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「面会室」という異空間─『凶悪』


スクープ雑誌「明潮24」に東京拘置所に収監中の死刑囚・須藤から手紙が届く。記者の藤井は上司から須藤に面会して話を聞いてくるように命じられる。藤井が須藤から聞かされたのは、警察も知らない須藤の余罪、3件の殺人事件とその首謀者である「先生」と呼ばれる男・木村の存在だった。木村を追いつめたいので記事にして欲しいという須藤の告白に、当初は半身半疑だった藤井も、取材を進めるうちに須藤の告発に信憑性があることを知ると、取り憑かれたように取材に没頭していく。


「わたし」と「あなた」が向き合う

私がこの映画で特に印象に残ったのは「面会室」という空間だった。この映画はある死刑囚の告白というものを基にしたストーリーになっているので、劇中ではその死刑囚と対話するために度々「面会室」が出てくる。

この「面会室」という空間について考えてみると、その空間はなんとも奇妙な空間のように思える。


「面会室」は、隣接したふたつの部屋がひとつの開口によって繋がっている。しかし、その開口はアクリル(ガラス)で塞がれている。片方から片方の空間へと移動したりする事は出来ず、分断されている。この開口は会話をするためだけに空けられている。そのため、アクリル(ガラス)に小さな孔が空けられているだけである。

隣り合ったふたつの部屋でこの開口を通して向かい合うのは、片や犯罪者、片や一般人。


私たちは日常において、誰かと顔を正面から向き合わせて対面する(させられる)という場面にはなかなか出会わない。「面会室」という空間はその状態を強制的に発生させる空間である。

「面会室」は全く立場の違う2人(以上)がそこで対面する。改めて考えてみると、その状態が私にはとても奇妙に思えた。

ふたつの部屋はガラスで分断されてるが故に、開口を通して向こう側をみるしか無い。


異世界への入り口=開口

本作、『凶悪』で特に印象的だったシーンは面会に来た山田孝之演じる記者をガラス越しに撮っているシーン。カメラ側にいるピエール瀧演じる死刑囚がガラスに映り、向こう側の山田孝之と重なり合っているように見えるシーンである。アクリル(ガラス)というのは完全な透明ではない。向こう側のものが見えると同時に自分の姿も見える。アクリル(ガラス)は世界を二重に映している。


この印象的なシーンは、「面会室」という空間の構造とガラスの特性を利用することで、正義のために調査することに取り憑かれ、自分自身が闇に落ちてしまっている記者を表現した象徴的なシーンであった。


この映画のラストは面会室に設けられた開口のフレームによって枠取りされた山田孝之の姿がズームアウトするシーンで終わる。ここでは、果たして僕たちがいる方が犯罪者側の面会室なのか、山田孝之の方が犯罪者側の面会室なのかがわからなくなる。もはや何が正義で何が悪なのかが分からなくなる(何をするのが良くて、何をするのが悪いのか)。

このように、『凶悪』の演出においては「面会室」という空間が非常に重要であったように思えた。

この映画は「あちら側」と「こちら側」といったとなり合うふたつの世界が明らかに意識されている。そして、それを表現するための意匠として「開口」が多く出てくる。つまり「開口」の映画だった。



「面会室」はとても奇妙な空間に思える。なぜなら日常には存在しない非日常の空間であるから。この性質がドラマや映画で度々登場させられる所以なのだろうか。というよりは、私たちはほとんどが「面会室」という空間を目にしたことは無いのではないか。それは、ドラマや映画によってつくられたイメージなのだ。このことこそが最も奇妙なのかもしれない。

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