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どうしてミュージシャン(なりたい職業)になれたのか?を考えてみる〜中編〜
完全に僕の過去の話からスタートしている今回の記事ですが、まだ過去の続きがあるのでお付き合いいただければ幸いです。
前回のお話から、後先考えずレベルの高いサークルに飛び込んだ僕はきっと心のどこかでこの先の人生を見据えていたのかなとその時の事を今振り返ると思います。
毎日5時間の通学時間を使い、自分のやりたい講義や分野を勉強する事もできず、夜中にバイトをして一日が終わり、また同じ内容の一日が始まる。
そして待ち受けるのはきっと普通に就職をして結婚をして、子供が生まれておじいちゃんになって死んでいく。
もちろんこれはこれで幸せな人生だと思います。
僕の家庭がまさしくそれで父親と母親はそれぞれ高卒から就職をし、職場で出会い結婚をしました。特に何か特徴がある2人ではありません。
その2人の次男として生まれた僕は不幸とは思わないですし、決して裕福ではなかったですがご飯も食べれたし、誕生日プレゼントは買ってもらえたし、途中でやめてしまったけれど大学にも行かせてもらいました。
ただ僕自身は自分の人生の中でもっと自分が楽しいと思える事をして生きていきたいと心のどこかで思っていたのだと思います。
そんな時に衝撃を受けたのが大学のサークルでの先輩たちの凄すぎる演奏だったのです。
自分の中では高校の学祭の演奏の為に沢山練習し、それなりに色々弾ける気になっていたので、まさしく鼻っ柱をへし折られたような気持ちでした。
自信を無くすどころかこの人たちみたいになりたい!!
と思い即サークルに加入したのが前回までのお話でした。
サークルに加入後、ボーカルをやっていた同期の友人とベースをやっていた同期の友人が「ちょうどギターが抜けたから入ってくれないか?」と声をかけてくれたのですぐにバンドを組めました。
これはとてもありがたい話でした。
というのも僕自身が10月頃の加入だったので4月から加入していた同期のみんなはすでにある程度バンドをサークル内で組んでいたのです。
周りが誘ってくれてバンドをできる事自体ももちろん嬉しかったのですが、自分がアンサンブルを練習できる環境ができて、尚且つ先輩たちの練習を見たり、普段の練習方法やどんな曲を聴いているのか?を聞いたりする為にサークルに自由に出入りできる。
環境は整ってきた!あとはとにかく上手くなるだけだ!と思いました。
こうしてみると不思議なもので別に音楽で何かを成したいとこの時は思っていなかったのです。
とにかくあの先輩たちより上手くなりたい!
ただそれだけが自分を動かしていたのです。
そんな気持ちを動力に練習を頑張ったり先輩達に教わったり、聞き込みをしている内にあっという間に月日は流れ、
数ヶ月後のサークル内でのライブを終えた後に転機が訪れました。
自分が「すごい!」と感動したギターの先輩に「一緒にバンドをやらないか?」と声をかけていただいたのです。
嬉しさのあまり「はい!やります!」と即答したのは良いのですが、そこからは苦行の連続でした。
先輩と組んだバンドのコンセプトはメタリカというメタルバンドのコピーバンド。
それまで邦楽ロックやメロコア、パンク系ばかりをやっていた僕にはやったことの無いテクニックのオンパレードでした。
「ついていくのもやっと」どころか「練習しても練習しても全くついていけない」という状況に当時とても凹んだのを覚えています。
でも絶対ついていきたい!このバンドは絶対続けたい!!
その思いだけで食らいついていました。
今だから言える事ですが、親には真面目に大学の講義に行っているように見せていてこの当時ほとんど部室かミルクホールという集会所のようなところで練習ばかりしていました。
おかげで英語の単位を落としてしまいました、、。
それぐらい当時の僕にはこのメタリカのコピーバンドが自分にとっての全てでした。
とにかく先輩にまとわりついてギターの技術や理論、アドリブのについてやジャズの初歩なんかも教わりました。
音楽とは関係ありませんが、夜中に友人の家にマスクとエアガンを持ってチャイムを鳴らして驚かしたり、サバイバルゲームして朝を迎えたり、ミルクホールにファミコンを持ち込んでファミスタをしたりと「悪い遊び」も沢山教わりました(^^;;
そうこうしている内に少しずつバンドの曲にも慣れていきましたし、自分から「もっと知りたい」と新しい技術も勉強するようになりました。
何よりどんどん音楽とギターが大好きになっていきました。
そして自分の中である決心が固まったのです。
自分は音楽でご飯を食べていきたい!もし夢が叶わなくてその辺でのたれ死んでも後悔はしない!
と。
その為には専門学校に行き音楽を本格的に学ぶのが一番の近道だと思いました。
しかし、自分の中ではやりたい気持ちが固まっていたものの1つ大きなハードルがありました。
途中でも書いた通り僕の育った家庭は一般家庭で大学に行かせる費用も大変だったはずなのにそれを辞めて、さらに専門学校のお金を払ってもらわなれけばなりませんでした。
バイトしながら費用は返すつもりでいたのですがそれでも入学金などは一括で払わなければならず初期費用は親にお願いするしかありませんでした。
親になかなか話出せず悩んでいた時にその事も含め、音楽を本格的に自分の生きる糧にしたい事を先輩に相談しました。
すると先輩はこんな話をしてくれたのです。
「例えば小学生の頃、宿題が学校で出されたとする。
家に帰ったら親に先に宿題をやりなさいと言われるが自分は宿題よりも先にやりたい事がある。
でも結局、親に従って宿題をやったらやりたい事をやる時間が無くなってしまった。
次の日宿題を持って学校に行ったら先生は宿題の事を忘れていて結果やらなくても良かった。
家に帰り親に向かって宿題をやらなくても良かったじゃないか!!と怒る」
これどう思う??
と聞かれました。
僕は意図が良くわからず答えに困っていると。
「ここで怒るのは筋違いだって話だ。
結局宿題をやると決めたのは自分だろ??
親に言われたけどそれを押し切って自分のやりたい事をやる事だってできたはずだ。
本当にやりたかったらな。
親に言われたからじゃなくて物事のやるやらないを決めるのは結局お前次第だろ?
もしここでやらなくてあとで後悔してもそれは親のせいじゃない。それを決めたお前の責任だよ。
そして親っていうのはちゃんと話せばちゃんと相談に乗ってくれる存在だと思うよ。お前が本気なら土下座でもなんでもして一度しっかり話してみたらどうだ?」
という事を言ってくれたのです。
自分の中でモヤモヤしていたものが吹き飛んだ気がしてその日の夜にまず母親に相談しました。
すると言われたのです。
「最近何か悩んでいるのは知っていた。」
と。
親って凄いなと思いました。
そして父親に相談しました。
父親は最初反対しましたが、(子供にしっかり仕事に就いて欲しいという気持ち今なら分かります。)
母親の「お父さんだって昔なりたかったものあったでしょ?私だってあったけど諦めてしまった。この子には好きにやらせてあげたらいいんじゃない?」
という言葉に渋々納得してくれました。(この時まだ100%納得はしていませんでしたが。)
そんなこんなで完全に退路を絶った僕は大学2年生を終えた時点で退学し、専門学校へ進むのでした。
後編へ続きます。
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