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【ショートショート】旗

 住んでいたのが田舎だっだから、ぼくが子どものころにはまだ「つうかぎれい」というものがあった。
 川をどんどん遡っていくと、大きな岩がある。とても大きな岩で、上までのぼると、つるつるした平らな面があるのだそうだ。そこから見下ろす川面ははるかに遠くて小さい。大人でも飛びこむのをためらう。
 思い切って川へ飛びこむことができたら一人前とみなされるそうだ。
 身体が虚弱だったぼくは、とうとう飛びこむことができなかった。
 だから、村のなかでは大人とみなされていない。
 雪かきに呼ばれないし、村の集会にも、秋の旅行にも呼ばれない。
 いつでも子ども相手に遊んでいるへんなお兄さんだ。
 秋。
 広場に「御一同」と書かれた旗がたつ。
 村の衆が温泉に旅立つのだ。
 村長が旗を振り回し、一同はマイクロバスに乗り込んで出発していった。
 村には大人になれなかった人間だけが残される。
 ぼくと、小柄な伊藤と、ちょっと抜けたところのある安藤の三人だ。
 ぼくらは雑貨屋から大きな紙と硯と墨をもってきて、ひらがなで
「ごいちどう」
 と書いた旗を作った。
「これからぼくらもごいちどうだ」
「そうだそうだ」
「ごいちどうは旅に出よう」
 ぼくたちはおにぎりを握って歩き出した。大きな岩の上に出た。つるつるの頂上でおにぎりを食べた。
「ここから飛び込めさえしたらなあ」
「せいので飛んだらどうだろう」
「みんなで飛んだら怖くないかな」
 ぼくらは
「せえの」
 といって、岩肌をけった。
 ごいちどうの旗だけが川下に流れていった。

(了)

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