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気持ちは分かる6(言い間違いについて)

とある番組を観ていた時のこと。
MCがレポートしたゲストに指摘した。
キリスタンではなく、キリシタンだよ、と。
ゲストは私なんて言いました?と言った。
このように人は言い間違いをする。
わざわざツッコむ程でも無いと思ったが、MCは間違ってはいない。
情報番組で起きたことだから訂正するのは当たり前である。
私は寛容な方で、相手が言い間違えてもスルーする方だ。
伝わればいいのである。
サッカー好きと公言しているのに、毎回レアル・マドリードをリアル・マドリードと言う人がいる。私は密かにリアルおじさん、と呼んでいる。
でもね、
気持ちは分かる。
私だって未だに100円ショップのセリアをセリエと言ってしまう時があるからだ。
家人はいちいち「セリア、ね」と訂正してくる。
世の中には言い間違いに対して、鬼の首を獲ったようにツッコむ人がいる。
その度に思う。
己の脳には広辞苑が一言一句、間違いなく詰まっとんのかーい。と。
詰まっているはずが無い。
ここまで書いて、ふと思う。
ツッコまれて不愉快を感じる人、感じない人がいる事を。
不愉快に感じる人、感じない人の差は信頼関係なのだと思っている。
冒頭のMCとゲストの件は、情報番組うんぬんではなくツッコめる間柄なのだと思う。
家人が私に「セリア、ね」というのもそうである。
決してマウントではないのだ。
決して恥をかかせてやろう、ではないのだ。
今後はそう思う事にしようと思う。
世界平和の為に。
信頼関係といえば、更に思い出す事がある。
SNSで「アタッシュケース」と書いた事があり、知人の先輩が「アタッシェケース、ね」とツッコんできたことがあった。
恥ずかしながら私はその時までアタッシュケースだと思いこんでいたから、それが万民が見られるSNS上であっても恥をかかされたと思わなかった。
そもそも私の誤認識でもあるし、その人との信頼関係もあるから逆に感謝の気持ちでいっぱいになった。
SNSでツッコむ人は、その相手と信頼関係が築かれているのであろうか。
優しさなのかも知れないが、見ていて、それ「どーでもええわ!」と思う言葉がある。
「ゴーヤー」である。ゴーヤと音引き無しに発信しようものなら知ったげな輩が直ぐにツッコみを入れている。
八重山の方ではゴーヤと呼んでいる所もあるから、誤認識ではあるの?ないの?と毎回思う。
だから私はそれを「苦瓜問題」と密かに呼んでいる。
まだある。
マルガリータかマルゲリータか、シュウマイかシウマイか。
絶賛再放送中の朝ドラの『オードリー』。
その中で登場する君江ちゃんは豪快に言い間違いをする。
先日はディスカバージャパンをデカバカバージャパンと言って私を大いに笑わせた。
そうなのさ、
誤認識か否か関係なく、言い間違いって時にほのぼのするでしょ。
ツマラナイことでマウントとるのではなく、
小さい子が救急車をチュウチュチャと言うのを見て可愛いなぁ、っていう同様の気持ちになろうよ。
さて、週明けにリアルおじさんと会う。
決着をつけるか否か、信頼関係は築かれているのか否かを
この週末に見極めようと思う。
皆様方は素敵な週末を!それでは、また。

熱愛の崎陽軒「シウマイ御弁當」。シュウマイ大好き!


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