私たちの前に新たな存在が現れる─『遥かなる他者のためのデザイン』
本書は、メディアアートの実践者として、 また教育者として、最先端を走り抜けてきた久保田晃弘が、脱中心(=固着した人間中心主義から脱却すること、すなわち人間、ひいては社会が変わることを前提とした経験的想像力を超えたものづくり)を志向しながら、工学から芸術へ、「設計」から「デザイン」へと展開した、20年にわたる思索と実装を辿るデザイン論集です。
いま、何をつくったらいいのか?
見たことのないものを、なぜ人はつくれるのか?
真に新しいものをつくりだすということは、どういうことなのか?
人工知能が超知能になるポスト・ヒューマンの世界を見据え、デザイナーは足元に穴を掘り続けるのではなく、遠くへ行くための道をつくらなければなりません。
「科学技術が社会に普及浸透していくためには、文化的、芸術的なアプローチが必要不可欠である」
という視点から出発し、「一体何が、これからのデザインや芸術になり得るのか?」を常に探求してきた久保田の予見に満ちた言説は、テクノロジーとともに更新されゆく私たち人間、そして社会の未来を鮮やかに照らし出します。
前提条件の異なる「知性」を持つ「他者」
コンピュータは「人間の身体の拡張」だ,と言われてきたこれまでの時代.
それに対して、これからの時代にコンピュータは「人間とは異なる知能」を持つ「他者」となりうる.
それは昨今話題のAIもそうだし,まったく別の形で現れることもありうるだろう.
なぜそんなことが起きるのかというと人間は自身の不完全な身体を下に場当たり的に文化や思考を生成してきたからだ.
たとえば「頭を抱える」という言葉があった時にAIには抱える頭はない.
これは人間が身体という基盤を持つから生まれ得た比喩であって,それ故,身体を持たないAIにはそうした思考回路は発生しない.ならば,おそらくAIは別の形で同義の比喩を生み出すのだろう.その時,私たちが持ちうる言語とは全く異なる異質な言語が生まれる.
「思考は言語に規定される」
そうしてAIは私たちとは全く違う異なる思考回路を持つ圧倒的な「他者」となる.
そのときに必要なのは,これまで多くのものを生み出す時に考えられてきた「人間のための」の何某ではなく,そうした「遥かなる他者のため」の思考が必要になる.
その世界では今の私たちでは到底想像もつかない驚くべき世界が広がっているのだろう.そして,そうした世界は何も1万年後とか遠大なスパンでの話ではなく,どうやら近いうちにやってくるようだ.
そのためにはより遠くへボールを投げなければいけない.遠くにボールを投げようと試行することで私たちの思考は漸進していく.
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