【ショートショート】失踪
「お父さん、あれ、なに」
子どもが空を指さした。
空ではなかった。
大きな木だ。ケヤキだろうか。太い幹が二叉に分かれている部分に金属でできた円筒形の筒が縛り付けてある。
「ドラム缶」
私は自信なさげに答えた。なぜあんなところにドラム缶がくくりつけてあるのか、さっぱりわからない。
「なにか住んでいるの」
「さあ」
私たちはそのまま通り過ぎ、不動産屋に入った。
すごく安い物件が出たというのだ。
物件を見に行くことになった。
庭にはたくさんの木々が生え、それぞれにドラム缶が縛り付けてあった。
「あれは、なんですか」
「なあに。悪さはしません。気にしないでください」
私は結局三十万円で別荘地に一軒家を購入した。よほど用心深いのか、ドラム缶の住人が姿を見せることはなかった。
やがて子どもが小学校高学年になり、木に登るようになった。
「やめなさい。うちの土地じゃないんだから」
と叱ったが、やめない。
「からだった」
「え」
「藁が敷き詰めてあるだけで、なにも住んでないよ」
「そうだったのか。あの不動産屋の口ぶりじゃ、なにか住んでいそうだったが」
そのうち、子どもはドラム缶の中で寝泊まりするようになり、家に帰ってこなくなった。
「おーい」
いくら呼んでも返事がない。
私は長い折り畳み梯子を買った。ケヤキの木を登っていくと、ドラム缶の中で目を光らせている獣がいた。
「おい、太郎」
息子の名前を呼んでみる。
獣はぐるると鳴いた。
あれはなにかが住んでいる巣ではなく、これから住む巣だったんだ。
息子だけを獣にしておくわけにはいかない。
私も違う木に登り、ドラム缶のなかに入り込んだ。
(了)
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