【前編】超有名ブランドデザイナーならではのジレンマとやりがい〜元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん〜
こんにちは、フクコトバのRYOです!
私たちフクコトバが、実際にインタビューをさせて頂き「ぜひみなさんにご紹介したい!」と思った方をご紹介するシリーズ「〇〇さんのフクコトバ」をスタートしました!
〜「〇〇さんのフクコトバ」とは〜
主に、ファッション関係のお仕事をされている(もしくはご経験された)方に対して、ファッションに興味を持ったルーツや、お仕事の内容等についてインタビューをさせて頂き、そのインタビュー内容を記事にして、ご紹介しています。
ファッションに興味のある方、ファッション関係の仕事に興味のある方は、なかな世間一般では聞けないお話がたくさんありますので、ぜひお楽しみ下さい!!
〜「フクコトバ」とは〜
私たちが、ファッション(衣服)には、「花言葉のように、言葉にならない想いを伝える役割がある」と思いつけたコトバです。
この記事では、ファッションに関わる方の「ファッションを通したコトバ(想い)」をお届けします!
それでは今回は、元々アパレルデザイナーとして有名ブランドをご担当され、現在は個人で美肌サロンを立ち上げてご活躍されている「mitoko.komatsu」さんをご紹介致します!
たくさん、貴重なお話をお聞きできたので、ぜひインタビューの様子をご覧ください!!
(*インタビュー:2021年7月12日(月)zoomにて実施)
①洋服を作ってくれたお母様の背中を見て育った幼少期
フクコトバ「RYO」
この度は、ご応募頂きましてありがとうございます!
私たちのnoteの記事を読んで興味を持って、ご応募頂いた形ですよね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね。
わたしも洋服を作ることを長年やってきて、私は本当に完全にモノ作りだけでやって来たので、また全然違った目線の考えをお持ちで、私にとってはすごく新しいことだなという風に感じました。
フクコトバ「RYO」
本当ですか、ありがとうございます!
今日は私たちがインタビューをさせて頂くので、私たちの話はあまりと思ったのですが、もしよろしければ、どういうところが新しいっていう風に感じられたかお聞きしてもよろしいですか?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
最終的にどのような目的で、やってらっしゃるのかに興味を持ちました。
私自身は、本当に会社に属してモノづくりをするという経験しかないので、それとはまた違う取り組みだと感じ、興味を持ちました。
フクコトバ「RYO」
ありがとうございます!
私たちフクコトバは同級生3人で行っています。
それぞれが、ファッションが最も身近な自己表現の一つだということをすごく思っていまして、最終的にはファッションというキーワードを通して、コミュニティづくりというか、居場所づくりをしたいと思っています。
noteについても、このようにデザイナーさんや作り手の方の想いを発信することで、お客様にも知って頂いて、共感し合えるコミュニティが生まれたら嬉しいなと思っています。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうなんですね。ありがとうございます。
フクコトバ「RYO」
「mitoko.komatsu」さんは、元々はアパレルのデザイナーさんをやられていて、今このコロナ禍で美肌エステサロンを開業されたというので、いやホントにすごいですね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
みなさん、そう言われるんですけど、自然とそうなっていったていう経緯があって、説明するとそれはそれで長いんですが(笑)
フクコトバ「RYO」
そうなんですね。(笑)
では、時系列でお聞きさせて頂ければと思うのですが、まずはアパレルのデザイナーさんになられるキッカケは何があったのですか?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
遡ると、私が幼少期の時から母が家で洋裁教室をしていたんです。
私自身も、その教室で遊んでいて、洋服を作ることがが当たり前の環境で育って来ました。
その頃から母の持っていた洋服の雑誌を隅から隅まで読んだりして、やっぱりすごく洋服が好きでした。
大学については、迷わず服飾系の学校に行きました。そこまではイメージがついていたのですが、卒業後にどうしようというのはイメージがついていませんでした。
ただ、大学の先輩たちで卒業後にアパレル企業に入って企業デザイナーになっている方が多く、こういう道があるんだと思い、そこを目指したというのがスタートですね。
フクコトバ「RYO」
では、元々お母様がご自宅で服を作られていて、その影響が根本には大きかったということなんですね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね、あと、子どもの頃から、洋服はだいだい母が作ってくれることが多く、それを着て出かけるとすごく可愛いって言ってもらって嬉しかったのと、自分も母親になったときに子どもには洋服を作れる母親になりたいなとも思っていましたね。
フクコトバ「RYO」
そうなんですね。
市販で売られているような既成の服ではなく、幼少期はお母様が作られた服を着ることが多かったんですね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
多かったですね。
学校の行事もそうですし、親戚の結婚式出るとか、そういうイベント事で着る服は全部母が作っていました。
フクコトバ「RYO」
すごいですね!!
②超有名ブランドなど、様々なブランドや職種を経験
フクコトバ「RYO」
すごいですね!
大学も装飾関係に行かれて、そのまま就職もアパレル企業のデザイナーになられたのですか?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね。
新卒で入った会社に、5年いたんですけど、そこで、誰よりも早く一回チーフになったんですよ。
フクコトバ「RYO」
それは、すごいですね!!
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
5年って、やっぱりひとつのタームというか、いろんな意味で、変わる時期っていうのは自分の中であったんでしょうね。
たまたま、私が担当していたブランドは、著名な先生のブランドだったので、その先生にちらっと「転職を考えていて」っていう話をしたら、
「じゃあうちに来たらどう?」っていうことになったんです。
そこが、オートクチュールとかもやってる方だったんです。
そこでモデリストを3年やりました。
モデリストというのは、デザイナーは二次元での表現だとしたら、モデリストはデザイナーの意図を最大限に解釈して三次元つまり立体をデザインする仕事です。
立体化してからモデリストとデザイナーで相互に確認し合いますが、主導権はデザイナーにあります。
なので、モデリストとしてパターンも自分で引いてましたね。
フクコトバ「RYO」
なるほど!すごいたくさんご経験されたんですね。
「mitoko.komatsu」さんが作られていた服っていうのはどういったタイプの服になるのですか?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
あのですね、それがすごい多岐に渡っているのですが、スタートがラルフローレンだったんですよ。
フクコトバ「RYO」
わぁ、すごいですね!!
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
ラルフローレンは、今もですが、その当時ももうずっと大人気でした。
その後は、フォーマル系、カラーフォーマル、ブラックフォーマルをやって、それから、すごくカジュアルなものもやって、そのあと、そのクチュール系に行きました。
当時、雑貨ブームだったんです。
アフタヌーンティーとか、ああゆうのが始まった頃に、私も雑貨屋の会社でちょっとインナーウエアみたいなものも作っていました。あとODMというデザイン提案をして生産も請け負って、そういうのもやりましたし、そのあと最初の会社に出戻りで、百貨店の自社ブランドをそこから大分やりました。
フクコトバ「RYO」
いやー、そうなんですね、いや結構じゃあ大手を転々とされていたんですね。
一通り服を作るっていう事に関してのお仕事をされて、ご経験されてい流ということですよね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね、本当に幅広く経験しました。
百貨店販路だけじゃなく、量販店販路もやりましたし、最後の最後は通販もやりました。
フクコトバ「RYO」
そうなんですね、本当にもう、リテールのビジネスからイーコマースのビジネスまでご経験されているんですね。すごいですね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
まあ、あの、言いたくないんですけど、キャリアが恐ろしく長いので(笑)
フクコトバ「RYO」
いえいえいえいえ、全然見えないです!
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
本当に思い返すと、色んな事をやってきたなと思います。
③「自分がすごい着たいと思う服は一度も作れなかった」デザイナーとしての葛藤
フクコトバ「RYO」
ずっとアパレルで働かれていて、「mitoko.komatsu」さんの中で、いろんなブランドに移られたり、いろんなモノ・アイテムは変わったりしたと思うのですが、何か一つの軸になっていた事はありますか?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね、「洋服が好き」なのと、「仕事が好き」なのがベースにあります。ただ、好きだっていう事と同じぐらい辛いっていうのも一緒にありましたね。
フクコトバ「RYO」
そうですか、noteの記事も拝読させて頂いて、ちょっとその辺りも書かれていたかなと思ったのですが、やっぱり少し辛いところもあったということですよね、同じくらい。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね、すごく仕事の幅が広く、どうしてもハードワークでした。オートクチュールの仕事をやってる頃はコレクションをやっていたので、そうすると家に帰れないとか、時代的にそういうこともありました。
でも、一番苦しかったのは人間関係ですね。
自分を含めてですが、個性的な方が多いのですが、それぞれが真剣じゃないですか。
そうするとやっぱり自分の想いを通したくなる反面、あまりこう波風立てたくないな、とか。
そこを工夫しようとするのもデザイナーとしてどうなんだとか、なんかすごく色んな葛藤がありました。
フクコトバ「RYO」
やはり、デザイナーさんとなると、自分のオリジナリティーだとか、自分が考えていることだとか思っていることだとか、自分のアイデアみたいなものを、押し通さないといけない反面、仕事としてチームでやられている中で、出るところ下がる折衷というところが難しいですよね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね。あと、正解がないじゃないですか。
服が売れたら売れたっていう、ひとつの結果は出ますが、売れるってその商品が良いだけでは、売れないので、いろんな条件がうまく噛み合って初めて売れるんです。
そこが難しいとこですよね。その答えがないので、みんなで作り上げていくしかないのですが。
一方で自分が作りたいものを作るっていうところと、お客さんや市場の求めてるものっていうところが、両側面としてあるとやっぱり思います。
フクコトバ「RYO」
とてもわかります。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
それがマッチしていると、物凄く仕事もスムーズに行って、自分としても作るってことが喜びになります。
フクコトバ「RYO」
「mitoko.komatsu」さんの場合はどういうケースが多かったんですか?
ご自分が作られる服は、市場にも求められるものとしてマッチする事が多かったのですか?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
大きなブランドを担当していたということもあり、ボリュームゾーンのお客様がほぼ占めていました。
ただ、自分がすごい着たいと思う服は一度も作れなかったですね。
それは、今もこうやって思い返すとちょっと寂しいことではありますね。
フクコトバ「RYO」
なるほど。やっぱり、もちろん売れなきゃいけないので、市場で求められてるモノでなければいけないというところで、いちデザイナーとして、「自分が本当に着たい」「作りたかった」服というのが、なかなかその想いだけでは作れなかったということですかね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね。
例えばそういうところを、就職しようと思って受けたのですが、たぶん自分の実力不足で、やっぱりそういうところには採用されませんでした。
まあ実力不足ですね。
フクコトバ「RYO」
いやいやいやいや!
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
いやホントそうなんです。
④服づくりにおいて大切にしてきた「想い」
フクコトバ「RYO」
ブランドの中で、デザイナーさんとして働かれていて、服を作られて来たと思うのですが、その中で「mitoko.komatsu」さんが「大切にしていた想い」や、「こういった考えを持ってやっていた」、という事は何かありますか?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね、今お話ししたように、決して自分が心から着たい服では、申し訳ないですが無かったのですが、繁忙期にお手伝いで店頭に行った時などに、お客様の顔を見ることが出来て、そうすると彼女らが求めているものと、私がご提案できる公約数みたいなところはわかっていたので、そこがホントにバッチリとはまるとホントに爆発的に売れるという事がありました。
やっぱり私も妥協はしないで、お客様の気持ちを最大限に理解しようとするということは大切にしていたと思います。
フクコトバ「RYO」
「これは売れるな、当たるな、」というのは大体わかることがあったということですかね?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうですね。それもありました。
あとその判断をするマーチャンダイザーと呼ばれるブランド責任者がいます。
その人は数字も持っていて、そういうジャッジをするので最終ジャッジはその人がしてましたけが、私ももちろん「これは行けるでしょう」みたいな感覚はありました。
あとは、指令も来るんです。「これは何千枚作る服だから、それを意識して作ってね」といった形で。
フクコトバ「RYO」
なるほどですね、やっぱり有名なブランドをご担当されていると、街中でも着てる人がたくさんおられて、「mitoko.komatsu」さんがデザインされた服を着ておられる方も町で歩いてて、見かけたりとかあったのですよね?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
ありますね。
ふと横を見たら、自分のブランドを着た方がいらっしゃってくださってたりだとか、あと街中で見かけるとかはよくあって、それもすごく嬉しい出来事でした。
⑤デザイナーとしてのやりがい
フクコトバ「RYO」
デザイナーさんとして働かれていて、やりがいや喜びみたいなものはやっぱりそういった出来事になるのですかね?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
私の場合は、やっぱり売れることでしたね。
もうホントに、数字として出るという事です。
というのも、売れる=完成度はもう間違いなくあって、売れるということが、自分の中で前提みたいな感じになっていました。
最終的に、モノの完成度という事ですね。
売れるとなると誰も何も言えなくなるじゃないですか。
モノが良くても売れないってことも、もちろんありますし。
「売れる=認められる」みたいな感覚にも近いと思います。
お客様にも認められるし、それ以上に社内の人に認められるし、自分の信用度が社内の中でググっと上がると意見も言いやすくなりますから。
フクコトバ「RYO」
なるほどですね。
やっぱり作られたブランドが、しっかり数字として売れて、社内でもお客様にも支持を頂くことになるという経験が積み重なって行ったという事なんですね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
もちろん、良い時悪い時や、やっぱり大きいブランドだと有利だし小さいブランドはなかなか難しかったりありましたけどね。
フクコトバ「RYO」
私自身はアパレルで働いたことは全然ないので、アパレル企業はハードワークというイメージがあったのですが、お話をお聞きする中で、その分やっぱり服という誰もが着るもので、ホントにお客さんの手に届く時にすごく喜びも大きいのかなと思いました。
ただ、誰もが知ってるブランドになるというのが、すごくやりがいのあることなのかなと思ったのですが、ホントにリアルなお話をお聞きして、「ハードワークという側面」と「やりがいと喜びという側面」は比例して大きくなるんだな、と感じました。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
そうなんですよね。
飽きる暇がないというか、シーズンでドンドン新しいもの発信していかないといけないし、同じことの繰り返しの様でいて、全然そうではないので、やっぱりすごく考えなきゃいけない仕事でしたね。
フクコトバ「RYO」
そうですよね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
気が付いたらここまで来ちゃったみたいな。
駆け抜けたっていうような。
辞めようと考えることはなかったんですよね。
⑥デザイナーのジレンマが吹っ切れたタイミング
フクコトバ「RYO」
ご自身が心から着たい服というモノが、最終的には作れなかったと振り返って思っているとお話し頂いたのですが、それはデザイナーさんのジレンマですかね?
冒頭のお話に戻るのですが、お母様は、個人で、ご家族やご自身が着られるホントに「心から自分が着たい服」をお作りになられるのかなと思うのですが、やはりホントに大きいブランドでお仕事としてデザイナーさんとしてやられていると、売れなきゃいけないという所があって、自分が着たい服ではないものももちろん作ることがあって、そこについてはデザイナーさんの中でジレンマというのは結構あったりするのですか?
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
はじめは、ものすごく苦しかったです。
やはり、「この素材は絶対使いたくない」とか「この色は絶対嫌」とか、すごい強かったんですよ。でも、売れるとどうでもいいっていう感じがあって、やっぱり売らないと評価されないし、全部自分に返ってくるので、どこかでそこはものすごく割り切りましたね。
フクコトバ「RYO」
なるほど。
大勢のお客様に対して売れて、数字として結果が出るというところが、一つのやっぱりやりがいになられていたのですね。
元アパレルデザイナー「mitoko.komatsu」さん
初めにその著名な先生の下に付いていたということがあったので、自分のブランドを自分のデザインで自分のブランドとして売るっていうのが意外と遅かったんです。
なので、初めて自分の作った服が売れたときに、「ちょっと違うな、私とは違うな」と思いながらも、ようやく割り切れたという気がします。
前編はここまでです!
いかがだったでしょうか?
幼少期からお母様が服を作られるご家庭で育たれ、ある意味幼少期から服を作るという環境で育たれ、ご自身もデザイナーの道に進まれました。
超有名ブランド等のデザインをご担当され、それ故の「自分が本当に着たい服」と「お客様や大衆に向けた服」というところで葛藤をされながらも、第一線で結果を出してこられたご経験をお聞きでき、本当に貴重なお時間でした。
後編では、アパレルブランドを独立して、新たな業界として美肌サロンを開設されたエピソードや、今改めて語るアパレルデザイナーへの想いなど、またまた盛りだくさんの内容になっております。
ぜひ、後編も楽しみにお待ちください!!
ーーー後編へ続くーーー
美肌サロン(元ファッションデザイナー)
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