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Vol.0『なぜ「高校・倫理」なのか』

 ども、不健康先生です。私立の高校で社会の教員やってます。

 このマガジン内では「高校・倫理」のダイジェストを記事としてまとめていこうと思います。今回は、その理由や特徴を押さえておきます。

 マガジンのタイトルは『君と僕のための「高校・倫理」』としました。

 自分の「どうにかしたい!」という欲望で、誰かの知識欲が深まったり、受験生や専門にしている学生さんの一助になればいいなぁと思うのです。いや、専門としている学生さんには勝てないっすけどね。勝ち負けじゃないけど。

 仮想の読者を想定しないと、なかなか独りごち続けるのは厳しい。1人でも読者がいる体で、「君」の為に少しずつまとめていきたいと思います。何年かかるか分かりませんが。

 今回はこのマガジンを思い立った理由をいくつか簡単に記していきます。


⓪ そもそも、なぜ「高校・倫理」なのか。


1)単に科目として「好きだから」

 「好きだから」…うん。正直「好きだけど嫌い、嫌いだけど好き」という複雑な感情を持っていますが、深く考えずに記事を作っていたらパっと出てきたので。

 うーん、うん。好き。

 小さな頃から、頭の中でうじうじ考えることが好き…というかもうデフォでそういう人間だったのだと思います。生き方として楽しいかは置いといて、今はそれが役に立っています。哲学や「高校・倫理」と私の性格が合っているのでしょう。

 訳の分からない屁理屈おじさん(哲学者)に出会うとわくわくして、ぞわぞわします。「アホだなーこいつ。生き辛かったろうなー」と。

 教員なのに語彙力がなくてすみません。

 仮に読者がいるとして、私の好きがあなたの好きになってくれたらもうオールOK。嬉しいっす。


2)知識が足りないから

 教員として恥ずかしい話ですが、まだまだまだまだ「高校・倫理」に関する知識や実践が足りません。生徒には申し訳ない。

 私の受験科目が「政治・経済」であったり、卒業した学部が政治学寄りであったり、日々多忙であったりと色々言い訳は可能なのですが、情けない話っす。この辺りのコンプレックスをやっつけたくって、『note』を始めた節もあります。

 哲学系や倫理系、社会科の先生方も『note』内でちらほら見掛けます。専門家の方にたまたま見つけて頂いたら、色々教えて欲しいなぁというのもあります。故に個人的なブログではなく、『note』の利用をと考えたのであります。…あります?


3)『note』の利用者と親和性が高い(のでは?)

 読んだり書いたり考えたりが好きだったり、生き方だったりする人がこの『note』に集まっているのだと勝手に思っています。故に、『note』の利用者は、読んだり書いたり考えたりしている哲学者の考え方に興味がある人がいるのでは?ということです。多くはないとは思いますが。

 私もいつか読んだり書いたり考えたりを生業にしたいな。と思っています。なんとなくね。

 哲学者は・・・嫌だ(笑)


① 「高校・倫理」の概要

 高校での社会科は正式には地歴公民科と呼ばれます。現行の学習指導要領上で地歴は日本史・世界史・地理、公民は政治・経済、倫理、現代社会と分かれます。

 学習指導要領を簡単に説明すると、国(文部科学省)が「基本的に各学校・各学年・各教科これに沿って教育してね」という指示書の様なものです。「〇〇と××は絶対に取らせてね」とか「△△は週に何時間以上ね。頼むね。」という感じです。公立も私立もそれに沿ってカリキュラムを考える際の基準になります。教科書等もこれに沿って作られ、検定を受けます。

 来年度から高校用の学習指導要領改訂版が動き始めますが、それはまた今度。

 「高校・倫理」の学習内容は青年心理学+哲学史+宗教史(の基礎の基礎の基礎)で構成されているというイメージです。

 青年心理学:思春期がどうこうとかです。思春期抜けたか抜けていな い子相手に思春期教えるのキツイんすよ。ホントに。
② 哲学史:「人間とは何か」というもの凄い広いテーマや、各地域の思想(西洋・東洋(中国・日本がメイン))をざっと学んでいきます。
③ 宗教史:宗教「史」とか宗教「学」と書いてしまうと、大風呂敷過ぎますね。「宗教の有名どこの基本情報だけ抑えとこうね。」って感じです。

 当たり前ですが②と③が相互に影響しあう為、両方抑えなければならない。例えば仏教や朱子学を抑えないと日本思想史が学びづらい。キリスト教を抑えないとルネサンスや宗教改革を学びづらい。故に、教科書のどこかを飛ばそうにも飛ばせない。そしてその背景には、歴史・地理・政治・経済がある・・・

 2単位で教科書全部終わらせている先生はどこにいるんだ。会いたい。連れてこい文科省。

と毎年思うのです。愚痴はいいか。

 各時代・各地域の人たちの考えてきたこと、信じてきたことの特徴や移り変わりを学ぶって感じでOKだと思います。


② 倫理学と「高校・倫理」の違い。

 いわゆる「倫理学」と「高校・倫理」は異なります。

 要すると「高校・倫理」では、倫理学だけを学ぶわけじゃないよ。って話です。倫理学も含めた哲学史の(大まかな)な流れを(も)学ぶのです。

 「高校・倫理」の教科書は「倫理学」の教科書ではありません。あくまで「高校・倫理」の教科書で、歴史の流れに必要なキーパーソンが順に並んでいるイメージです。ここが「倫理学で…」あそこが「認識論で…」と分類はされていません。しかも、

「このおじさんは「存在論」がメインだけど、捉え方を変えてみると「倫理学」的なこと言ってるよねー。だよねー。」

 みたいなことも起こります。分かりづらくてすみません。

「倫理学」は哲学の一部分で、「道徳哲学」とも呼ばれます。言葉の意味をとらえ直しててみると…

 「倫」:仲間とか同類の意。
 「理」:不変で普遍な道理(ルール)の意。

「倫理学」は「人間関係(社会)において不変で普遍なルールはあるのか?」を探求する学問です。「人間関係に絶対的な善悪とかあるの?」みたいな。

 例えば、生命倫理:「安楽死は善か悪か」
 例えば、環境倫理:「自然と人間は共存可能か」

などなど。その善悪の判断は正しいのか、なぜ不可能なのかと更に探求する学問です。中公新書『倫理学入門』の帯にあるように、「善と悪を問い直す」という感じです。

「倫理学」:「人間関係における善悪を問い直す」学問
「高校・倫理」:「青年心理学と哲学史と宗教史を学び始める。」科目

 以上の様なまとめ方でよろしいでしょうか…?

 このマガジンはあくまで「高校・倫理」のダイジェストをまとめていくものです。大学等で学ぶ「倫理学」とは異なります。教科書によっては「倫理学」に寄った特集ページもあるにはありますが、コラムに近いものです。

 そういう意味でわざわざ「高校・倫理」と記しているのです。一応ね。

 良ければたまに寄って行って下さいませ。 

③ 最後に

 以上の様なことを理由に、とりあえず始めてみます。とりあえず…と書きつつも、「なんでだっけ?」とまた考え始めてしまい記事が長くなってしまいました。

 今後は教科書の範囲内の知識をまとめながら、おススメ本や勉強法、自分が考えたことなども記事にしていきたいと思います。まもなく2学期が始めるので、なんともまぁでございますが、皆様心身ともにご健康に。

 不健康先生という屋号の私が言うことではないですけどね。

 とりあえず、記事書いた。書けた。生きてる。OK。では!

 

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