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満塁ホームラン1回よりも、ヒット7回

自分の存在が人に知られていくのには2つのパターンがあると思う。

1つは満塁ホームラン級のコンテンツを出して、一気に世の中の人たちの注目を集めるパターン。そしてもう1つが、ヒットを積み重ねて少しずつ少しずつ人から認知されていくパターン。

どちらが優れているといった優劣はないと思うけれど、なんとなく世間的には前者のような人が注目されていることが多い。今も昔も人は「いかにバズるか」に興味津々だ。

でももしどちらかを選べるとしたら、ぼくは後者のパターンでありたい。

バズとはなにか

そもそも「バズる」と言ったときのバズとはどういう状況を指すのだろうか。ぼくはこれを「本来そのコンテンツが想定している範囲を大きく超えて、届くはずのなかった人たちにも届く」状態だと思っている。

地域・性別・年収・興味関心・趣味などなど...。世の中にはいろんな価値尺度があって、その尺度に沿って人は異なる平行世界を生きている。

例えば年収1億の人が手取り12万円の人と関わることはほとんどないだろうし、男性と女性ではそれぞれ共通認識や考え方も異なるはず。

バズとはこうした価値尺度に基づく境界線を超えて、あらゆる人に情報が届く状態だと思う。

局所的なバズはかならず歪みを生む

こうした本来は届かない層にまで情報が届くバズというのは、たくさんの人に自分の存在や自分の考えを伝えられる一方で、その過程でかならず歪みを生み出してしまうとぼくは思う。

情報が本来伝わるべき範囲を超えて多くの人に伝達される過程では、誤解や誤読、嫉妬、批判などが生まれる。

バズを作ることに執心する人はこれを「多くの人に届いたからいいじゃん」と、全体論で片付けようとする。プラマイでプラだから成功、と。

でもプラマイでプラが多かったからといって、マイの部分が帳消しになるわけではない。“プラマイでプラ”の考え方を続けていけば、自分を応援してくれる人は増えていくかもしれない。でもそれと同時に自分をよく思わない人の数も確実に増えていく。

同じ4点を取るなら、満塁ホームラン1回よりも、ヒット7回。ドカンと認知度を増やしてから応援してくれる人を絞り込んでいくやり方よりも、少しずつでも応援していく人を積み上げていくやり方の方が、ぼくは性に合っていると思う。

だから隣のあいつがホームランを打っていても焦らず、自分なりのヒットを打つために素振りを続け、明日もバッターボックスに立とうと思う。

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平岡 雄太
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