どうしてミュージシャン(なりたい職業)になれたのか?を考えてみる〜後編〜
どうして自分がなりたい職業になれたのか?を前編、中編と過去を振り返りながら書いてきましたがいよいよ自分がどうしてミュージシャンになれたのか後編を書いていきます。
先輩の言葉でモヤモヤしていたものが晴れて大学を中退し専門学校へ進む事に決めたのが前回までの話でした。
正確には一年間は大学休学という手続きを取っていました。
僕自身は大学には戻らないつもりでいたのですが親としてはもし途中で何か気持ちが揺れた時などの為に保険をかけておきたかったのだと思います。
せっかく入った大学なのに辞めるのはもったいないという気持ちもあったのだと思います。
結局次の年には休学から退学へ変更したのですが。
今考えれば親として子供の事を想ってくれていたと思うのですが当時の僕には「戻る」という選択肢はありませんでした。
とにかく音楽をやりたいし、それで生計を立てていきたいという気持ちしかなかったのです。
大学を辞める前の年の夏に下調べを体験レッスンを受けていたMI JAPAN名古屋校に入学を決めました。
選んだ理由はとてもシンプルでどの先生も
「ダメな事をダメと言ってくれたから」
でした。
趣味としてギターを学ぶのであればとにかく褒めてくれるようなところで学ぶのも良いかもしれません。
しかし大学を辞めてこの道で生きていこうと決めた以上そんな生ぬるい環境で持ち上げられても褒められる為に学ぶ訳ではないですし、意味がないと思いました。
個人レッスン枠も全体授業もアンサンブルもとにかくアドバイスを沢山くれたし、何より3日間の体験レッスンだったのに普通に音楽面でダメ出しされたのがとても印象的でした。
中編で僕に道を示してくれた大学の先輩にも言われていたのが、
「専門学校に行くとそれだけでプロになれると錯覚する奴がいる。人間ってのは恵まれた環境に身を置くとそれだけでその世界に染まった気になるものだけど結局それはただの環境であってそこで頑張らない奴は何にも手に入らないんだよ。」
という言葉でした。
分かってはいたけど先輩に言われた事でより気が引き締まったのを覚えています。
選んだ理由はシンプルだったけど凄く良い選択でした。
学校のシステムでは午前のクラスと午後のクラスに別れていて僕は午前のクラスに割り当てられていたのですが先生に許可を取り午後のクラスにも参加させてもらっていました。
午前だけでは消化できなかった内容を二度聞いたり、僕はロック専門のコースにいたのですが午後はポップスやR&Bを学ぶクラスで授業を受けたり、時には上級生のアンサンブルクラスに参加させてもらったりしました。
もちろんそのクラスのメインの人たちの邪魔にならないようにとは心掛けていましまが、今思うと先生も大変だっただろうし午後の部のみんなには気を遣わせてしまったかなと思います。
それでも先生もスタッフの方々もみんな寛容に受け入れてくれて自分が学びたい気持ちを伸ばしてもらえた本当に良い学校だったなと思います。
また、先生の中には日曜日返上で普段の授業ではやらない激ムズ曲のアンサンブルクラスを開いてくれた先生もいました。
もちろんついていけない曲も沢山ありましたが先生の気持ちに甘えて全て受けに行ってました。
当時を振り返ると友達と遊びに行ったりというのは全くなかったですが自分が学びたい事を全力で学べて毎日とても充実した日々を送っていました。
成人式の日も式には行かず同期の子と練習したり楽器屋を回ったりしていたぐらいです(^^;
専門学校時代はとにかく練習に明け暮れていました。
1,2年生の時は先述のような感じでクラス以外のクラスも受けていましたし、
2年生修了後に聴講生として後輩たちの演奏前に模範演奏をする役割もいただき、3年目も通わせてもらいました。
その3年目がとにかく過酷で一日に4,5コマのアンサンブルを受け持つのですが通っていた専門学校にはキーボード科や管楽器科が無かったので音源から聴こえてくるキーボードの音やストリングス、ホーンセクションの音もギターで再現しなければならず一曲あたり最低でも3パートは覚えてこなければなりませんでした。
それが1日に4,5コマあって週5日演奏する曲が変わる訳ですから毎日寝不足or練習しながら寝落ちしてました。
次の週になれば同じアンサンブルクラスでも曲が変わったりするのでまた新たに覚え直しですし。
しかし、そんな毎日でも「やりたくない」とか「行きたくない」って気持ちにはならずとにかく上手くなりたい!という気持ちしかなく突き進んでいました。
そしてそんな生活がとても楽しくてとにかく充実した気持ちでいっぱいでした。
聴講生修了後は通っていた専門学校の先生として雇って頂いたり、そのつながりで楽器メーカーのデモンストレーターのお仕事をいただいたり、今年で勤続10年になる楽器店の講師採用試験を受けて合格したりしてミュージシャンとしての生計をスタートさせました。
それからはアーティストのサポートやレコーディングに参加させて頂いたり、海外でもお仕事させていただいたりと音楽を通して様々な経験もできていて、子供の頃から憧れの存在だった人たちにも会えたり、一緒にお仕事させてもらったりとミュージシャンになれて良かったなと思っています。
散々過去を話し続けてきただけの記事になってしまいましたが、自分のなりたかった職業になぜなれたのか?
振り返ってみると答えはとてもシンプルだと思います。
とにかく夢中になれる事を楽しいからやり続けた。
その仕事につけなかったらどうしよう。なんて微塵も考えずとにかく突き進んでみた。
たったそれだけの事だと僕は思います。
周りのミュージシャンとして生計を立てている知人を見ていても本当に音楽が大好きで今でも新しい技を磨いたり、音楽への研究に余念がなかったりで「オタク」という言葉が当てはまる人ばかりです。
綺麗事ばかりではなく、なりたかった職業になれても嫌な事というのはもちろん沢山あります。
でも何が起きてもやはり音楽が好きで好きで、今でも夢中な人しか周りにはいないように思います。
本当に好きでなければ別の事をすればいいので結果として好きな人しか残らないのは当たり前の事かもしれません。
音楽をやっている自分がかっこいいからとか音楽でなくても、ただ有名になりたいからという手段の一つとして音楽を選んだ、すなわちファッションとして音楽をやっていたりとか努力している自分に酔いしれている人が残っているのを僕は見たことがありません。
本当に好きで好きで突き詰めてその道のプロフェッショナルになれば「さかなクン」や「アイスマン福留」さんの様に結果としてお仕事になっていくのではないかと思います。
僕自身もまだまだ音楽でやりたい事は沢山あるのでもっと突き詰めていきたいと思っています。
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