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part.14 第3回全国ヨーグルトサミットinいわてが繋ぐ絆とレガシー

全国ヨーグルトマルシェの前哨戦プレイベント

2022年1月14日㈮~16日㈰盛岡駅ビルフェザンパティオ1階で行われた「全国ヨーグルトマルシェ」はプレイベントの実績があったからこそ実現したといっても過言ではない。
マルシェの開催まで、係わってきた皆様の協力と経過をここに綴りたい。

YOSHDA LIFEとの出会い

全国ヨーグルトマルシェの先駆けはココ。
協力してくれたのは盛岡市上田のYOSHIDA LIFE。

オーナーである吉田氏と小林の仲介はなかほら牧場岡田氏。
オーナーの吉田氏と出会ったのは、開催の約3か月前の2021年2月5日㈮。
試験的に始めたclubhouse。
そのきっかけをくれたのは吉田氏をはじめとした知人たちのお陰である。
この段階では、イベント会社も決まっておらず、軸も定まっていない状態。

当時のことを覚えている。
唯々思い悩んでいる中、耳を傾けてくれたことが嬉しかった。
共に話を聞いてくれた、吉田氏の知人であった古舘氏と大内氏。
ありがとう。
この2人、岩手発祥の古着・輸入衣料品販売の会社に勤める。
吉田氏とはその時から深い仲だという。

常に先端を走るファッション業界だからこそ、コンテンツを先取りし、新しいことにチャレンジする姿勢があったのかと思う。
皆と語り合い、共有できたかけがえの無い時間。
少しだけABCMARTにいた時代を思い出せたのは記憶に新しい。

このきっかけを作ってくれた岡田氏であるが、岡田氏は神奈川県出身。
岩手には縁もゆかりもない。

岡田氏が岩手に移住したのは今から2017年9月28日㈭。
鳴り物入りで飛び込んだ当時、5人しか岩手の知人の携帯登録がなかったのだそう。
そこから、吉田氏や岩手の中心を直走る人物をきっかけとし、今では県内の友人は100人以上に及ぶ。
これは、彼の人望あってこそと思う。

これを聞いて、当時小林は思った。
嘗めるな!俺なんか個人携帯の登録が4人(母・兄・妻・前町長)だぜ!
横の繋がりのない私にとって、岡田氏の存在とパイプの太さは偉大だった。

小林帰省時、妻との出会い。そして結婚へ

話は小林実家帰省時にタイムスリップ。
私は、生まれも育ちも岩手県西和賀町。

高校時代まで、地元の学校に通っていた。横の繋がりを極端に嫌っていた私にとって、この話は今の自分にも活きている。
なぜならば、田舎特有の洗礼を帰省してから、ことごとく浴びたからである。

今思えば、これも私の責任。
話は24歳の小林に遡る。

小林24歳:小林携帯より

先ず、この写真とアクセサリーの数、そしてなめ腐ったポーズを見てほしい。
これが、元祖ヨのポーズだ。
👆今見て思う。誰だコイツ(笑)。
当時、カラコン・茶髪であった私は、嫌な東京風をふかせ、親父に繋いでもらった生にも関わらず、相変わらずの自堕落な生活を送っていた。

そして、地元に帰ってきて、西和賀というド田舎の環境につくづく愛想をつかしていた。
2011年、母の進言より地元の農協に就職した。
東京で働いていたという自負が未だ抜けず、いきり立っていた。

田舎に住む人間は下。そう蔑んでた時代である。
そんな蔑んでいた私への天罰。

これだけチャラつき、都会風をふかそうとしていれば無理もない。
多くの風評被害があったのだ。
「盛りのついたサル」「あいつには近づくな、お持ち帰りされる」と。

これだけは言わせていただく。
私は、この当時そういう精神状態ではなく、生きる意味を見出そうと唯々必死ではあったが、断じて、生の矛先を性欲に向けたという事実はない。
今の私ならば全てを受け入れたであろう。
しかし、当時24歳。
到底受け入れられるものではなく、携帯番号を教えることは絶対になかった。

そんな中、妻に出会った。
さらにタイムスリップ。約半年前の2010年に遡る。
嘱託職員として地元の自治体に半年勤めていた。

出会いは突然である。
当時自治体職員の方に、「若い男女が出会える場がない。小林君、君が音頭をとって企画してくれないか?」という相談をされた。
帰ってきてから真っ先に思っていたこと。
同世代・同年代の交流の場がない。

すぐにやりたい!と思い、いの一番承諾した。
何故か?
それは東京に住んでいた時代の自分自身に悔やみがあるからに他ならない。
あの日あの時、やりたかったことの意思を伝えられなかった自分自身の殻を破れると思ったからだ。
本当の意味で殻を破れたのは、ずっと先であったが、きっかけはこの企画だったに違いない。

話が舞い込んできたとき、唯々嬉しかった。
この時、共に企画を進めてくれた中の一人が今の妻である。

その後、企画実現に向け、奔走した。西和賀に事業所を構える会社や施設に伺い、なりふり構わずポスティングをした。
当時のことを今も思い出す。

あの時、ただひたむきに走る私に協力してくれたのが他ではない、妻だった。
6歳下の生意気だった私の行動や発言を全て受け入れてくれたのだ。
後ろ盾。その言葉に尽きると思う。

結果、約50人の若い男女が集まる、小さな町では大規模なイベントとなった。
企画の最中、今でも伝いで聞いた話を思い出す。

私に好意をもった女性が3名ほどいたという。
その相手に対し、妻は真摯に答えていたという。
「冬樹君は私と付き合っています。どうか、やさしく見守ってください」。
実は、この企画の2か月前より互いに惹かれ、付き合い始めていた。
後にこの話を聞かされた自分は、「この人しかいない」と確信した。
その時の感情や想いは、今も間違ってはいないと断言できる。

未だに妻は冬樹君、私は○○さんと呼んでいる。
大半の家庭は、子供ができるとパパ・ママと呼びあうと思う。
しかし、私はそう呼びたくない。
何故なら、妻は1人の女性であり、生きるべく名を授かった人間なのだから。

ふと、母が私に放った一言を思い出す。「あんたは自分を見る目は全くないが、人を見る目は誰よりも優れていると思う」
今だからその意味が分かる。
今回のサミットで関わり、繋がっていった方々に一切の悔いはない。

プレイベントYOSHIDA LIFE

時を戻そう。
話が脱線するのは私の悪いクセ。
どうかご容赦いただきたい。

本プレイベントが、第3回全国ヨーグルトサミット開催実行委員会としては、初のリアルイベントである。
開催意図は以下の通りとなる。
□ヨーグルトサミットinいわての周知
□Instagramを通しての県外へのPR
□マスメディアを通しての県内へのPR
□県内事業者様とのコラボ
□県外乳業メーカーの紹介
□県内乳業メーカーの紹介
□ポップアップ

当初予定していた、合同開催。
岩手県の地産地消を都内で発信するアンテナショップである「いわて銀河プラザ」との企画は、東京の緊急事態宣言の延長に伴い、止むを得ず中止となった。
しかしながら、YOSHIDA LIFEでのプレイベントは大成功となった。
YOSHIDA LIFE・実行委員会からのプレスリリースの他、ラジオでの事前告知が功を奏した。
プチ情報だが、岩手県はラジオの聴取率が沖縄県に次ぐ全国2位。
農業や自営業など、作業しながら聞いている人が多いからだと推測する。

YOSHIDA LIFEからのプレスリリース:吉田氏作成
実行委員会からのプレスリリース:小林作成

開催日だった5月15日。
この日は「ヨーグルトの日」。

ヨーグルトを世界に普及したメチニコフという方の誕生日に因んで制定されたわけである。

当日、マスメディア媒体について新聞3社・テレビ2社に取り上げられた。

多くの報道陣が取材に:小林撮影
岩手日報記事:小林撮影IBC
IBC岩手放送にて紹介:小林撮影

ソーシャルメディアは向井氏を中心とし、公式アカウントでの事前告知のほか、向井氏の個人アカウントからも後方支援いただいたき、大きく周知できた。
今回、YOSHIDA LIFEと連携したことで、非乳業メーカー様と共に事業を進めていく意義を見出すことができた。
同日出店であるコレコウジツのヨーグルトを使用したキッシュやラッシーはじめ、YOSHIDA LIFEのフォロワーからサミットを知っていただき、新規での認知も広がり大きな自信となった。

この場をセッティングした岡田氏の功績は大きい。
搬入からセッティング・販売・搬出まで、全て1人で行った。
説明がとてもうまく、来場者全員がご満悦だった。

会場風景①:小林撮影
会場風景②:小林撮影
会場風景③:小林撮影

ポップアップで持ち込んだパネルも好評で、向井氏語録で記載したPOPに一同感動。
結果として、県外の商品は全て完売、県内商品や保冷バッグも予想以上の販売実績となり最高の滑り出しを切った。

右 吉田氏 中 岡田氏 右 コレコウジツ様


プレイベント カワトク

2回目のプレイベントは岩手県が誇る老舗百貨店であるカワトクでの開催。
実は、こちらもYOSHIDA LIFEの吉田氏がカワトク関係者と接点があったことで実現した。
YOSHIDA LIFEからのバトンを繋いでくれたのだ。
感謝しかない。

開催日は2021年7月24日㈯・25日㈰。
カワトクでの開催意図は以下の通り
□ヨーグルトサミットinいわての周知
□Instagramを通しての県外へのPR
□マスメディアを通しての県内へのPR
□県内事業者様とのコラボ

2021年9月開催まで2か月を切り、本番に向けた誘致と広報活動にも力が入った。

プレスリリース:小林作成

本番の2021年9月開催では、全国40の地方乳業メーカーを招集し全国ヨーグルトマルシェを展開する予定だった。
今回はそのメーカーの中からピックアップし、商品のPRに務めた。

カワトク会場①:小林撮影
カワトク会場②:小林撮影

上記のPOPは向井氏が作成。
全国の各メーカーさんの紹介に加え、向井語録満載である。
向井氏のヨーグルトブログを見たことがあるだろうか?

大手から中小企業のヨーグルトまで、向井氏の知見と経験がしたためられたブログ。
商品パッケージからでは到底表現できない、向井氏ならではの言葉で綴られている。
日本で販売しているヨーグルトの種類(POS登録)は約2,600種類と言われている。
2022年2月時点で向井氏がブログで綴ってきた数は2,200種類。
「全身ヨーグルト女」とあだ名をつけるのも、納得いただけるだろう。

話を戻そう。
新聞3社の取材も受け、本番に向けた告知も行うことができた。

岩手日報:小林撮影

来場いただいた方々は、初めてみた商品が多かったこともあり、アピオでの本開催に胸を高まらせていた。
それもそのはず。
今回紹介したのは、各社1商品のみ。
本番は1社につき180㎝の冷蔵庫1台を設ける予定としており、宝石箱が40台も並ぶ夢のような空間だったのだから。

会場風景①:岡田慎也氏撮影
会場風景②:岡田慎也氏撮影

カワトク側の後方支援もあり、館内放送で告知も愛重なり、多くの来場者に認知。無事終了した。
2日間お付き合いいただいた、吉田氏のご友人である越場久笑(こしばひさえ)氏には本当に感謝。
因みに、この方。
最後に出てくるあとがきに係る重要人物となる。
これもまたレガシー。

左 岡田氏 中 越場久笑氏 右 小林:小林携帯代替撮影

プレイベントを実施する上での留意点

プレイベントを行う上で、留意しておかなければならないことがある。
開催までにフローをしっかりと纏めた上で実施することだ。

前職の靴屋にて尊敬している上司に教わった、言葉がある。
「段取り8割、イレギュラー2割」
つまり、準備が非常に重要ということ。

今回のプレ企画の場合、ざっくり見るとこうである。
①企画立案、開催意図決定
②議案、予算決定
③会場、人の手配
④商品選定、発注
⑤POP作成・備品手配
⑥プレスリリース
⑦本番、取材対応

細々した処理もあるため、詳細を記載してしまうとキリがないが、殆どが準備なのである。

1つの企画でも相当な労力を使う。
だが、1つ1つの積み重ねによって本開催の事業に繋がることを考えれば、どの事業も手は抜けない。

プレッシャーをかけるわけではない。
サミットを背負って実施するのだから、次開催ではそういった覚悟をもって、是非臨んでいただきたい。

プレスリリースについて

併せて伝えておきたいのは、プレスリリース方法である。
これまで実践してきた上で、自身の成果と反省点から記述する。
私が常に意識すること、タイミングと社会性だ。

まず、タイミング。
極論から言えば、1年後に開催される内容をプレスしても意味がない。
かといって、当日案内をしても先方の準備が出来ない。
私の場合、2回に分けて行う。
これが正解かどうかはわからない。
1週間前と1日前だ。
広報担当の連絡先を知っているならば、メールと電話は必須。
分からない場合は、ダイレクトでFAXなどをお送りしても構わないが、効力は薄い。
岩泉HD山下氏の講演でもあったが、それ以前から関係性を構築しておくことが重要。

そして、社会性。
社会性と聞いても、壮大すぎてピンとこない方もいると思う。
私の思う社会性とは、すなわち「共感」。
独り善がりであっては意味がない。
小美玉市から繋いだ意思としても記載しているが、自分自身を殺し、他を生かす。

その意味は、こういったプレスにも活かされた。
世の中に何を訴えたく、伝えたいのか。
そこには、共感は必須。
実際に現地に来て、「色々聞いてみたい!」と思ってもらえることが理想。
ついては、全てをそこに記述してはならない。理想は1枚もの。

私は書物を一切読まない。
ただし、サミットに関わってきたからこそ、そこで出会った方々がいるからこそ、自分自身の経験価値は高まったと自負している。


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