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【ショートショート】弁慶のハンコ

 タツヤは猫を飼っている。「弁慶」という名前だ。
 膀胱炎の検査治療費に四万円かかった。ペットの病気にはお金がかかると聞いていたが、ホントである。
 いざというときに備えるため、タツヤは都心にあるにゃんにゃん保険のビルを訪れた。窓口の男性は、タツヤの書いた書類を確認し、
「では、ハンコを」
 と言った。
 タツヤがハンコを押すと、
「違いますよ。ご本人様のハンコです」
 と指摘する。
「ご本人様というと、弁慶のことですか」
「そうです」
「弁慶にハンコはありませんが」
「では、作ってください」
 タツヤは近所のハンコ屋に行き、弁慶と彫ったハンコを作ってもらった。
 にゃんにゃん保険の担当者は疑り深そうな表情で、
「このハンコ、役所に届けていますよね」
 と言う。
 タツヤはその足で区役所に向かった。
 十三番窓口の女性は、
「ご本人様の確認が必要です」
 とつれない。
 タツヤは家に戻って弁慶を追いかけ回し、キャリーバッグに入れて、役所に戻った。
「では、ご本人様確認を行います。名前を呼んでみてください」
「弁慶」
 弁慶は緊張のあまり縮こまっており、返事どころではない。
「返事がありませんね」
「ま、待ってください。弁慶、弁慶、弁慶」
 タツヤは狂ったように叫んだが、弁慶は恨みがましい目でじっと見ているだけだ。結局、三十六回区役所に通い、弁慶はようやく小さな声で「にゃん」と鳴いた。

(了)

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