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類は友を呼ぶ

図書館の常連に、大学院の先生がいます。
いつもニコニコして、私たち図書館員にも「じつは最近うれしいことがありましてね」とか「いやあこれは自慢なんだけど」と気さくに話しかけてくださるのですが、その「うれしいこと」や「自慢」というのが、ご自分のことではないのですね。
「うちの研究室に、今年もじつに優秀な学生が来てくれてね!将来が楽しみですよ!」
「教え子の博士論文が賞を取ったんですが、これがまたよく調べてあってね…」

最近ふと気づいたのですが、けっこうなご年配にもかかわらず、この先生の口から「学生の質が落ちた」とか「最近の若者は」といった発言が出たことがありません。
「いやあ彼はじつに優秀で…」「彼女は将来有望ですよ!」というのは何度も聞きました。
おだてて育てるタイプなのかもしれませんが、第三者の私にそんなことを言っても仕方ないので、本心からそう思っているのでしょう。
どうやら優秀な学生が集まっているのはただの偶然ではなく、先生は各方面に出かけては優秀な学生に声をかけ、研究室に誘っているようなのです(ご本人は冗談めかして「また金の卵を捕まえた」と言っていました)。根っからの教育者で、育てることが楽しいのだと思います。

博士論文を見せていただいても、難解すぎて私などには学問的価値としてどうなのかはよくわからないのですが、ただひとつわかるのは「職場の若いやつが使えねえ」と愚痴っているサラリーマンより、その先生のほうがずっと楽しそうだということです。

職業の問題ではありません。教員でも、学生の無能さを嘆いてばかりいる人はよくいます。
でも冷静に考えると、自分から見て「おお優秀だ!」と思うような若者がぞろぞろいる学校や会社に、そもそも自分が入れるでしょうか。
まして優秀な若者が、自分に教わりに来てくれるなど考えられません。

優秀な先生のまわりには優秀な学生が集まり、指導を受けてさらに優秀になっていくわけで、その先生の目には、世の中は優秀な若者だらけに見えています。
一方「俺のまわりはバカばっかりだ」と思う人は、本人の知性にも多分に問題がありそうです。

我が身を振り返っても「自分の周囲にはろくな人がいない」と思っていた時期は、やはり私自身がダメなのですね。より良い環境に身を置こうと努力していた時期のほうが、尊敬できる人やおもしろい人との出会いが多かった気がします。





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