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日記記事は未来の自分のため、SEO記事は未来の誰かのため

「こんな日記みたいな記事、誰の役にも立たない気がする」

「SEOを意識した記事はあんまり書きたくない」

最近はこうした声を聞くことが多く、結果としてブログが書けなくなってしまったという人をよく見る気がする。

ただ少し見方を変えるだけで日記記事もSEO記事も、グッと書きやすくなるはず。ぼくはいつも「日記記事は未来の自分のため、SEO記事は未来の誰かのため」と意識して記事を書いている。

日記記事は未来の自分のため

自分が体験したごく私的な事柄や、頭の中で考えていることを書くとなると疑問になるのが「こんな私的な内容の日記記事、誰の役にも立たないのではないか」ということ。

確かによほど有名人でもない限り、1個人の日常の様子や考えていることに情報的な価値は少ないと思う。ただそれはあくまで他人から見た情報価値の話。

過去の自分がどんな経験をして、そこから何を感じたかという情報は、自分にとってみれば非常に意味のある情報なはず。

BLOGという言葉の語源はWEB LOGからきていると言われている。人は忘れていく生き物だからこそ、その瞬間に感じたことを書き留めておくことは大きな価値がある。過去に自分が書いた言葉に、数年後の自分が救われるという経験もあるかもしれない。

日記記事は未来の自分のため

ぼくはそう思って記事を書いている。そして未来の自分に宛てた手紙が、意外と人の役に立ったりすることもあるはず。

SEO記事は未来の誰かのため

SEO記事を書きたくないという人がいる。それは自分があまり乗り気がしなかったり、いつもブログを読んでくれている人の反応が気になってでできなかったり。

ただこうした考えは「SEO記事=検索エンジンからの集客」という考えが根底にあるからこそ出てくるものではないかと思う。そうではなく、ぼくはSEO記事は未来の誰かのための手紙だと思っている。

ぼくは雨が嫌いな人に向けてオススメのレインブーツの記事を書いているが、記事を公開した段階でレインブーツに興味がある人全員に記事を届けられているわけではない。さらに来年の梅雨に雨が嫌いになって、レインブーツを探す人に記事を届けるのはほぼ不可能だ。

ただGoogleなどの検索エンジンで記事が表示されるおかげで、DRESS CODE.というメディアを知らない人にも記事を届けられるようになる。

それだけでなく、今は必要性を感じてなくても、将来的にレインブーツが欲しくなる人に向けても検索エンジン経由で記事を届けることができるのだ。

ぼくはSEOの本質はここにあると思う。単なる集客ツールではなく、自分のメディアを超えて、時間を超えて必要としている人に記事を届けることができる。

SEO記事は顔も名前も知らない、未来の誰かのため。

ぼくはそういう意識でSEO記事を書いている。

記事内容によって想定読者が変わる

「日記記事→読者のため」と考えると有用性がない記事は書けなくなってしまうし、「SEO記事→自分のため」と考えるとアクセスを集めることだけを意識して記事を書くことに躊躇してします。

ただ少し見方を変えて「日記記事→未来の自分のため」と考えば他の人にとって意味があるかどうかは関係ないし、「SEO記事→未来の誰かのため」と考えれば記事を書くことに使命感すら感じてくる。

実際のところ、読者にとってみれば日記記事は書いている人の素顔が垣間見れて楽しいし、SEO記事は役に立つ記事が多い。つまりどんな記事でも更新されていれば読者は嬉しいものだ。

自分自身の更新のハードルがどんどん上がってしまい、何も書けなくなる状態に陥らないよう、考え方を工夫することも大切だと思う。あなたの記事を待っている未来の自分や、未来の誰かのために。

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