になってしまったので、あくまで相対的にやや安価と言えるに止まっている。

 それに引き換え外食文化の発展した台湾では総じて外食に要する費用が低く済み、「安くて旨いもの」を沢山見つけることができたのでハッピーであった……というようなことを書くつもりだったのだが、フランスでのアンハッピー食事生活を綴っているうちに紙幅が尽きてしまった。

 もうすぐ紅白が始まるようなので已む無くこの辺りで失礼仕りたい所存であるが、旧年中はお世話になった。このように年始の挨拶をするのも二度目を数えるが、その割にやっと10回を超えたばかりであるという事実が更新頻度の少なさを物語っている。ハンター×ハンターにしか許されえないような休載を繰り返している当連載であるが、今しばらくお付き合いの程願いたい。

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追記

 能登半島地震の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げる。もちろん能登に限らず、被災された全ての方々が一日も早く心安らかな日々を送れるようになることを衷心より祈りたい。

 上の原稿は本当に昨年の大晦日に書いたものなのだが、その時には、まさかほんの一日後にあんなことが起きようとは、夢にも思っていなかった。

 今から見直せば、ある意味本当に未来は無限の可能性をもっていたわけで、ただその可能性が必ずしも良いものではなかったことが問題なのだが、いずれにせよ「たった一日後のことを遠い未来のように語る」冗談に興じる暢気さが、今となっては面映ゆい限りだ。

 今現在、私個人にできることは精々義援金を送る程度であるが、被災者の方々、それから被災地救援のために尽力する全ての方々にいたわりとねぎらいの想いを表明する。率直に言えば、正月から本当に大変でしたね……という気持ちだ。

 松が空けないうちにこんな悲しいことが、それも各種引き続き生じてよいはずがないのだ。せめて残りの一年は喜ばしいものであってほしい。そうであるべきなのだから。

片岡一竹
早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース後期博士課程。著書に『疾風怒濤精神分析入門:ジャック・ラカン的生き方のススメ』(誠信書房、2017)など。


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