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大人になったら、本気より根気

子供の頃から頭の中であれこれ好き勝手に想像を膨らませる癖がある。

教室にいきなり押し入ってきた暴漢を一瞬の隙を突いて退治する。(自ら人質を買って出て、油断した暴漢に肘打ちして畳み掛ける。)

9回裏2アウトの局面で華麗に代打逆転ホームランを放つ。(「ぼくに行かせてください。」と監督に直談判し、満を持して登場。)

だいたいがこんな感じで自分の活躍によって一発逆転、窮地を脱するというどうしようもない想像である。本気を出したぼくは、結構強い。もちろん想像の中の話だけど。

こうやって“本気の自分”に密かに期待を抱いてしまうのはきっと人の性だと思うけれど、歳を重ねるに連れて気付き始めたことがある。

それは、大人になったら大事なのは本気よりも根気だということ。

そもそも大人になると、衆目の中で自分の本気を発揮できる機会というのはほとんどない。いきなり大事なプレゼンを任されることはないし、満員の武道館で歌えることもない。これは誓ってもいいけど、暴漢は都合よく教室に押し入ってきたりしない。

だからこそ大切なのは、頼まれた雑務をきっちりこなすことだったり、ストリートで歌い続けることだったり、暴漢が来ないよう校内をパトロールすること。そうした地味な行動を根気よく積み上げていくことなはず。

たとえ本気を発揮できる機会があったとしても、それはたいてい根気よく1つのことを続けてきた人にしか回ってこない。「ぼくに行かせてください。」と名乗り出て代打に立たせてもらえるのは、それに見合う素振りを続けてきた人だけ。

そう考えると「本気」よりも「根気」の方が、「一発逆転」よりも「百発逆転」の方が本当はずっと大事で格好良いんじゃないかと思う。

質は勝ったり負けたりだけど、量は量でしか凌駕できない。

昔どこかで読んで、今でも気に入っている言葉。本気は評価基準がまちまちで移ろいやすいけど、根気は至ってシンプルでどれだけそれを続けてきたかの1点に尽きる。

根気を持って続けること。それが他人と自分と分かつ明確で決定的な違いを生むとぼくは信じている。

最後に、本気の1本にこだわるより未熟な文章でも根気よく書き続けることが大切であると、この文章の稚拙さを弁明して締めようと思う。

今日の1枚

晴れた日に上野公園を散歩していたら野球をしていたので、しばらく見入ってしまった日の1枚。この1打席の「本気」の裏にも、多くの「根気」が積み重なってるはず。使ったフィルムはFUJICOLOR 業務用 100。

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