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part.8 第3回全国ヨーグルトサミットinいわてが繋ぐ絆とレガシー

資金繰りと企画立案の並行運転

話をサミットに戻そう。

これまで、第1回・第2回共に財源は国・県・自治体といったように、固まった資金源を基に運営をしていた。
実に健全な形であるし、今後サミットを行う上でもそうあってほしい。

だがしかし、これは自治体主催であったからこそ進められた形である。
民間主体となる我々は違う。

そもそも資金源が纏まっていなかったのだ。
これは定まっていなかった我々だからこそ言える、ウルトラCなのである。

ここで、イベント運営の簡単な流れについて説明しよう。
①企画立案
②日程・会場の決定
③資金源の確定
④イベント会社との連携
⑤宣伝告知
⑥開催準備
⑦開催後総評

こういった流れ。

しかし、第3回はそうではない。
なぜならば、開催主旨・コンセプトが決まったものの、明確な資金源がないままスタートしたためだ。
上記でいう所の①~④を並行して進めていったのである。
道・旗印が決まっても運転資金がない。
言わばタイヤとハンドルがあっても、エンジンがないようなものである。
そんな状態でスタートしたのだ。

言うまでもない。無謀なチャレンジであった。
しかしながら、どこか自信はあった。
開催主旨・コンセプトが決まっていたからだ。
ぶれる必要はない。
ただ、ひたむきに前に進むしかなかった。

先ずは、どのように資金調達をしたか。これを説明しよう。
赤裸々ではあるが、これも次の開催地のためと思えば躊躇はない。

はじめに調達したのが実行委員会に所属する乳業メーカーだ。
徴収内容は実に明快である。
年間のヨーグルト販売金額による徴収だ。

次に市町村である。
岩手県には全33市町村の自治体がある。
「酪農家とつながるヨーグルトサミット」の旗印のもと、各所へ声掛けをした。
ここで述べておかないとならないことがある。
単に、実行委員会に編成したとしても、担当者には通常業務がある。
その中で案内をかけるということは容易ではない。
ここは、生憎と言うべきであろう。
新型コロナウイルス蔓延より、県外への出張が極端に少なくなった。
それまで、小林は1年の1/3は岩手にいなかった。
リモートでの作業が主となり、時間に余裕が出来た。
この機を逃す手はない。
2020年10月29日㈭の西和賀町を皮切りに、一気に奔走する。
関係各所を駆け回り、最後12月23日㈬の釜石市訪問まで、延べ2か月にて岩手県33市町村中28市町村を訪問
ここだけ聞くと、たった2か月と思うかもしれないが、実に甘い。
当時、エルニーニョ/ラニーニャ現象より、稀に見ぬ大寒波に見舞われたのだ。

豪雪地帯西和賀:小林撮影

言わずもがな、全国随一の豪雪地帯である西和賀町。
ホワイトアウトの中、朝3:30に家を飛び出し、奔走した。
あの精神は、ヨーグルトサミットを何としても成功させたいが為の意思。
それ以外の何物でもない。
今思えば、こんな自分に何故そんな力が働いたのかはわからない。

次に、県がベースとなった補助金である。
これには岩手県庁流通課の佐々木進(ささきすすむ)氏が大きく関わる。
ベースとなる資料を共に作成した。
内容と向き合い、競合に立ち向かったのは、間違いなく佐々木氏の功労であり、会社でいうところの実績である。
裏背景であるが、競合は5つあった。
空いた座席は1つのみ。
これを成し遂げたのは、丑年に因んだ県の事業であるモーモープロジェクトはじめ、熱い想いをもった県庁関係者が共に事業に向き合い、取り組んでくれたからこそである。

その他、農協・メーカー協賛金、Jミルク助成金が固まり、ついに、岩手開催として本当の意味でサミットのスタートを切ったのである。


イベント会社の決定

良し、進むぞ!と簡単に物事は動かない。

なぜならば、主旨・コンセプト・意思はあっても、ノウハウがない。
正に日進月歩である。

ここで絶対的に必要不可欠なのがイベント会社の存在だ。
我々がどう考え、どういう意図でやっているのか。
それを落とし込み、具現化するのが彼らの役割だ。

我々は主旨・コンセプトを基に資料を作り、説明会を設けコンペにて共に歩むべき会社を選考することとした。
その中で立候補したのが3社である。
2021年3月9日㈫にプレゼン大会を実施し、自分たちが共に歩んでいくべき会社を選定した。
ここには第1回・2回の立役者である中本氏・向井氏にも審査に入ってもらった。
これまでのサミットをけん引し、見守ってきた2人だから当然だ。

どの会社も素晴らしかった。
だが、その中でも突出して落とし込み、我々の思想を具現化、更には昇華しうる存在がいた。
それがオリンピア企画だった。

私はなにか深い縁を感じた。
なぜなら、ミルクフェア・S-1スイーツフェア双方とも、オリンピア企画が手掛けていたからだ。

中には、二番煎じになってしまうと思ったメーカーもいるかもしれない。
だが、各社の事前資料を拝見していた私にとって、確固たる確信があった。
ここしかないと。

こうして、イベント会社も決定し、本当の意味でのヨーグルトサミットinいわての事業はスタートを切ったのである。


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