【ショートショート】逃げろ
棟上げ式に立ち会った。
「あれはなんですか」
家の中央に立っているすこし黒っぽい大きな木材。
「あれは御柱様です。日光の奥でとれる非常に堅い木でしてね。家中の柱をまとめて、安全を守るという言い伝えがあるのです」
棟梁はありがたそうに、ぱんぱんと手を叩いて御柱様に頭を下げた。
オレも真似をした。
それから三十年。外見こそ古びたが、棟梁の建てた家はしっかりしていて、ままだなんの歪みもない。
ある夜、がたっと家が揺れた。大きな揺れだ。すぐにテレビをつけてニュース速報がないか探し、スマホでも地震情報を検索した。
なにもひっかかってこない。
そんなわけはないだろう。
オレは、外に出た。まだ午前三時だった。
何軒かの家から人が出てきている。
「揺れましたな」
「揺れた揺れた」
「なぜみんな騒がないのだろう」
オレは自分の家を見た。よく見ると、場所がすこしズレている。
あっ。これは。
家が逃げようとしたのではないか。この家を建てたときはまだあたりに畑がいっぱいあったが、現在は住宅密集地となっている。立ち上がりかけた家は、逃げ出すことをあきらめたのではないか。
ほかの人々もその想像に賛成してくれた。家の位置がズレているのは、いずれもあの腕のいい棟梁が建てた家だ。
きっと御柱様が危険を察知したのだ。
オレたちは、すぐにリュックに貴重品を入れて逃げ出した。
スマホの緊急地震速報が鳴りだしたのは、とっくに陽が上がってからのことだった。
(了)
ここから先は
朗読用ショートショート
平日にショートショートを1編ずつ追加していきます。無料です。ご支援いただける場合はご購読いただけると励みになります。 朗読会や音声配信サー…
新作旧作まとめて、毎日1編ずつ「朗読用ショートショート」マガジンに追加しています。朗読に使いたい方、どうぞよろしくお願いします。