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【前編】眠っている着物に新しい命を吹き込む〜着物アップサイクルブランド蒼鈴堂・山田秋さん〜

こんにちは、フクコトバのRYOです!

私たちフクコトバが、実際にインタビューをさせて頂き「ぜひみなさんにご紹介したい!」と思った方をご紹介するシリーズ「〇〇さんのフクコトバ」です!

〜「〇〇さんのフクコトバ」とは〜
主に、ファッション関係のお仕事をされている(もしくはご経験された)方に対して、ファッションに興味を持ったルーツや、お仕事の内容等についてインタビューをさせて頂き、そのインタビュー内容を記事にして、ご紹介しています。
ファッションに興味のある方、ファッション関係の仕事に興味のある方は、なかな世間一般では聞けないお話がたくさんありますので、ぜひお楽しみ下さい!!

〜「フクコトバ」とは〜
私たちが、ファッション(衣服)には、「花言葉のように、言葉にならない想いを伝える役割がある」と思いつけたコトバです。
この記事では、ファッションに関わる方の「ファッションを通したコトバ(想い)」をお届けします!

今回インタビューをさせて頂いたのは、着物のアップサイクルブランド「蒼鈴堂」を立ち上げられた「山田秋」さんです。

着物アップサイクルブランド「蒼鈴堂」の山田秋さん

現在ではなかなか着られなくなった着物ですが、そこに手を加えて新たな命を吹き込むことで、着るべき人にお届けするという想いを持って活動をされています。

【前編】の今回は、幼少期から「蒼鈴堂」を立ち上げらるまでのお話をお聞きしております。

ぜひ、ご覧ください!

それではどうぞ!!

(zoomインタビュー実施:2021年10月11日)


①針と布で遊んだ幼少期

実際に普段使用されている「針山」
フクコトバ「RYO」
同じくインタビューをさせて頂いた銀河さんからご紹介をいただきまして、ぜひお話を伺いたいと思っていました。
蒼鈴堂「山田秋」さん
ありがとうございます。
フクコトバ「RYO」
先週まで北海道でイベントをされてたんですよね?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうです。大丸札幌店に出店していました。
フクコトバ「RYO」
普段から北海道におられるんでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
今は、北海道に住んでいます。
(*インタビュー当時は北海道にて活動をされていましたが、2022年6月より活動拠点を関西へ移されています)
フクコトバ「RYO」
そうなんですね。
お疲れのところありがとうございます!
お伺いしたい話がたくさんあるのですが、まずは時系列に沿ってお聞きできればと思います。
1年前にご自身のブランドである蒼鈴堂を立ち上げられて、現在も着物のアップサイクルに取り組まれていると思うのですが、幼少期や学生時代に服やものづくりに興味を持たれたきっかけはあったのでしょうか?                
蒼鈴堂「山田秋」さん
もともと服とか布とか、テキスタイルっていうんですかね、その柄とかが好きでした。
幼少期そうですね・・・服に限らずなのですが、ものの作り方をよく知りたいなって思う子どもだったかなと思います(笑)。
例えば、椅子とかを見たときに、どうやって削っているのかなとか、何のオイルだろうなぁとかって物を見てたなと思います。
フクコトバ「RYO」
思い出せる範囲で大丈夫なのですが、どうやって出来てるんだろうとか、形や匂いなど色々あると思うのですが、これに熱中したとか印象に残っているものはありますか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
やっぱり布はすごく好きです。
あとは、よく引越しをしていて借家で転々と住んでたんですけど、和室の畳や障子の十字になった木の部分とか、そういう所をよく見てました(笑)。
フクコトバ「RYO」
僕もそうでした!
小さい頃は畳とかって気になりますよね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
あとは床の間も好きでしたね。
フクコトバ「RYO」
身の回りの物をどうやって作られているか、という目線で観察されていたんですね。
そこから自分で何かを作ったりすることに関心をもって好きになっていったということでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
好きでしたね。
上手いか下手かというと下手だったと思うんですけど(苦笑)。
何か手を動かして作るというのは好きでした。
フクコトバ「RYO」
具体的にどういったものを作っていたのでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
針仕事で言うと、母から「3歳位から針を持って(布に)刺してたよ」という話は聞いてました。
そんなに小さい頃これを作った、っていうのは明確に覚えてないんですけど。
フクコトバ「RYO」
そうですよね。
針というのは、布を針で縫っていたんですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうです。何を作るではなかったと思うんですけど「針と布で遊んでたよ」という話を聞きました。
フクコトバ「RYO」
お母様も洋服を作ったり、針を使うことが日常的に多かったんですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
母は私と正反対で手先が不器用な人なんですよ(笑)。
けど母がタオルから雑巾を作るのをよくやってて、そういう光景は頻繁に見てました。


②様々な地域を経てシュタイナー学校へ


フクコトバ「RYO」
秋さんも銀河さんのように、シュタイナー学校に通われていたんですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
私は中学生からシュタイナーです。
それまでは普通のシュタイナーではない小学校に通っていました。
田舎ですごく人数が少ない小学校だったので、1クラス20人〜という経験は全然したことがなくて。
フクコトバ「RYO」
ちなみに秋さんが行かれてた小学校だと、1学年何人ぐらいだったんですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
一番多い時で16人でしたね。
引っ越しをしていたので、通っていた小学校は3つだったんですけど、一番少ないときだと2人でした。
フクコトバ「RYO」
そうなんですね!
僕はいわゆる普通の1クラス20人いるようなところにしか行っていないんですけど、どういう感覚なんでしょうか?
やっぱり先生とは凄く仲良くなりますか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
なります。仲が悪いとやっていけないくらいです(笑)。
フクコトバ「RYO」
そうですよね(笑)。
逆に少人数だからこそクラスメイトと仲良くなる方法とか、この子のいいところを見つけようとするやり方とか、そういった大人数とは違ったコミュニニケーションが学べそうですね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうだったと思います。
小学校や中学校とかもそうですけど、学校の中だけじゃなくて地域の人との交流もかなりありました。
運動会も小学校の運動会というよりは地域の運動会を小学校でやってるみたいな感じがありました。
フクコトバ「RYO」
それは凄くいいですね。
そういった田舎の小学校を3校ぐらい転校されていたということなんですね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうです。
フクコトバ「RYO」
中学校からシュタイナー学校へ進まれて、やっぱりいい意味でも悪い意味でもギャップと言いますか、違いを感じられましたか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
たしかに違いはありましたね。
まずシュタイナーの学校はテストや教科書は無いんですよ。そこでビックリして、シュタイナー教育ならではの独特の授業があったりとか。
わたしは北海道のシュタイナー学校に行っていたんですけど、他にも京都とか神奈川とかにもあるんですね。
その中でも北海道のシュタイナーの特徴は、アウトドアにかなり力を入れているところなんです。
結構ハードな登山とか雪山のキャンプとか経験しました(笑)。
フクコトバ「RYO」
自然豊かな北海道ならではですね。
全然話がずれてしまうのですが、僕も大学の時に北海道を自転車で横断するということを1人でやっていたんです。
もともと北海道は家族旅行で訪れていて大好きで、その自転車旅行を通して更に好きになって、その自然をずっと味わえるなんて羨ましいです。
蒼鈴堂「山田秋」さん
どの辺を縦断したんですか?
フクコトバ「RYO」
函館から入って、そこで自転車を買ってずっと上にあがって、札幌、美瑛、旭川、小樽から知床の方に行って終わったという感じです。
縦断というよりは横断したという感じですね。
1ヶ月くらいかけてキャンプ場とかに泊まったり野宿したりしていました。

では、ご出身も北海道で、道内で転校、進学をされていたということでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
出身は静岡なんですけど、そのあと鹿児島の甑島という離島に引っ越しをして。
離島というと沖縄の方をよくイメージされる方が多いんですけど、そっちではなくて鹿児島県の地図で言うと左上の方に小さくあるんです。
地図にないくらいの小さい島です。
フクコトバ「RYO」
奄美大島とは違う、逆方向ですよね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうです。
それから鹿児島本土に移って、次に北海道の十勝に引っ越して、その3箇所の小学校に通っていました。
フクコトバ「RYO」
色んな地域をご経験されてるんですね。
それぞれ土地で好きだった場所はありますか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
どこも気に入ってましたね。
鹿児島本土で住んでた家がかなり古い家で、日本家屋まではいかないと思うんですけど、そういう雰囲気の家でそこの畳や障子を見てました。
フクコトバ「RYO」
いいですね。
転勤族の方は沢山おられるかもしれないですけど、中でもそういう離島に行かれたり、色んな地域を転々とされている方って珍しいんじゃないでしょうか。
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうですね。私の周りでもあまり聞かないですね。
そのことを話すと、驚かれることが多いので。
うちは転勤族ではなかったんですけど、そんな感じでよく引っ越してましたね。
フクコトバ「RYO」
中学校と高校はシュタイナー学校の方に行かれてたんですよね。
銀河さんと話をさせていただいたときにも、シュタイナー学校のお話も聞かせていただきました。
その中でも演劇などが授業としてスケジュールされているというところが印象的だったのですが、秋さんの通われていた北海道のシュタイナー学校もその辺りは一緒でしたか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうですね。ありました。
シュタイナー教育って、演劇とか美術にかなり力を入れてるんですよ。
あとは音楽も本格的なこともやっていて、弦楽器は必修だったりとか、そんな感じでした。
フクコトバ「RYO」
その中でもお好きだった教科やプログラムはありましたか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
私は机に座ってする勉強は全部苦手で(笑)。
体育や美術、手芸、音楽、演劇は好きでした。
やっぱり作る系のことが好きでした。
フクコトバ「RYO」
そうなんですね。
公立の中学校と比べると、座学だけではないプログラムが沢山あって、秋さんとしてはそちらのほうが好きだったということですね。


③和裁を学ぶために専門学校に進む

山田秋さんが仕立てられた着物
山田秋さんが仕立てられた着物
フクコトバ「RYO」
高校まではシュタイナー学校に通われて、その後は大学や専門学校に進まれたのでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
はい。静岡にある和裁の専門学校に5年間通いました。
フクコトバ「RYO」
それは5年制の専門学校ということですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
5年と4年、2年のコースがあって、私は1番長い5年コースを選んでいました。
フクコトバ「RYO」
シュタイナー学校に通われていた頃から、既にそういった方向への進路を決めておられたんでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
はい。私は進路を決めるのが早くて。
きっかけとしては高校3年生の修学旅行で、イタリアに行ったことなんですけど。
フクコトバ「RYO」
イタリアですか!めちゃくちゃ良いですね!
蒼鈴堂「山田秋」さん
贅沢ですよね(笑)
フィレンツェの街を友達と歩いたときに、生地屋さんだけど、作った服も販売しているようなお店に入って。
私は英語もイタリア語も全然わからないんですけど、そこでお仕事されてる方がすごく誇りを持って楽しそうにお仕事されてるなという風に見えたんです。
とてもいいなって思ったんですけど、日本に帰ってきて自分はどうかなと思ったんです。
日本の民族衣装である着物のことは凄く好きなんですけど、何か海外の方に聞かれても全然知らなくて、答えられないなと思ったんですね。
進路を決める時に、洋裁か和裁かって最後に2択になって。
日本で学ぶなら和裁かなと思って、そっちに進路を決めました。
フクコトバ「RYO」
修学旅行でイタリア行かれたことが、大きなターニングポイントだったのですね。
そのタイミングで和裁の方に決められたということは、もともと着物自体にはそこまで興味がなかったっという感じですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうですね。
特別着物にというのはなかったんですけど、それでも洋服よりちょっと惹かれるものはあったなと思います。
フクコトバ「RYO」
そういう感覚はお持ちだったんですね。
現在だと、着物を着たことも触れたこともないという方も多いと思います。あったとしたも夏祭りに浴衣を着るとか、それぐらいしか機会がないかなと。
秋さんご自身は専門学校に進まれるまでに、色々と着られる場面があったのですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そんなにはなかったですね。
いずみの学校(北海道シュタイナー学園)の最後、12年生で卒業プロジェクトというのがあって。
私は自分で1年かけて振袖を作ったんです。
そこから専門学校にっていう流れはありました。
フクコトバ「RYO」
なるほど。
卒業前の時点で、自分でも実際に振袖を作られていたんですね。
静岡の専門学校では具体的にどういうことを勉強されたのでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
5年間のメインの授業として、ひたすら浴衣、着物、羽織、コートとか、総称して和服なんですけど、それらを全部手縫いで作るんですよ。
手縫いの基本は運ぶ針と書いて「運針(うんしん)」と言います。基本中の基本なので毎日繰り返し練習しながら着物を作るというのと、2年生までは茶道と着付けの授業がありました。
運針(うんしん)
運針(うんしん)
フクコトバ「RYO」
着物を作ることでじゃなくて、日本文化についても学ぶんですね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
着物を作るために学ぶという感じですね。
例えば、着たときにどこが一番見えやすいポイントなのか、生地に傷や汚れがあった場合、着て隠れる場所にするとか。
着付けや茶道の所作を通じて、着物がどう見えるかを学ぶためにそういった授業があったのかなと思います。
フクコトバ「RYO」
実際に着られている場面を見て、どういう風な作り方に落とし込んでいくのか、を学べるという事ですね。
私は素人なのですが、和裁士さんになるための専門学校は秋さんが通われた所以外にも沢山あるのでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
北海道ではあまり聞かないですね。
割と関東・関西あたりに集中しているのかなと思います。
フクコトバ「RYO」
今までインタビューさせて頂いた方々は、いわゆる洋服をお作りになられている専門学校のご出身の方々が多かったのですが、やっぱり和服の作り方を学ぶ学校では、全然カリキュラムが違うんだろうなと思います。
和裁の学校では、針を運ぶところから学ぶんですね。
それは和服と洋服の違いなんでしょうか?
洋服だとミシンとか、、、洋服を作る時も針を使われると思うのですが、和服ならではの最初に学ぶべき段階ということなのですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
洋裁をされている方で運針ができる方は、あまりいないような気がしますね。
フクコトバ「RYO」
やっぱりそうなんですね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
私はミシンは独学なんですが少し使えるので、蒼鈴堂の服はミシンと手縫いを使い分けています。
例えば縦の縫いはミシンで縫って、裾の始末を手縫いするとかですね。
両方できると凄く便利です。
フクコトバ「RYO」
すごいですね。
手縫いだからこそ、繊細な部分が作れるという事なんでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうですね、表に縫い目が出ずに始末ができたりとか、私が運針に慣れているというのもあると思うんですけど(笑)。
今使っている素材や材料が全部古い着物なので、着物にはやはり手縫いが合っているかなと思います。

④興味関心は「食」にも

フクコトバ「RYO」
先程の手縫いのお話にも出てきましたが、静岡の専門学校を卒業されて、すぐに蒼鈴堂を立ち上げられのでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
えーとですね、、その間にあんまり服に関わっていない1年があります(笑)。
わたし「食」にも興味が結構あるんですよ(笑)。
フクコトバ「RYO」
Instagramで美味しそうなご飯を沢山載せてましたよね(笑)。
蒼鈴堂「山田秋」さん
見てくださったんですね(笑)。その「食」の前にもひとつあって。
専門学校を3月に卒業した後、5月に岐阜県の石徹白という地域で1ヶ月藍染のインターンにいってました。
フクコトバ「RYO」
その地域は藍染で有名な場所なんですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
石徹白洋品店っていう染めから服の縫製、販売までやっている所があるんですけど、知ってる人は知ってるお店だと思います。
そのインターンが終わって、6月に札幌へ引っ越しをしてヴィーガン専門のレストランで、1年弱だったんですけど仕事をしました。
フクコトバ「RYO」
それは「食」の中でも、ヴィーガンに当時から興味があったということでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
現在、私はヴィーガンとグルテンフリーの食生活をしてるんですけど、元々お肉をガッツリ食べる家ではなかったんですよ。
専門学校では寮生活で、自分でご飯を作っているうちにそんなに食べたくないなと思い始めて、ちょっとずつお肉を止め、魚を止め、乳製品とか卵とかやめて。
本当にゆっくりなんですけど、数年かけてヴィーガンになっていきました。
フクコトバ「RYO」
今も自炊がメインになっている感じですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうですね。外食をできないは言い過ぎかもしれませんが、しないんですね。
スーパーで、例えばお菓子を買おうと思っても、動物性のものを使っていないお菓子はほとんどないんですよ。
なので、自分で作ることになるんですけど(笑)。
フクコトバ「RYO」
元々ご家庭でお肉とかそういったものがあまり食卓に出なかった、あとはご自身で調べられたりして、色んな情報も入ってくる中で徐々にということですね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
一度ベジタリアンとかビーガンを知って、そうすると情報が色々入ってくるんですよね。そういう人たちと付き合ったり話をして、そこから環境のこととか宗教のこととか、どういうサイクルでお肉としてスーパーに並んでいるのかなどを色々考えた結果として、そうなりました。

⑤「着物を作る」⇛「仕立て直す」

フクコトバ「RYO」
卒業後の約1年間で岐阜でのインターンや、札幌のヴィーガンレストランでの仕事を経験した後、蒼鈴堂を立ち上げらたということですね。
これにも何かきっかけはあったんでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
これと言ってなかったですよね(笑)。
フクコトバ「RYO」
それでもう、百貨店のPOP UPに出店されているなんて凄いですね(驚)。
蒼鈴堂「山田秋」さん
最初は趣味で作っていたことを仕事にしてみようかな、と思って始めましたね(笑)。
フクコトバ「RYO」
もちろん専門学校の時に和服のことを学ばれていた経緯があるとは思うのですが、その後の1年間も先程のお話と並行しながら、ご自分で勉強して作られていたということでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
仕事が休みの日にもうちょこちょこ作ったり、札幌にいたので色んな服を見に行けたんですよね。
和服を見に行ったり、作家さんに会いに行ったりしていたので、今思うとそれが蒼鈴堂の準備期間だったのかなと思います。
フクコトバ「RYO」
準備期間の段階から、作った服をご自分で着られたり、周りの方々にお渡しされたりしていたんですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうですね。
自分で作った服も着てましたし、頼まれて作ったりもしていました。
フクコトバ「RYO」
蒼鈴堂はアップサイクルをテーマにされていると思うのですが、作り方としてアップサイクルを選ばれたのには、それまでのご経験も含めてどのような想いがあったのでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
アップサイクルに関しては、着物って仕立て直しができるように作られていているんですね。
例えば、お母さんの振袖をちょっと寸法を直して娘さんが着るとかっていうことができるんです。
洋服みたいにパーツが細かくないので、結構作り直しが効くんですよ。
着物から羽織になったり、羽織から七五三の衣装になったりとかするんですけど、そういうのが凄くいいなと思っていて。
洋服も図書館の本を借りて、自分で作ったりしたことがあるんですけど、洋服ってカーブでできているので「残り」がいっぱい出て、そこがすごくもったいなくて。
残りで小物を作ったりもしてたんですけど(笑)。
逆に着物は殆ど直線なので、長方形の布しか残らなくて、そこも無駄がなくて良いなと。
フクコトバ「RYO」
なるほど、とっても勉強になります。
裁断の形や、仕立て直しの余地といったところにも、洋裁と和裁の違いがあるんですね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
あとは専門学校のときに、教材として商品で作ってたものが、例外もあったんですけど基本的に化学染料で染められた、着物の業界の中での大量生産みたいなものが結構多かったんです。
それに私はちょっと抵抗があって。
その頃から、どちらかというと仕立て直しの方にすごく惹かれていたので、
こっちに進みたいな、と在学中から思っていたんです。
在籍していた5年制は和裁士になるためのコースだったんですけど、最終的には和裁士にはならない道を選びました(笑)。
フクコトバ「RYO」
在学中からアップサイクルへの関心を持っておられたということですね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうかもしれません。
札幌の後に田舎に引っ越したんですけど、近所の人に和裁をやっていたと言う話をすると、家のタンスの中に着物がいっぱいあって、、、みたいなことを言ってくれるんですよね。
そういった着物の処分に困ってる方が本当に多いなっていうのをすごく感じていて。
自分が仕立て直すことで素敵なものになってまた着られたら良いなと。
自分は作品を作るための材料が手に入るし、相談してくださった方は捨てるしかなかった着物を使ってくれて「ありがとう」って言ってくださるし、すごく良い循環が生まれていて良いなと思います。
フクコトバ「RYO」
子どもたちが着たり触れる機会がなくなっていることで、タンスに眠ってしまうケースって多いのかもしれませんね。
うちの母方が奄美大島の出身で、母が小さい頃には大島紬を着ていたらしいんですけど、しばらく実家のタンスに眠っているみたいで(笑)。
妹も多分着てないと思うので、そういった感じで眠っている着物ってすごくあるんだろうなって思います(笑)。
蒼鈴堂「山田秋」さん
この間の大丸のPOP UPでも、そういう話をよく聞きました(哀)。
フクコトバ「RYO」
やはり今は20代30代の方々で着物を着る機会ってあまりないんですかね?
蒼鈴堂「山田秋」さん
踊りやお茶を習っている方でなければ、着てる方は少ないと思いますね。
着物の柄がすごく可愛いものが多いので、好きな方も多いと思うんですけど、実際に着るとなると、着付けができなくてというのが一つハードルとしてありますよね。
フクコトバ「RYO」
そうですよね(笑)。
お母さん世代もわからなくなってきて、自ずとお子さん達は結び方がわからないという感じになってくるんでしょうね。
そういう意味で、秋さんが蒼鈴堂でやられている活動は、今ももちろん注目されていると思いますが、もっと注目されて必要とされるお仕事ですよね。
蒼鈴堂「山田秋」さん
自分で言うのもなんですけど、何か良いところをみつけられたなと思いました(笑)。
フクコトバ「RYO」
本当にそうですよね。すごいと思います。
秋さんのように、着物のアップサイクルをやられてる方は日本全国を見回してもおられないですよね?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そもそもアップサイクルという言葉が浸透していないですし、京都に知り合いが1人いて、着物のアップサイクルをやっている方がいるんですけど、私が知っているのはその方お1人しかいないです。
フクコトバ「RYO」
今はまだ、基本的にリサイクルやリユースという形がメインではありますよね。
現在お作りになられている服は、基本的にお使いになられない着物を洋服といった違う形に変えて、販売をされているという形式になるんですか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
そうです。今はメインほとんどもう服の形ですね。
ハギレを小物にしたりもしています。
フクコトバ「RYO」
それは男性用、女性用問わず作られているのでしょうか?
蒼鈴堂「山田秋」さん
はい、自分ではメンズ・レディースを決めてなくて。
その人がいいなって思うものを着ていただいたら良いなと思っています。
山田秋さんが仕立てられた着物
山田秋さんが仕立てられた着物

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【前編】は以上になります!

皆さま、いかがだったでしょうか?

着物のアップサイクルブランド「蒼鈴堂」を立ち上げられた山田秋さん。

着られなくなった着物に手を加えることで、もう一度着物そのものの良さを違う形として引き出し、着るべき人に届けられています。

この「蒼鈴堂」の活動は、着物を着なくなった人にとっても、山田秋さんの手で新しい形になった衣服を着る人にとっても、とてもハッピーな活動だと思いました。

そして日本の伝統工芸品である着物をこのように若い世代が、アップサイクルという形で、伝統を継承していくことは、大きく日本にとっても新しい可能性を秘めているなと感じます。

そんな大きな可能性を秘めている活動ではありながら、インタビューをさせて頂く中で、一つ一つの物づくりに丁寧に向き合われている山田秋さんの姿勢が目に浮かびました。

そんな山田秋さんのご活動は、下記SNSでご覧いただくことが出来ます。

ぜひ、皆さまご覧ください!!

【後編】もお楽しみに!!

蒼鈴堂「山田秋」さんのSNS

■「蒼鈴堂」のInstagram
https://www.instagram.com/sourindou_06/

■「山田秋」さんのInstagram
https://www.instagram.com/aki_ohariko/


メンバーイラスト作成:Miki Hanyuさん 
Instagram:https://www.instagram.com/hanyu.miki/ 
Twitter:https://twitter.com/mikiswolf 
Facebook:https://www.facebook.com/mikiswolf


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「〇〇さんのフクコトバ〜他己紹介記事作成〜」について

ファッション関係のお仕事をされている方へ、私たちフクコトバが、インタビューをさせて頂き、「他己紹介記事」を書かせて頂くサービスを実施しております!!

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■インタビュー方法
オンライン、対面どちらでも可能。(対面の場合は、関東圏のみ)
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■インタビュー内容
(大枠の質問です。お話の流れによって変更もあります。)
Q:どのような活動をされているのか?
Q:活動をするに至ったきっかけは?
Q:ファッションや衣服に興味を持った経緯や体験談
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■費用
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■所要時間
約1時間程度

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■お問い合わせ先
mail:fukukotoba00@gmail.com


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私たち「フクコトバ」の自己紹介記事↓


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